【宮城県仙台市】難読地名「根白石」の読み方や語源・由来をたずねるin泉区・根白石村名起因の石
仙台市泉区の西部、七北田川の流れと七ツ森の山並みに抱かれた根白石(ねのしろいし)は、地名の響きからしてどこか神秘的な印象を与える。初めてこの地名を目にしたとき、「根白石」と書いて「ねのしろいし」と読むことに驚いた。さらに調べてみると、その由来には源頼朝にまつわる伝説があるという。私はその真相を確かめるべく、根白石を訪ねることにした。
根白石の地名は、源頼朝が七ツ森で巻狩りを行った際、白い大鹿を見つけたことに由来するという。家来が追い詰めて矢を放ったところ、鹿は姿を消し、そこにあったのは「根の白い大石」だった。頼朝はその大石に腰をかけ、狩りの手柄を調べ、賞したという。この出来事にちなみ、村は「根白石村」と名付けられたと伝えられている。
この伝説を今に伝える「村名起因の石」は、現在も判在家(はんざいけ)地区に残されている。私はその石を訪ね、案内板や石碑を読み、800年以上語り継がれてきた物語に触れた。秋の陽射しの中、彼岸花が咲き誇るその場所には、村人たちの誇りと郷土への愛が静かに息づいていた。
参考
仙台市「泉なつかし写真館―第3回 根白石」
泉かむりの里観光協会【公式】 » 根白石村名誕生の石、そのゆえんとは。
根白石の読み方や由来・語源
根白石という地名の由来には、源頼朝の巻狩りにまつわる伝説が残されている。時は鎌倉時代の初め、頼朝が七ツ森で巻狩りを行っていた際、白い大鹿が現れた。家来の畠山重忠と和田義盛がその鹿を追い、七北田川のほとりまで追い詰め、川向こうから矢を放った。
ところが、川を渡って近づいてみると、そこにいたのは鹿ではなく「根の白い大石」だった。頼朝はその大石を見て「見事な石よ」と感嘆し、腰をかけて狩りの手柄を調べ、家臣たちに賞を与えたという。そしてこの地を「根白石村」と呼ばせたのが、地名の始まりとされている。
この伝説は、単なる言い伝えにとどまらず、地域の人々によって大切に語り継がれてきた。大石はその後、たびたびの洪水で流されてしまったが、村人たちはその記憶を惜しみ、享保13年(1728年)に石神として小碑を建立。さらに平成10年には、ふるさと創生会が創立10周年を記念して、大鹿に見立てた大石を再建し、由来を記した案内板とともに現在の場所に祀った。
この石は、村名の起源を象徴するだけでなく、地域の誇りと歴史を後世に伝える「語り石」としての役割を果たしている。根白石という地名には、白鹿と大石、そして頼朝の記憶が静かに息づいているのだ。
伝説の「根の白い大石」と根白石城跡を訪れる
私は仙台市営バスに揺られ、「判在家(はんざいけ)」のバス停で降りた。そこから少し歩くと、道沿いに「根白石村名起因の石」と刻まれた案内板と、ひときわ大きな石が現れた。秋の陽射しの中、彼岸花が赤く咲き誇り、周囲の田畑と調和するようにその石は静かに佇んでいた。
石の表面は苔むし、根元は白く見えなくもない。案内板には、頼朝の巻狩りの伝説が丁寧に記されていた。白鹿を追って矢を放ったら、それは「根の白い大石」だった──その不思議な出来事が、村名の由来となったという。
石の隣には、平成10年にふるさと創生会が建立した記念碑があり、村人たちの郷土への誇りと、伝説を後世に伝えようとする強い意志が感じられた。碑文には「大鹿に見えひょうたという大石を石神に近い場所に建てて、わが郷土の歴史と誇りを後世の子供たちにも伝える」とあった。
碑文には「大鹿に見えひょうたという大石を石神に近い場所に建てて、わが郷土の歴史と誇りを後世の子供たちにも伝える」とあった。
本物の根白石は大雨で七北田川に流されてしまったらしく、似たような大岩が展示されていたが、地域の方の強い郷土愛が伝わった。
根白石村名起因の石
所在地:〒981-3221 宮城県仙台市泉区根白石判在家
根白石村にある白石城跡へ
その後、私は根白石館下にある白石城跡へと足を運んだ。標高はさほど高くないが、城跡の高台からは根白石の集落が一望できた。眼下には七北田川がゆるやかに流れ、田畑が広がる。遠くには泉ヶ岳の稜線がくっきりと浮かび、秋の空に映えていた。
この地に城が築かれた理由が、風景を見渡すことでよくわかる。川と山に守られた地形、見通しの良さ、そして集落との距離感──すべてが、かつての暮らしと防衛の知恵を物語っていた。
風に乗って、どこかから稲刈りの音が聞こえてきた。根白石は今も農業の盛んな地域であり、地名の由来とともに、人々の営みが脈々と続いている。私は城跡の石段に腰を下ろし、眼下の風景を眺めながら、白鹿と大石の伝説が生まれたこの土地の記憶に、静かに耳を澄ませた。
所在地:〒981-3221 宮城県仙台市泉区根白石館下41
まとめ──根白石に刻まれた白鹿と大石の伝説(約620字)
仙台市泉区の難読地名「根白石(ねのしろいし)」は、ただの地名ではない。それは、源頼朝の巻狩りにまつわる伝説と、村人たちの記憶が織りなす物語の結晶である。白い大鹿を追って矢を放ったら、それは「根の白い大石」だった──この不思議な出来事が、村名の由来となった。
この伝説は、800年以上にわたって語り継がれてきた。大石は洪水で流されたが、村人たちはその記憶を惜しみ、享保13年に石神として祀り、平成10年には再び大鹿に見立てた大石を建立した。今もその石は、判在家の地に静かに佇み、訪れる人々に語りかけてくる。
私は実際にその石を訪ね、案内板や碑文を読み、彼岸花が咲く風景の中で、地名の奥にある物語に触れた。根白石という地名には、白鹿と大石、そして頼朝の記憶が静かに息づいている。地名とは、土地の記憶を織り込んだ言葉である──そのことを、私はこの旅で改めて実感した。