【宮城県】宮城一の発酵食品の町「大崎市」古川を訪ねるin橋平酒造・醸室(かむろ)
宮宮城県大崎市──この地が「世界農業遺産」に認定されたと聞いたとき、私の頭に浮かんだのは「水と米の町」というイメージだった。広大な大崎耕土、清らかな江合川や鳴瀬川、そして米どころとしての歴史。だが、調べていくうちに、もうひとつの重要な要素が浮かび上がってきた。それが「発酵食文化」である。
味噌、醤油、日本酒──いずれも発酵によって生まれる食品だ。大崎市は、豊かな水と米に恵まれた土地であり、それらを活かした発酵文化が根付いている。醸造発酵産業の企業数は県内最大数に達しているという。しかもそれは、単なる技術ではなく、自然と人間が共に生きるための知恵であり、時間の積み重ねによって育まれてきた文化そのものだ。
今回私は、その文化の中心とも言える古川地区を訪れた。目的は、発酵の現場に触れ、微生物と人間の共生の歴史を肌で感じることだった。緒絶川のほとりに佇む「醸室(かむろ)」、江戸時代から続く酒蔵、麹専門店──それぞれが、静かに、しかし確かに発酵文化を支えていた。
発酵は、見えない営みでありながら、私たちの暮らしの根幹を支えている。大崎市の発酵文化は、土地の記憶と人の手仕事が織りなす、静かで力強い物語だった。
参考
大崎耕土世界農業遺産「古川エリア」
日本食糧新聞「新春特集・発酵食品と地域活性化:先進事例2=宮城県大崎市」
大崎市古川の発酵文化の象徴「醸室(カムロ)」
古川の町を歩いていると、町の中心にかかる緒絶橋のたもとに、風格ある建物が見えてくる。橋平酒造──江戸時代後期、寛政2年(1790年)創業の老舗酒蔵である。その酒蔵をリノベーションした商業施設が「醸室(かむろ)」だ。名前の由来は「醸造」と「麹室(こうじむろ)」を掛け合わせたもの。古川から見える奥羽山脈の一角「禿岳(かむろだけ)」にもかかっているのだろうか。発酵の核心を担う空間にふさわしい名だと思った。
敷地内には大小10棟ほどの蔵が立ち並び、カフェやパティスリー、地元食材を扱う店舗が軒を連ねる。蔵の白壁と緒絶川の流れ、袂に植えられた柳の木──その風景は、まるで額縁に収められた一枚の絵のようだった。静かで、どこか懐かしく、そして確かに生きている。
所在地: 〒989-6153 宮城県大崎市古川七日町3−10
電話番号: 0229-22-0335
緒絶川のほとりに橋平酒造がある理由
橋平酒造が緒絶川のたもとに蔵を構えているのは、偶然ではない。古来よりこの場所は、歌枕として知られる緒絶川の情緒と、江合川の水運の利便性が交差する「文化と物流の結節点」だった。江戸時代後期、寛政2年(1790年)に創業した橋平酒造は、酒造・味噌・醤油などの醸造業を中心に、魚問屋や質屋も手がける豪商だった。
緒絶川の水は、かつて飲料水としても使われていたほど清らかで、酒造りに適した水質を持っていた。さらに、川沿いの立地は物流にも優れ、酒や味噌を舟で運ぶことができた。蔵の背後には10棟以上の土蔵が並び、まるで小さな村のような構成をなしていたという。
発酵とは何か
発酵とは、微生物の働きによって有機物が分解され、食品の風味や栄養価が高まる現象のこと。日本では、麹菌・酵母・乳酸菌などが主役となり、味噌・醤油・酒・漬物などが生み出されてきた。発酵は保存性を高めるだけでなく、栄養素の吸収を助け、腸内環境を整えるなど、健康面でも多くのメリットがある。
とくに日本酒は、米・水・麹・酵母というシンプルな素材から、複雑で奥深い味わいを生み出す。これは微生物との対話であり、職人の経験と勘が織りなす芸術でもある。発酵とは、自然と人間が共に生きるための知恵なのだ。
参考
農林水産省「「発酵」の不思議」
宮城県一の発酵文化・発酵食品の町
大崎市は、江合川や鳴瀬川といった豊かな水系に恵まれ、広大な大崎平野では良質な米が育つ。これらの自然条件が、発酵食文化の土台となってきた。江戸時代から続く味噌蔵や酒蔵が点在し、地元の人々は季節の移ろいとともに、発酵食品を暮らしに取り入れてきた。
例えば鬼首発酵文化としてどぶろくや地ビールが、岩出山発酵文化では納豆や日本酒が有名だ。
