【宮城県仙台市】地名「成田町」の読み方や由来・語源をたずねるin若林区・箱石神社・石巻市河北

仙台市若林区の成田町(なりたまち)という地名に、私はずっと引っかかっていた。成田といえば千葉県の空港を思い浮かべる人が多いだろうが、仙台にもその名を冠した町がある。しかもその由来は、江戸時代初期に北上川流域の「成田村」から移住してきた足軽たちにあるという。地名の背後に、移動と信仰の物語がある──そう聞けば、じっとしていられない。

成田町は、仙台城下の南東、三百人町南鍛冶町に隣接する細長い町筋だ。周辺には「五十人町」「六十人町」「保春院前丁」「裏柴田町・表柴田町」「土樋」といった古い地名が多い。今では住宅と小さな商店が並ぶ静かな通りだが、かつては仙台藩の大番組に属する足軽たちが暮らしていた。彼らは戦の際、組の旗を守る役目を担っていたという。そんな彼らが、故郷の成田村(現・石巻市河北町飯野川)から勧請したのが、町内に今も鎮座する箱石神社(はこいしじんじゃ)だ。

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私はまず、成田町の箱石神社を訪ねた。小さな社だが、手入れが行き届き、地域の人々に大切にされていることが伝わってくる。境内には、かつての足軽たちの暮らしと信仰が静かに息づいていた。

その後、私はもうひとつの箱石神社を訪ねるため、石巻市相野谷杉ケ崎へと向かった。そこには、成田村の名残をとどめる風景と、同じ名を持つ神社があった。主祭神は高龗神(たかおかみのかみ)──水を司る神であり、山の神でもある。仙台の成田町と石巻の成田村、そして二つの箱石神社。土地を越えてつながる信仰のかたちを、私はこの旅で見つけた。

参考

仙台市「町名に見る城下町

仙台市教育センター「地名辞典 - 仙台市教育センター

所在地:〒984-0056 宮城県仙台市若林区

成田町の読み方と由来・語源

仙台市若林区の成田町(なりたまち)は、三百人町に並行し、南鍛冶町から東へ延びる細長い町筋である。その名の由来は、寛永10年(1633)頃、北上川流域の桃生郡成田村(現・石巻市河北町飯野川)から移住してきた足軽たちにあるという。成田村は地元では「なんだむら」とも呼ばれていたようだ。

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この地に移り住んだのは、仙台藩の大番組に属する足軽60人。大番組とは、藩の戦闘部隊の中核をなす分団であり、彼らは組の旗を護衛するという重要な役目を担っていた。移住後、彼らは新たな町を築き、故郷の名を冠して「成田町」と名づけた。

このように、成田町の地名は単なる地理的な命名ではなく、移住者たちの出自と誇り、そして信仰を反映したものである。彼らは故郷から氏神である箱石神社を勧請し、新天地でも変わらぬ信仰を守り続けた。町内に今も残る箱石神社は、その象徴的な存在だ。

また、明治22年(1889)の上野〜仙台間の鉄道開通により、町の西端が分断されるという変化もあったが、成田町という名とその由来は、今も地域の記憶として受け継がれている。

“なんだむら”から“なりたまち”へ──音の変化の裏には、土地を越えて生きた人々の歴史がある。地名は、ただのラベルではない。そこには、移動と定住、祈りと誇りが刻まれているのだ。

若林区成田町と石巻市河北、それぞれの箱石神社を訪ねる

成田町の箱石神社は、町の一角にひっそりと佇んでいた。鳥居をくぐると、こぢんまりとした社殿が現れる。境内は静かで、掃き清められた砂利道に、地域の人々の手入れが感じられる。私は手を合わせ、かつてこの地に移り住んだ足軽たちの暮らしと祈りに思いを馳せた。

この神社は、彼らが故郷の成田村から勧請したものだという。では、元の成田村には今も同じ神社があるのだろうか──そう思い、私は石巻市相野谷杉ケ崎にある箱石神社を訪ねた。

成田町の箱石神社

〒984-0056 宮城県仙台市若林区成田町104

電話番号:0222236096

石巻の箱石神社は、杉林に囲まれた静かな丘の上にあった。社殿はやや大きく、苔むした石段を登ると、木々の間から光が差し込んでいた。主祭神は高龗神(たかおかみのかみ)。水を司る神であり、山の神でもある。農業と山林に生きる人々にとって、まさに生活の守り神だ。

地元の方に話を伺うと、「この神社は昔から“箱石さま”と呼ばれ、地域の水と山を守ってきた」とのこと。仙台の成田町に勧請されたことについても、「昔、ここから出て行った人たちが、向こうでも箱石さまを祀ったと聞いています」と語ってくれた。

二つの箱石神社は、地理的には離れているが、信仰によってつながっている。人が移動することで、神もまた移動する──それは、土地と人との関係を超えて、祈りが続いていくということなのだ。

旧河北町の箱石神社

所在地: 〒986-0101 宮城県石巻市相野谷杉ケ崎65−3
電話番号: 0225-76-1737

まとめ

仙台市若林区の成田町を歩きながら、私は地名が語る物語の深さにあらためて気づかされた。成田町──その名は、江戸時代初期に北上川流域の成田村(現・石巻市河北町飯野川)から移住してきた足軽たちに由来する。彼らは仙台藩の大番組に属し、戦の際には組の旗を守るという重要な役目を担っていた。新天地である仙台の地に、故郷の名を冠した町を築き、信仰のよりどころとして箱石神社を勧請した。

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町内に今も残る箱石神社は、こぢんまりとした社ながら、地域の人々に大切にされている。境内に立つと、かつての足軽たちの暮らしと祈りが静かに息づいているのを感じる。彼らが故郷から持ち込んだ信仰は、町の記憶として今も続いている。

そして私は、彼らの故郷である石巻市相野谷杉ケ崎の箱石神社にも足を運んだ。杉林に囲まれた丘の上に鎮座する社は、主祭神・高龗神を祀り、山と水を守る神として地域に根付いていた。社務所の方の話からも、仙台の成田町に勧請されたことが語り継がれていることがわかった。

二つの箱石神社──仙台と石巻。地理的には離れていても、信仰によってつながっている。人が移動することで、神もまた移動する。地名とは、ただのラベルではない。そこには、土地を越えて生きた人々の記憶と祈りが刻まれている。

この旅を通じて、私は地名が語る物語の奥深さと、信仰が土地をつなぐ力を実感した。成田町という名に込められた“なんだむら”の記憶、そして箱石神社に宿る祈り──それらは、今も静かに息づいている。地名に耳を澄ませることで、私たちは土地の声を聞くことができるのだ。

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