【宮城県仙台市】難読地名「芭蕉の辻」の読み方・語源・由来をたずねるin青葉区大町
仙台市の中心部、青葉通りから国分町通りを一本入った交差点に「芭蕉の辻(ばしょうのつじ)」と呼ばれる場所がある。初見では「ばしょうのつじ」とは読みにくく、「芭蕉」と聞けば、旅の俳人・松尾芭蕉を思い浮かべる人も多いだろう。しかしこの地名は、芭蕉本人とは直接の関係がない。むしろ、仙台城下町の町割の基点として、江戸時代から続く都市の記憶が刻まれた場所なのだ。
私はこの地名の由来を探るため、実際に芭蕉の辻を訪ねて歩いた。交差点の傍らには、奥州街道の道標と「芭蕉の辻」の記念碑がひっそりと佇んでいる。周囲には日本銀行仙台支店や七十七銀行旧本店が並び、かつてこの地が仙台の金融の中心だったことを今に伝えている。
芭蕉の辻は、江戸時代には「札の辻」とも呼ばれ、幕府の制札が掲げられた高札場でもあった。南北に奥州街道(現在の国分町通り)、東西に大町通りが交差するこの辻は、仙台城の大手門へと続く大手筋の起点であり、城下町の構造そのものを象徴する場所だった。
地名の由来には諸説ある。かつてここに芭蕉樹が植えられていたから、繁華な場所であったため「場所の辻」が訛ったもの、あるいは「芭蕉」という虚無僧が住んでいたから──いずれも確定的ではないが、いずれにせよこの辻が仙台の中心であり続けたことは確かだ。
芭蕉の辻の読み方・語源と由来
「芭蕉の辻」という地名は、仙台市青葉区大町一丁目に位置する十字路の名称である。読み方は「ばしょうのつじ」。その由来には複数の説が伝えられている。
ひとつは、かつてこの辻に芭蕉樹が植えられていたという説。もうひとつは、繁華な場所であったため「場所の辻」が訛って「芭蕉の辻」になったという説。そしてもうひとつは、「芭蕉」という名の虚無僧がこの地に住んでいたという説である。いずれも確定的ではないが、いずれもこの地が人々の記憶に残る特別な場所だったことを物語っている。
江戸時代、この辻は「札の辻」と呼ばれ、幕府の制札が掲げられた高札場として機能していた。キリシタン禁制や捨馬令など、藩政の重要な通達がここに掲げられたという。町割の基点として、南北に奥州街道、東西に大町通りが交差するこの辻は、仙台城下の構造そのものを象徴する場所だった。
辻の四隅には、仙台藩の威光を示すために城郭風の高楼が建てられ、藩の御用商人や両替所が軒を連ねていた。経済の中枢として、また都市の顔として、芭蕉の辻は仙台の繁栄を支えていた。
俳人・大淀三千風は、1682年の『松島眺望集』で「芭蕉の辻にこぼれあまる宝の市」と詠み、この地のにぎわいを記録している。芭蕉本人がこの地を訪れた記録はないが、彼の旅の道筋にこの辻が含まれていた可能性は高く、俳号と地名が偶然重なったこの場所に、旅人の想いが重なる。
参考
仙台市「第23集 仙台の由緒ある町名・通名 辻標のしおり」「歩道から見る奥州街道道標「芭蕉の辻」」
レファレンス協同データベース「仙台には「芭蕉の辻」というところがあるが,松尾芭蕉がいつ ...」
芭蕉の辻(仙台城 城下町の中心交差点)
〒980-0804 宮城県仙台市青葉区大町1丁目4−1 明治安田生命仙台ビル 1 階
仙台市青葉区にある「芭蕉の辻」の碑をおとずれる
私は仙台市地下鉄青葉通一番町駅を降り、国分町通りを北へ歩いた。一本路地を入ると、そこに「芭蕉の辻」の交差点が現れる。現代の地図では目立たないが、ここがかつての城下町の中心だったと知ると、風景の見え方が変わってくる。
交差点の傍らには、昭和45年に建立された「芭蕉の辻」の碑が立っていた。隣には「江戸六十九次」「日本橋迄九十三里」と刻まれた道標もあり、ここが奥州街道の重要な地点だったことを示している。碑の背後には七十七銀行の芭蕉の辻支店、日本銀行仙台支店が並び、かつての金融の中心地としての記憶が今も残っている。
辻の四隅を見渡すと、かつて城郭風の高楼が建てられていたという記録が思い出される。今は高層ビルや商業施設が並ぶが、交差点の構造は江戸時代の町割を今に伝えている。私は交差点の中央に立ち、四方を見渡した。西には仙台駅方面へ続くアーケード街、北には東北最大の歓楽街・国分町が広がる。ここが今も仙台の中心であることを実感する。
歩道には、かつての四ツ谷用水の支流が流れていた痕跡も残っていた。伊達政宗が築いた都市インフラの一端が、今もこの辻に息づいている。私はその水の流れを想像しながら、かつての城下町の風景を思い描いた。
この辻を歩いていると、時代の層が重なって見えてくる。江戸の町割、明治の商業地、大正・昭和の金融街、そして現代の歓楽街とアーケード。芭蕉の辻は、仙台という都市の記憶が交差する場所なのだ。
まとめ
「芭蕉の辻(ばしょうのつじ)」は、仙台市の中心部に位置する交差点でありながら、その名の由来や歴史を知る人は少ない。かつては「札の辻」と呼ばれ、仙台城下町の町割の基点として、藩政の制札が掲げられる高札場でもあった。南北に奥州街道、東西に大町通りが交差するこの辻は、仙台藩の威光を示す城郭風の高楼が四隅に建てられ、御用商人や両替所が軒を連ねる経済の中枢でもあった。
地名の由来には諸説ある。芭蕉樹が植えられていたから、繁華な「場所の辻」が訛ったから、虚無僧の芭蕉が住んでいたから──いずれも確定的ではないが、いずれもこの地が人々の記憶に残る特別な場所だったことを物語っている。
私は実際にこの辻を歩き、記念碑や道標、街並みに残る記憶をたどった。交差点の構造、周囲の建物、歩道の痕跡──それらが、仙台という都市の歴史を語っていた。芭蕉本人がこの地に滞在した記録はないが、彼の旅の道筋にこの辻が含まれていた可能性は高く、俳号と地名が偶然重なったこの場所に、旅人の想いが重なる。
芭蕉の辻は、ただの交差点ではない。都市の記憶が交差する場所であり、仙台の歴史と文化が静かに息づいている。時代が変わっても、この辻を通るたびに、かつての城下町の風景がふと立ち上がるような気がする。