発酵は、単なる技術ではない。それは「待つこと」「育てること」「見守ること」の連続であり、自然のリズムに寄り添う営みだ。大崎の発酵文化は、そうした時間の積み重ねによって育まれてきた。
古川における日本酒の歴史
古川地区には、橋平酒造をはじめ、歴史ある酒蔵がいくつも存在する。橋平酒造では、吟醸酒「醸室(かむろ)」が人気で、地元の米と水を使い、昔ながらの酒袋による搾り方を守っている。古川は一級河川「江合川」「鳴瀬川」の間にあり、奥羽山脈からの豊かな水が供給される水が豊かな地区だ。この手法は全国でも少数派となっており、手間を惜しまない酒造りへのこだわりが感じられる。
また、には「浅勘酒造店」や「新澤醸造店」など、全国的にも評価の高い蔵元がある。特に新澤醸造店の「伯楽星」は日本航空のエグゼクティブクラスにも採用された銘柄で、食中酒としての完成度が高い。浅勘酒造店の清酒「酔舞」の原酒をつかったフルーツリキュールなど、女性にも人気のフルーティーな日本酒も揃っている。
さらに古川地区には「寒梅酒造」もあり、地元の米と水を活かした酒造りを続けている。それぞれの蔵が、土地の風土と人の技を活かしながら、発酵文化の担い手として地域に根を張っている。
地元の酒は、地元の料理と合わせてこそ真価を発揮する。発酵食品との相性も抜群で、味噌料理や漬物とともに味わうと、酒の旨みがより深く感じられる。
参考
古川における味噌や麹の歴史
発酵文化の根幹を担うのが「麹」である。麹は、米や麦に麹菌を繁殖させて作る発酵の起点であり、味噌・醤油・日本酒のすべてに欠かせない存在だ。余談にはなるが、大崎市には、今も昔ながらの麹や味噌専門店が残っており、地域の食文化を支えている。
古川地区には、創業百年を超える味噌専門店があり、地元の家庭や飲食店に麹を提供している。店内には、木桶や麹蓋が並び、麹室(こうじむろ)からはほのかに甘い香りが漂う。麹づくりは温度と湿度の管理が命であり、職人の経験と勘がものを言う世界だ。
こうした麹店は、単なる製造業者ではなく、地域の「発酵文化の守り人」と言える存在だ。麹は微生物との対話であり、自然と人間の共生の象徴でもある。大崎市の発酵文化は、こうした小さな店の営みの積み重ねによって、今も静かに息づいている。
参考
宮城県味噌醤油工業協同組合「株式会社 中鉢味噌醤油店」
発酵食品と健康効果
近年、発酵食品の健康効果が注目されている。乳酸菌や酵母は腸内環境を整え、免疫力を高める働きがある。味噌や醤油には抗酸化作用があり、日本酒にはアミノ酸やペプチドが豊富に含まれている。発酵食品は、単なる「美味しいもの」ではなく、身体を内側から支える「生きた食べ物」なのだ。
大崎市の人々は、こうした発酵食品を日常的に取り入れ、季節の変化に合わせて食を調整してきた。それは、自然と共に生きる知恵であり、文化でもある。
まとめ
緒絶川の流れを眺めながら、私はふと「発酵とは文化そのものだ」と思った。微生物と人間が共に生きるための知恵。時間をかけて育てること。季節とともに味が変わること。すべてが、文化の営みと重なっている。
大崎市の発酵文化は、単なる食品製造の技術ではない。それは、自然のリズムに寄り添いながら、待ち、育て、見守るという人間の営みそのものだ。古川の「醸室」や橋平酒造、岩出山の麹屋、鬼首のどぶろく──それぞれが、土地の風土と人の手仕事を通じて、発酵という目に見えない力を形にしていた。
発酵食品は、健康にも寄与する。腸内環境を整え、免疫力を高め、身体を内側から支える“生きた食べ物”だ。大崎市の人々は、こうした発酵食品を日常的に取り入れ、季節の変化に合わせて食を調整してきた。それは、自然と共に生きる知恵であり、文化でもある。
そして何より、発酵は“土地の記憶”を宿している。水、米、微生物、そして人の手──それらが織りなす味は、地域の風景そのものだ。大崎市の発酵文化は、静かに、しかし確かに、未来へと受け継がれていく。
私はこの旅を通じて、発酵が持つ力を改めて実感した。それは、体を整える力であり、心を癒す力であり、土地と人をつなぐ力でもある。次は、麹づくりの現場にもっと深く入り込み、発酵の奥深さに触れてみたい。そしてまた、大崎の“生きた味”に出会いに行こうと思う。
