【宮城県仙台発祥?】どんと祭りって全国で宮城だけ?いつどこで開催?どんと焼きや左義長との違い、発祥と言われる大崎八幡宮の松焚祭をたずねる
1月14日、宮城県内の神社では一斉に炎が立ち上がる。門松やしめ飾り、古いお札が焚き上げられ、御神火にあたることで一年の無病息災や家内安全を祈る──それが「どんと祭」だ。冬の夜空を焦がすような火柱の前に、白鉢巻きと白さらし姿の参拝者が列をなす。鐘を鳴らし、提灯を掲げ、口には「含み紙」をくわえて無言で歩く裸参りの姿は、仙台の冬の風物詩として全国に知られている。
この「どんと祭」は、全国各地で行われる「左義長」や「どんと焼き」と呼ばれる火祭りと似ているが、宮城県では特に独自の発展を遂げてきた。中でも仙台市の大崎八幡宮で行われる「松焚祭(まつたきまつり)」は、300年以上の歴史を持ち、例年10万人以上の参拝者を集める大規模な行事だ。御神火にあたることで心身を清め、年神様を送り出すという信仰が、今も地域に根づいている。
私がこの祭りに惹かれたのは、単なる正月行事としてではなく、土地の信仰や暮らしの記憶が凝縮された「文化の火」としての側面に興味を持ったからだ。全国に似たような行事がある中で、なぜ宮城では「どんと祭」と呼ばれ、これほどまでに盛大に行われるのか。その答えを探しに、私は1月の仙台を訪れた。
参考
大和町「どんと祭」
どんと祭の由来・語源
「どんと祭」という呼称は、実は比較的新しい。もともと仙台市の大崎八幡宮では、正月飾りや古神札を焚き上げる行事を「松焚祭(まつたきまつり)」と呼んでいた。この行事がいつ始まったのかは定かではないが、1849年(嘉永2年)にはすでに恒例行事として定着していたという記録が残る。
では、「どんと祭」という名前はどこから来たのか。1906年(明治39年)、地元紙・河北新報が「九州では“ドンド”と唱える火祭りがある」「大崎八幡宮の総本社・宇佐八幡宮(大分県)の風習が仙台に伝わったのではないか」と報じたことがきっかけとされる。この説に地元が呼応し、観光化の流れも相まって「どんと祭」という呼称が広まったのではないだろうか。ゆえに「どんと祭」は宮城県発祥と言っても差し支えないと思う。
全国的には、同様の火祭りは「左義長(さぎちょう)」や「どんと焼き」と呼ばれている。これらは小正月(1月15日前後)に行われる火祭りで、正月飾りや書き初めを焚き上げて無病息災を祈るという点では共通している。しかし、宮城のどんと祭は、裸参りという独特の風習を伴い、神社の境内で大規模に行われる点で際立っている。
また、どんと祭は高度経済成長期以降、仙台市内の他の神社にも広がり、現在では県内各地で行われるようになった。呼称の由来には諸説あるが、地域の信仰とメディア、観光の力が交差して生まれた「どんと祭」という名前は、今や宮城の冬を象徴する言葉となっている。
参考
仙台市図書館「どんと祭の起原について - 105」
仙台市「大崎八幡宮の松焚祭(どんと祭) - 仙台市の指定・登録文化財」
開催はいつ?どこで?|宮城県内の主な神社と日程一覧
どんと祭は、宮城県内の多くの神社で毎年1月14日に開催される。これは小正月(1月15日)の前夜にあたる日で、正月飾りを焚き上げて年神様を送る「正月送り」の意味合いがある。中でも最も有名なのが、仙台市青葉区にある大崎八幡宮の「松焚祭」だ。例年10万人以上の参拝者が訪れ、裸参りや御神火への参拝で賑わう。
以下は、宮城県内で代表的などんと祭が行われる神社とその概要である:
| 神社名 | 所在地 | 開催日 | 特徴・備考 |
