【宮城県涌谷町】日本初の金の産地「黄金山神社」で金運や金文化をたずねるin黄金山神社

「黄金の国ジパング」——この言葉に心躍らせたのは、マルコ・ポーロの『東方見聞録』を読んだときだった。日本が金に満ちた国として語られたその背景には、実際に金が産出された歴史がある。奈良時代、聖武天皇が東大寺の大仏建立に必要な金を求めていたとき、陸奥国から献上された砂金がその願いを叶えた。日本で初めて金が産出された地、それが宮城県涌谷町の黄金山である。

今回私は、その“金の聖地”とも言える涌谷町を訪れた。目的は、黄金山神社への参拝と、天平ろまん館での砂金採り体験。金運スポットとしても知られるこの地には、歴史と文化、そして人々の祈りが今も息づいている。神社の境内には万葉歌碑が並び、奈良の都とみちのくが“金”で結ばれたことを静かに語りかけてくる。

涌谷町は、ただの観光地ではない。ここには、日本の金文化の原点がある。金を祈り、金を掘り、金を讃える——そんな土地の空気を肌で感じながら、私は黄金山神社の石段を登った。金色の鳥居の向こうに広がるのは、過去と現在が交差する、静謐で力強い空間だった。

参考

黄金山神社「黄金山神社のご案内

黄金山神社 - みちのくGOLD浪漫黄金山神社 |日本遺産ポータルサイト - 文化庁

黄金山神社とは

黄金山神社(こがねやまじんじゃ)は、宮城県遠田郡涌谷町黄金迫に鎮座する神社で、奈良時代に日本で初めて金が産出されたことを記念して建立された由緒ある社である。祭神は鉱山神・金山毘古神(かなやまひこのかみ)を主とし、天照皇大神、猿田彦命などを配祀する。現在では商売繁盛や金運上昇の神としても広く信仰されている。

天平21年(749年)、陸奥国守・百済王敬福が小田郡(現在の涌谷町)で産出された砂金900両を聖武天皇に献上したことで、東大寺の大仏建立が可能となった。天皇はこの喜びから元号を「天平」から「天平感宝」へと改めたほどである。この産金を讃えるため、神社の境内には大伴家持の万葉歌碑が建てられ、奈良の都とみちのくが“金”で結ばれた歴史を今に伝えている。

境内には「日本黄金始出碑」や「万葉歌碑」、茶室「くがね庵」(黄金の音読みである”こがね”にかけたか)などがあり、四季折々の自然とともに金文化を感じられる空間が広がっている。また、ベガルタ仙台のチームカラー「ベガルタ・ゴールド」は、この地の産金に由来しており、選手たちが必勝祈願に訪れることでも知られている。

参考

みちのく黄金山めぐり

所在地: 〒987-0121 宮城県遠田郡涌谷町涌谷黄金宮前23
電話番号: 0229-42-2619

黄金山神社の読み方と由来・語源

黄金山(こがねやま)という地名は、宮城県涌谷町において特別な意味を持つ。奈良時代、天平21年(749年)に陸奥国小田郡で砂金が発見され、聖武天皇に献上されたことで、東大寺の大仏建立が可能となった。この歴史的な産金を讃えるため、地名は「黄金迫(こがねはざま)」、神社は「黄金山神社」と名付けられた。

『続日本紀』には「天平21年2月、陸奥国始貢黄金、於是奉幣以告幾内七道諸社」と記されており、国家的な慶事として産金が扱われたことがわかる。また、神社の由緒には「天平勝宝元年小田郡始出黄金、因建祠祭山神。延喜制列小社」とあり、産金を記念して山神を祀る社が創建されたことが記されている。

語源については、本居宣長が『古事記伝』で「カグツチ(火の神)が母イザナミを焼死させたことから“仇子(あたご)”と呼ばれ、それが“愛宕”の語源となった」と述べているが、涌谷の「黄金山」はその名の通り、金の発祥を讃える地名である。柳田国男は「地名の研究」で「黄金」は高所や境界を意味する「あて」から派生したとも説いているが、涌谷の場合は明確に産金の実績に基づく命名である。

