【宮城県】「阿武隈川」の読み方や語源・由来をたずねるin安福河伯神社・竹駒神社
宮城県南部から福島県を縦断し、太平洋へと注ぐ阿武隈川。東北第二の大河でありながら、その名を正しく読める人は意外と少ない。「阿武隈」と書いて「あぶくま」と読むこの地名は、地元民にとっては馴染み深くとも、県外の人には難読地名のひとつだ。
私はこの「阿武隈」という言葉の由来を探るべく、川の流域を歩き、古文書に記された語源を紐解き、そして伝承の地である竹駒神社と竹駒寺を訪ねた。地名とは、ただの記号ではない。そこには土地の記憶、人々の祈り、そして時代を超えて語り継がれる物語が宿っている。
阿武隈川は、平安時代には「あふくまがわ」と呼ばれ、和歌にも詠まれた歌枕だった。『古今和歌集』や『後撰和歌集』には「あふくま」の名が登場し、川の風景と人の想いが重ねられている。時代とともに表記は「逢隈」「遇隈」「大熊」「青隈」などと変化し、現在の「阿武隈」に定着した。
この川の名は、ただの地形的特徴を表すものではない。そこには神話的な由来、動物との遭遇、そして人々の暮らしが織り込まれている。近年では、艦隊育成ゲーム『艦これ』に登場する艦名としても知られ、若い世代にも「阿武隈」の名が広まりつつある。
この記事では、「阿武隈川」の読み方と語源の由来、実際に川を訪ねた記録、そして竹駒神社・竹駒寺に伝わる伝承を通じて、地名に宿る物語を紐解いていく。
参考
東北地方整備局「阿武隈川の歴史」
愛農学園農業高等学校「あぶくまの由来」
国土交通省「阿武隈川水系の流域及び河川の概要 平成24年11月 」
阿武隈川の読み方と語源・由来
阿武隈川——この地名を初めて目にしたとき、正しく読める人は少ないかもしれない。「阿武隈」と書いて「あぶくま」と読む。東北第二の大河であるにもかかわらず、読み方も語源も一筋縄ではいかない。私はこの言葉の由来を探るべく、古文献を紐解き、実際に川の流域を歩き、そして水神を祀る安福河伯神社を訪ねた。
阿武隈川の古称は「あふくまがわ」。平安時代の『三代実録』(貞観5年・865年)には「阿福麻水神」、『延喜式』(912年)には「安福河伯神社」と記されており、いずれも現在の阿武隈川河口付近に祀られていた水神を指す。これらの表記は、後に「阿武隈」へと変化していくが、読み方は「あふくま」「あぶくま」「おおくま」など、時代と地域によって揺れ動いていた。
語源については諸説ある。ひとつは地形説。川が阿武隈山地の突端にぶつかり、大きく曲がる「隈(くま)」をなして流れることから、「阿(あ)=接頭語」+「武隈(ぶくま)」で「阿武隈」となったという説。もうひとつは民俗説で、サケの遡上を好むクマが川に現れ、「逢う熊」=「あふくま」と呼ばれたという。さらに、福島県西白河郡の西甲子岳に住んでいた「大熊(青熊)」という人物または動物に由来するという伝承もある。
また、阿武隈川は古来より歌枕としても知られ、『古今和歌集』や『後撰和歌集』には「あふくま」の名が登場する。和歌の世界では、川の流れは人の想いを運ぶ象徴であり、地名は感情の器でもあったという。
地名の表記も「逢隈」「遇隈」「青隈」「大熊」など多様で、現在の「阿武隈」に定着したのは近世以降とされる。つまり、「阿武隈」という言葉には、地形、動物、神話、文学、そして人々の暮らしが複雑に絡み合っているのだ。
参考
阿武隈ライン舟下り「阿武隈川の歴史」
阿武隈川を歩く
私は阿武隈川の下流域、宮城県岩沼市から亘理町にかけての流域を歩いた。川は穏やかに蛇行し、両岸には田畑が広がる。かつてこの地は「武隈の里」と呼ばれ、阿武隈川の名の由来とされる伝承が数多く残っている。
岩沼市の案内板には、「山の神」と「川の神」が出会い、川が太平洋へと流れるようになったという神話が記されていた。この地は古くから「武隈」と呼ばれ、後に「阿武隈」と表記されるようになったという。
川沿いには「逢隈橋」や「逢隈町」など、かつての表記を残す地名も点在している。市内には「武隈の松」など松尾芭蕉も訪れた歌枕の地もある。地元の人に話を聞くと、「昔は『おおくまがわ』とも呼ばれていた」と教えてくれた。地名の読み方は、時代とともに変化しながらも、土地の記憶として残り続けている。
