【宮城県仙台市】難読地名「猿曳丁」の読み方や語源・由来をたずねるin青葉区五橋猿曳丁通り
仙台市青葉区の一角に、ひときわ目を引く地名がある。「猿曳丁(さるひきちょう)」——初めてその名を目にしたとき、私は思わず立ち止まった。猿を曳く町?その響きは、どこか滑稽で、どこか懐かしく、そして不思議な余韻を残す。地名は土地の記憶を語る語り部だ。猿曳丁という名に込められた物語を探しに、私はこの路地を歩いてみることにした。
広瀬川の流れに寄り添う土樋周辺は、かつて城下町として栄えた面影を今も残している。細い路地を抜けると、古い町屋が点在し、軒先には季節の草花が揺れていた。地元の人に尋ねると、「昔は猿回しが通った道だって聞いたことがあるよ」と教えてくれた。猿曳丁——その名は、猿と人がともに生きた時代の記憶を今に伝えているようだった。
この地名の由来を辿ると、江戸時代の仙台藩にまで遡る。猿曳きという職業が存在し、猿を連れて芸を披露する人々がこの地に住んでいたという記録が残されている。猿は「去る」に通じることから、魔除けや厄除けの象徴とされ、正月などのめでたい時期には家々の前で芸を披露し、福を呼び込む風習もあったという。
猿曳丁という地名は、ただの通り名ではない。それは、仙台の町に生きた人々の記憶と、猿とともに歩んだ芸能の歴史が宿る場所。地名に宿る記憶を辿る旅は、いつも私に新しい風景を見せてくれる。
参考
仙台市「道路の通称として活用する歴史的町名の由来(《猿曳丁》通り」
所在地:〒980-0022 宮城県仙台市青葉区五橋2丁目10
猿曳丁の読み方・由来・語源
「猿曳丁」と書いて「さるひきちょう」と読む。仙台市青葉区土樋周辺に位置するこの地名は、江戸時代から続く由緒ある町名であり、仙台藩の城下町形成の中で生まれたとされる。読み方は一見難解だが、意味を知るとその響きが土地の記憶を呼び起こす。
猿曳丁の語源・由来は、江戸時代の地誌『仙台鹿の子』に記された伝承に基づいている。そこには、猿曳きがこの地に住んでいたこと、あるいは猿を連れて芸を披露していたことが記されている。猿曳きとは、猿回しの芸人のことで、猿を使って芸を見せる職業。猿は「魔を去る」に通じる縁起の良い動物とされ、正月や祝い事の際に家々を回って芸を披露し、福を呼び込む存在だった。
また、仙台市の公式資料によれば、山王社(現在の青葉区土樋にあった神社)に信夫郡宮代村の山王権現を勧請した際、猿を可愛がっていた新兵衛という人物が政宗公に召し抱えられ、猿もともに連れて行ったという逸話が残されている。この話は、猿曳丁の名の由来として語り継がれており、地元の人々の間でも知られている。
猿曳丁という地名は、仙台藩の職人町や芸能町の一角として、猿回しの文化が根付いていた証でもある。地名に「丁」がつくのは、城下町の町割りに由来し、職業や役割に応じて町名が付けられた名残だ。猿曳丁は、猿曳きという職業が町の一部を形成していたことを示している。
このように、猿曳丁の地名は、仙台の歴史と芸能文化、そして人と動物がともに生きた記憶を今に伝える貴重な存在である。
まとめ
猿曳丁という地名に出会ったことで、私は仙台の町の奥深さを改めて知ることができた。地名は、ただの地理的な記号ではない。それは、土地に生きた人々の記憶と、風土に根ざした文化を語る語り部だ。猿曳丁という名には、猿回しという芸能文化、政宗公に仕えた人物の逸話、そして庶民の暮らしに溶け込んだ猿との関係が織り込まれている。
かつてこの町を歩いた猿回しの姿を想像すると、竹馬に乗る猿、太鼓を叩く芸人、笑う子どもたち、手を合わせる母親——そんな風景が目の前に浮かんでくる。猿は、厄を払う存在として、福を呼び込む象徴として、仙台の町に確かに生きていた。
現代では、猿回しの文化は一度途絶えたが、昭和以降に復活した「猿舞座」などの活動によって、再び人々の前に姿を現している。猿曳丁という地名は、そうした文化の記憶を今に伝える“生きた遺産”なのだ。
路地に残る猿と人の記憶——猿曳丁を歩くことで、私は地名が語る物語の豊かさに触れることができた。これからも、こうした地名の由来を辿る旅を続けていきたい。土地の名に耳を傾けることで、私たちは過去と現在をつなぐ静かな声を聞くことができるのだから。