【宮城県仙台市】地名「六十人町」の読み方や語源・由来をたずねるin若林区・城取神社・伊達
仙台市若林区に「六十人町(ろくじゅうにんまち)」という町名がある。初めてその名を目にしたとき、私は思わず足を止めた。数字が冠された町名には、何かしらの歴史的背景があることが多い。六十人——その人数が町名になるほどの意味とは何だろう。調べてみると、江戸時代初期、仙台藩が城下町を整備する際に、足軽町として町割されたことが由来だという。
六十人町は、実際に六十人の足軽が住んだ町だった。彼らは藩の命により、福島県伊達市方面から移住してきた可能性が高い。町の鎮守として祀られている城取神社は、福島県伊達市にある同名の神社を分祀したものではないかと考えられている。城取という音は「白鳥」にも通じ、日本武尊を祀る白鳥信仰とのつながりも想像される。
私はこの地名に惹かれ、実際に六十人町を歩いてみることにした。町の空気は静かで、住宅街の中に歴史の層が感じられる。城取神社の鳥居をくぐると、地域の人々の祈りが今も息づいていることが伝わってきた。
地名とは、土地の記憶を映す鏡である。六十人町という言葉の奥には、移住と忠義、そして信仰の痕跡が静かに刻まれていた。
参考
仙台市「町名に見る城下町」「第23集 仙台の由緒ある町名・通名 辻標のしおり」
所在地:〒984-0813 宮城県仙台市若林区
六十人町の読み方と語源・由来
六十人町——読み方は「ろくじゅうにんまち」。仙台市若林区に位置するこの町名は、江戸時代初期に仙台藩が城下町を整備する際、足軽町として町割されたことに由来する。実際に六十人の足軽がこの地に住んだことから、その人数がそのまま町名となった。
仙台藩では、足軽町に人数を冠した町名が複数存在しており、三百人町、六十人町、五十人町などがそれにあたる。これらの町は、藩の軍事的機能を担う足軽たちの居住地であり、町名はその役割と構成を明確に示すものだった。近くには往年の伊達政宗が過ごした若林城があり、政宗の近衛兵のような役割を果たしていたのではと想像してしまう。
六十人町の足軽たちは、福島県伊達市方面から召し出された可能性がある。町の鎮守として祀られている城取神社は、伊達市にある同名の神社を分祀したものではないかと考えられている。地名と神社名が一致していることからも、故郷への想いと信仰が強く結びついていたことがうかがえる。
六十人町という地名には、移住と忠義、そして故郷への祈りが込められている。今もその名が残ることで、仙台の町に刻まれた人々の記憶が静かに語り継がれている。
六十人町を歩く|町割の名残と城取神社への道
六十人町を歩いてみると、まず目に入るのは町の静けさだ。住宅街の中にありながら、どこか時間が止まっているような空気が漂っている。通りを進むと、古い町割の名残が感じられ、仙台城下町の構造が今も地形に刻まれていることがわかる。
町の一角に、城取神社がひっそりと佇んでいた。鳥居は新しく、社殿も清潔に保たれている。私は境内に足を踏み入れ、手水舎で手を清めた。社殿の前に立つと、地域の人々が今も手を合わせている様子がうかがえる。神社の由緒を記した案内板は見当たらなかったが、町名と神社名が一致していることから、町の鎮守としての役割が今も続いていることが感じられた。
城取神社という名は、福島県伊達市にある同名の神社を思い起こさせる。伊達市は、仙台藩の祖・伊達政宗のルーツとも言える地であり、坂上田村麻呂の伝説など古代からの歴史が残る町でもある。仙台に移住した足軽たちが、故郷の神を分祀して祀ったと考えるのは自然なことだ。
城取という音は「白鳥」にも通じ、日本武尊を祀る白鳥信仰とのつながりも想像される。仙台市内では、裏柴田町・表柴田町に白鳥神社があり、そこでは大高山神社の分霊が祀られている。六十人町の城取神社もまた、そうした信仰の系譜に連なるものなのかもしれない。
町を歩きながら、私は地名が語る物語に耳を澄ませていた。六十人町は、ただの住宅地ではない。そこには、忠義を尽くして移住した人々の暮らしと、故郷への祈りが今も静かに息づいていた。
城取神社
〒984-0813 宮城県仙台市若林区六十人町81−81
城取神社と白鳥信仰
六十人町の鎮守・城取神社。その名を見たとき、私はすぐに福島県伊達市にある同名の神社を思い出した。仙台市内では他に「城取神社」の名を持つ神社は見当たらず、六十人町の城取神社は伊達市からの分祀である可能性が高いと感じた。
伊達市の城取神社は、日本武尊(やまとたけるのみこと)を祀る白鳥大明神の系譜に属する神社である。日本武尊は古代の英雄であり、東征の途中で病に倒れた後、魂が白鳥となって天に昇ったという神話が『古事記』『日本書紀』に記されている。この「白鳥伝説」は、全国各地に白鳥神社や白鳥陵を生み出し、信仰の対象となった。
仙台市内にも白鳥信仰の痕跡は残っている。若林区の裏柴田町・表柴田町には白鳥神社があり、そこでは大河原町の大高山神社(日本武尊を祀る)からの分霊が祀られている。これらの町もまた、福島県南部から移住した足軽たちによって形成された町であり、信仰と地名が密接に結びついている。
城取という音は「しろとり」とも「しらとり」とも読める。六十人町の城取神社が白鳥信仰と直接つながっているかどうかは定かではないが、音の響きと移住の背景を考えると、白鳥信仰の文化的影響を受けている可能性は十分にある。
私は城取神社の境内に立ち、静かに手を合わせた。社殿の前には風が通り抜け、どこか遠い土地の記憶が漂っているようだった。地名と神社が語る物語は、仙台藩の移住と信仰の記憶を今に伝えている。
城取神社
〒960-0683 福島県伊達市保原町高成田字清水29番地
参考:経済産業省「城取神社 | 3380005002067 - gBizINFO」、大高山神社「歴史 | 白鳥信仰伝説」
まとめ
六十人町——その名には、江戸時代初期に仙台藩が町割した足軽町の記憶が刻まれている。実際に六十人の足軽が住んだことから名付けられたこの町は、藩の軍事的機能を担うと同時に、移住者たちの故郷への祈りと信仰が息づく場所でもあった。
町の鎮守として祀られている城取神社は、福島県伊達市にある同名の神社を分祀した可能性が高い。伊達市は仙台藩の祖・伊達政宗のルーツとも言える地であり、古代からの歴史が残る町でもある。城取神社の名は「白鳥」にも通じ、日本武尊を祀る白鳥信仰とのつながりを想像させる。
仙台市内には、裏柴田町・表柴田町にも白鳥神社があり、そこでは大高山神社の分霊が祀られている。これらの町もまた、福島県南部から移住した足軽たちによって形成された町であり、信仰と地名が密接に結びついている。
私は六十人町を歩き、城取神社の境内に立った。静かな住宅街の中に、遠い土地の記憶と祈りが今も息づいていることを感じた。地名とは、土地の記憶を映す鏡である。六十人町という言葉の奥には、移住と忠義、そして信仰の痕跡が静かに刻まれていた。