安福河伯神社を訪ねる
阿武隈川の語源を探る旅の中で、私はどうしても訪れたい場所があった。それが、宮城県亘理郡亘理町に鎮座する「安福河伯神社(あふくかはくじんじゃ)」である。先述したように『延喜式(912年)』にも記される格式ある古社で、阿武隈川の由来になったと言われる水神を祀る神社だ。
神社は亘理町逢隈田沢字岩下にあり、阿武隈川の流れを見下ろす高台に鎮座している。亘理村田蔵王線という街道の近くにあり交通の便が良さそうだ。境内に足を踏み入れると、静寂の中に水の気配が漂い、社殿の前に立つと、まるで川の神に見守られているような感覚に包まれた。
主祭神は速秋津比売神(はやあきつひめのかみ)。水の流れを司る神であり、阿武隈川の守護神として古くから信仰されてきた。社殿は江戸後期の建築で、亘理町指定文化財にもなっている。拝殿の彫刻は見事で、水の神を祀るにふさわしい清らかさと力強さを感じさせる。
境内には由緒書があり、そこには「阿武隈川の治水と北辺守護のために創建された」と記されていた。創建は景行天皇41年(111年)と伝えられ、日本武尊の東征に伴って勧請されたという説もある。古代からこの地が水と戦い、水と共に生きる場であったことがうかがえる。
また、神社の伝承には、山の神と川の神が出会い(=逢隈)、阿武隈川が太平洋へと流れるようになったという神話が残されている。この物語は、地名「阿武隈」の由来とも重なり、神話と地理が交差する場所としての神社の意味を深めている。
地元の方に話を伺うと、「阿武隈川の名前は、この神社から始まったとも言われています」と語ってくれた。
安福河伯神社
所在地:〒989-2383 宮城県亘理郡亘理町逢隈田沢堰下220
電話番号:0223341884
竹駒神社と竹駒寺
阿武隈川の語源を探る旅の最後に、私は岩沼市にある竹駒神社と竹駒寺を訪れた。ここは「武隈明神」と呼ばれた神社が起源とされ、小野篁が白狐を祀ったという伝承が残る地だ。
竹駒神社の境内には「八声の橋」にまつわる伝説が語り継がれており、白狐が八回鳴いたことで神社が創建されたという。かつては「武隈明神」と呼ばれたこの社が、竹駒寺の影響を受けて「竹駒神社」となったという説もある。
この「武隈」が「阿武隈」の表記に変わった背景には、地名の変遷と信仰の融合がある。竹駒神社は、地名と信仰が交差する場所であり、阿武隈川の語源を探る上で欠かせない場所だった。
日本三稲荷 竹駒神社
所在地: 〒989-2443 宮城県岩沼市稲荷町1−1
電話番号: 050-1881-2844
参考:日本三稲荷 竹駒神社
まとめ
阿武隈川——その名は、ただの地形を示す言葉ではない。平安時代の文献に登場する「あふくま」、和歌に詠まれた歌枕、そして「逢隈」「大熊」「武隈」などの多様な表記。そこには、川とともに生きた人々の記憶と祈りが刻まれている。
語源には地形説、動物説、神話説などがあり、いずれもこの川が単なる自然の存在ではなく、文化と信仰の対象であったことを物語っている。川が曲がる「隈」に由来するという説、サケを追う熊との遭遇から名づけられたという民俗的な説、そして水神を祀る安福河伯神社に由来する神話的な説——それぞれが阿武隈川の名に深みを与えている。
私は実際に阿武隈川の流域を歩き、亘理町の安福河伯神社を訪ねた。社殿の静けさ、水神への祈り、そして地元の人々の語りから、この地名がいかに土地の記憶と結びついているかを実感した。神社の伝承には、山の神と川の神が出会い、川が太平洋へと流れるようになったという物語も残されていた。
近年では、艦隊育成ゲーム『艦これ』に登場する艦名として「阿武隈」が知られ、若い世代にもその名が広まりつつある。だが、地名の本質は、こうした流行を超えて、土地と人の関係性に根ざしている。
阿武隈川の名を辿る旅は、言葉の意味を探るだけではなく、土地の記憶と人々の祈りに触れる時間だった。この川の名には、神話と歴史、そして暮らしの記憶が静かに流れている。