【宮城県南三陸町】志津川湾の海文化・歌津町・サンオーレそではま海水浴場
志津川湾に抱かれて──南三陸の海と文化を歩く
三陸海岸の南に位置する南三陸町。リアス式海岸が織りなす複雑な入り組みは、まるで自然が編んだ網のように、海の恵みを逃さず抱きとめている。
南三陸町が面する三陸沖は、世界三大漁場のひとつとされるほどの豊穣な海域。その恩恵を受けて、宮城県内には「特定第3種漁港」が3港も存在する。気仙沼港・石巻港・塩釜港──いずれも全国的に重要な水産拠点であり、遠洋・沖合・沿岸漁業の拠点として機能している。
この「特定第3種漁港」は、全国にわずか13港しか存在せず、1県に3港が集中しているのは宮城県のみ。これは全国唯一の事例であり、宮城がいかに海と密接に結びついた県であるかを物語っている。
南三陸町の志津川湾も、この漁業圏の一角を担っており、養殖業や加工業が盛んだ。湾内で育てられる銀鮭やホヤは、全国に出荷されるブランド品となっている。
志津川湾──自然のいけす
町の中心に広がる志津川湾は、まさに自然のいけすと呼ぶにふさわしい地形をしている。湾入するかたちで町に抱かれ、外海の荒波を遮りながら、内海の穏やかさを保っている。この地形が、古代から人々の暮らしを支えてきた。
湾内では、牡蠣やホヤ、銀鮭などの養殖が盛んに行われており、季節ごとに海の表情が変わる。漁師の話によれば、「志津川湾は潮の流れがちょうどよく、魚が育ちやすい」とのこと。リアス式海岸の複雑な入り組みが、魚の隠れ家となり、豊かな漁場を形成しているのだ。
志津川湾の漁業統計
2024年度の統計によれば、志津川湾を含む南三陸町の水産物出荷額は約150億円を超え、県内でも上位に位置する。特に銀鮭の養殖は全国有数の規模を誇り、ホヤ・牡蠣・ワカメなども安定した生産量を維持している。
湾内の漁業者数は約1,200人。その多くが家族経営の小規模漁業を営んでおり、海との距離が近い暮らしが今も続いている。志津川湾は、単なる漁場ではなく、生活と文化が交差する「海の集落」なのだ。
サンオーレそではま海水浴場──湾に浮かぶ憩いの浜
そんな志津川湾の中に、まるで宝石のように浮かぶ海水浴場がある。「サンオーレそではま海水浴場」。砂浜の全長300メートルに由来するその名は、地元の人々にとっても親しみ深い。志津川湾の中にあるため波も穏やかだ。
内湾に位置するため波は非常に穏やかで、小さな子どもでも安心して泳げる。白い砂浜と青い海、そして周囲を囲む山々とのコントラストが美しく、まるで絵画のような風景が広がっている。2023年には、環境・安全・教育・アクセスなどの基準を満たしたビーチに与えられる「ブルーフラッグ」を取得。東北では初の認証ビーチとして、国内外から注目を集めている。
海水浴場のすぐそばには、歩いて渡れる小さな島「荒島」がある。島内には荒嶋神社が祀られ、弁財天の島として知られている。かつての津波の記録を刻んだ石碑もあり、海の恵みと脅威を同時に感じさせる場所だ。神社の鳥居越しに見る志津川湾は、どこか神秘的で、海と人との関係を静かに語っている。
海を見ながら食べる──贅沢な時間
湾沿いには釣舟屋や海鮮レストランが点在しており、志津川湾を眺めながら食事ができる。朝獲れのウニやホヤ、銀鮭の刺身定食は、海の香りとともに舌に広がる。この風景の中で食べるという行為は、ただの食事ではなく、海との対話のようだった。
ある店の窓際に座ると、湾の向こうに漁船がゆっくりと戻ってくるのが見えた。潮の香りとエンジン音、そして湯気の立つ味噌汁──この町では、日常がすでに贅沢なのだ。
古代からの暮らし──遺跡と地名の記憶
志津川湾の豊かさは、古代から人々を惹きつけてきた。町内には縄文時代の遺跡も点在しており、海とともに生きる文化が根づいていたことがうかがえる。2005年に志津川町と歌津町が合併して南三陸町となったが、それぞれの地名にも深い意味がある。
「志津川」は「静かな川」あるいは「志津(しづ)=清らかな水」に由来するとも言われ、「歌津」は「歌(うた)=詠む、祈る」と「津=港」が合わさった地名とされる。
志津川の歴史──風土記に刻まれた海と人の記憶
南三陸町の中心地・志津川は、古くから海とともに生きる町だった。江戸時代、仙台藩が領内の村々の実情を把握するために編纂させた地誌『封内風土記』(安永5年・1772年完成)には、志津川村の様子が記されている。著者は仙台藩儒学者・田辺希文。彼は藩主・伊達重村の命を受け、領内の地形・人文地理・信仰・産業などを詳細に記録した。
その中に、志津川村を流れる「清水川」についての記述がある。
「清水川ハ村ノ西ニ在リ、源ヲ山中ニ発シ、流レテ村ノ中ヲ貫キ、海ニ入ル。水清冽ニシテ、村民飲用ニ供ス。」
この一文からも、川が生活の中心であり、海へとつながる命の流れであったことがうかがえる。志津川湾には、清水川のほかにも八幡川、水尻川、新井田川などが流入しており、いずれも山々を通って豊富な栄養を海に届けている。リアス式海岸の複雑な地形と、山からの恵みが交差することで、湾はまさに「自然のいけす」となっているのだ。
詩歌に詠まれた志津川──海と祈りの言葉
志津川の海は、古くから詩歌にも詠まれてきた。江戸期の俳人・大淀三千風は、志津川を訪れた際にこう詠んでいる。
「志津の浦 波にまかせて 舟を出す」
この句には、湾の穏やかさと、漁に出る人々の静かな覚悟が込められている。また、地元の民謡「志津川甚句」では、海の恵みと祭りの賑わいが歌われ、今も盆踊りなどで親しまれている。
神話と民話──海に宿る物語
南三陸町には、海にまつわる神話や民話が数多く残されている。歌津地区の「神割崎」には、かつてクジラが浜に打ち上げられ、村人たちがその処遇を巡って争った際、神が岩を割って境界を示したという「クジラの仲裁伝説」がある。
また、「織衣明神」の娘「おるい」にまつわる伝説も語り継がれている。海に身を投じた娘の悲話は、今も岬の風に乗って語られているという。八雲神社には、スサノオノミコトを祭神とする神話も残り、海の荒ぶる力と祈りの関係が色濃く刻まれている。
これらの物語は、単なる昔話ではない。海とともに生きる人々の記憶であり、志津川湾の波に今も揺れている文化なのだ。
南三陸町──ここは、海の恵みと祈りが交差する場所だった。リアス式海岸が育んだ漁場、湾に浮かぶ憩いの浜、そして神話が息づく岬。私はこの町を歩きながら、海と人との関係が、単なる生業ではなく「文化」そのものであることを実感した。
志津川湾を見ながら食べる一膳のご飯、荒嶋神社の鳥居越しに見る波、神割崎の風に乗る伝説──それらすべてが、南三陸の奥深さを静かに語っていた。