この地名には、金を生み出した土地への誇りと、国家を支えた資源への感謝が込められている。黄金山神社はその象徴として、今も人々の祈りを受け止めている。

黄金山神社と天平ロマン館を訪れる

涌谷町の黄金山神社を訪れたのは、秋晴れの午後だった。黄金迫の地名にふさわしく、神社の鳥居は金色に輝き、参道の先には静謐な空気が漂っていた。石段を登ると、拝殿が現れ、その脇には「日本黄金始出碑」と「万葉歌碑」が並ぶ。万葉歌碑には、大伴家持が詠んだ反歌が刻まれている。

「須売呂岐能 御代佐可延牟等 阿頭麻奈流 美知能久夜麻爾 金花佐久」

訳すれば、「鶏が鳴く東の国の陸奥の小田なる山に金ありと奏し賜へれ…」という意味で、金の発見が国家の繁栄につながることを讃えている。この歌は万葉集巻18に収められており、涌谷町が“万葉北限の地”とされる所以でもある。

境内には茶室「くがね庵」があり、金箔をあしらった床の間や水琴窟の音が風雅な空間を演出している。拝殿の前には、ベガルタ仙台の必勝祈願ダルマと選手サイン入りユニフォームが展示されており、地元の誇りとスポーツ文化が交差していた。毎週金曜日には特別御開帳が行われ、参拝者が勝利を祈願する姿も見られる。

参拝後は、天平ろまん館へ向かい、砂金採り体験に挑戦した。「椀がけ法」という方法で、ゴールドパンを使って砂をすくい、水中でゆすりながら比重の重い砂金を探す。最初は難しかったが、繰り返すうちに金色の粒が皿の底に現れたときの感動は格別だった。採れた砂金はその場でキーホルダーに加工してもらい、旅の記念として持ち帰った。

館内には、産金遺跡の展示や金文化にまつわる資料が並び、涌谷が「黄金の国ジパング」の原点であることを実感できる。金は単なる鉱物ではなく、祈りと文化の象徴であり、涌谷町の空気にはその誇りが今も息づいている。

この旅を通して、私は“金”という存在が人々の心にどれほど深く根ざしているかを知った。黄金山神社は、過去と現在、そして未来をつなぐ祈りの場であり、涌谷町はその金文化を今も大切に守り続けている。

まとめ

涌谷町の黄金山神社を訪れ、砂金採りを体験したことで、私は「黄金の国ジパング」の原点に触れたような気がした。奈良時代、聖武天皇が東大寺の大仏建立に必要な金を求めていたとき、陸奥国から献上された砂金がその願いを叶えた。その金が産出された地に立ち、祈りを捧げ、砂金を手にしたとき、金とは単なる富ではなく、文化であり、祈りであり、歴史そのものだと実感した。

黄金山神社の境内には、万葉歌碑や「日本黄金始出碑」が並び、奈良の都とみちのくが“金”で結ばれたことを静かに語りかけてくる。茶室「くがね庵」では金箔をあしらった空間で一服の抹茶をいただき、金文化の雅を味わうことができた。ベガルタ仙台の必勝祈願ダルマや選手サイン入りユニフォームが展示されているのも、地域と信仰、スポーツが交差する象徴的な風景だった。

天平ろまん館での砂金採り体験は、金の重みと輝きを手のひらで感じる貴重な時間だった。採れた砂金をキーホルダーに加工してもらい、旅の記念として持ち帰ったその小さな粒には、涌谷町の歴史と誇りが詰まっているように思えた。

この町には、金を讃える人々の心が今も息づいている。黄金山神社は、過去と現在、そして未来をつなぐ祈りの場であり、涌谷町はその金文化を今も大切に守り続けている。黄金の国の記憶を辿る旅は、私にとって心の奥に光を灯すような体験だった。

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