|---|---|---|---|
| 大崎八幡宮 | 仙台市青葉区 | 1月14日 | 松焚祭。裸参りが有名。仙台市無形民俗文化財。 |
| 竹駒神社 | 岩沼市 | 1月14日 | 県南最大級の人出。初詣客も多い。 |
| 仙台東照宮 | 仙台市青葉区 | 1月14日 | 裸参りあり。市内中心部からのアクセス良好。2025年はライブ配信もあった。 |
| 賀茂神社 | 仙台市泉区 | 1月14日 | 地元密着型のどんと祭。 |
| 鹽竈神社 | 塩竈市 | 1月14日 | 初詣客が多く、どんと祭も盛況。 |
| 津島神社 | 登米市迫町 | 1月14日 | 登米中央商工会青年部が松明を持って参拝する「佐沼どんと祭裸参り」が特徴。 |
| 石越総合運動公園 | 登米市石越町 | 1月14日 | 「冬の花火大会」も同時開催。石越の花「あじさい」にちなんだ特注あじさい花火が名物。 |
また、地域によっては開催日が異なる場合もある。たとえば石巻市では1月7日に行われる。これは漁業の都合で松の内が短縮されたことに由来する。盛岡八幡宮(岩手県)では1月15日、西根神社(福島県)では数日間にわたって開催されるなど、地域ごとの事情に応じた日程が組まれている。
どんと祭は、単なる火祭りではなく、地域の生活や信仰、そして年の始まりを祝う大切な節目として、今も多くの人々に受け継がれている。
※開催日に関してはもちろん日時変更もありますので、詳細は各自治体の公式ページをご覧ください。
参考
仙台東照宮「令和7年どんと祭のご案内(ライブ配信実施中)」
鹽竈神社「松明祭(どんと祭)のご案内|行事のご案内」
仙台発祥?大崎八幡宮の松焚祭を訪ねる
1月14日、夕暮れの仙台市青葉区。大崎八幡宮の境内に足を踏み入れると、空気が一変する。参道の両脇には正月飾りや古神札が積み上げられ、火入れを待つ静かな緊張感が漂っていた。午後4時、神職による火入れ式が始まると、忌火が焚き上げられ、炎が夜空を焦がすように立ち上がる。これが「松焚祭(まつたきまつり)」──仙台最大規模のどんと祭であり、300年以上の歴史を持つ正月送りの神事だ。
御神火にあたることで、正月に訪れていた年神様を送り、心身を清めるという信仰が今も息づいている。火の前では、白鉢巻きに白さらしを巻いた裸参りの一団が列をなす。口には「含み紙」をくわえ、右手に鐘、左手に提灯を持ち、無言で歩くその姿は、まるで時代を超えて続く祈りのかたちだった。
裸参りの起源は、酒造りの安全を祈願する南部杜氏の参拝にあるとされる。厳寒の中、氷水で水垢離をしてから神前に向かうその姿は、見る者の心を打つ。市内各地から集まった100以上の団体、約2,500人が参加するこの行列は、仙台の冬の風物詩として全国に知られている。
境内には縁起物を売る出店が並び、だるまや熊手、温かい食べ物を求める人々で賑わう。御神火の前では、手を合わせる人、火にあたる人、静かに見守る人──それぞれの祈りが交差する。松焚祭は、単なる観光イベントではない。土地の信仰と暮らしの記憶が凝縮された、仙台の魂そのものだ。
所在地: 〒980-0871 宮城県仙台市青葉区八幡4丁目6−1
電話番号: 022-234-3606
裸参りの装束と作法
仙台のどんと祭を語る上で欠かせないのが「裸参り」だ。白鉢巻きに白さらし、白足袋にわらじ──その装束は一見すると厳しい寒さに耐えるためのものではなく、むしろ寒さを受け入れるための祈りの衣装だ。口には「含み紙」と呼ばれる紙をくわえ、私語を慎む。右手には鐘、左手には提灯を持ち、無言で神社を目指す。
この裸参りの起源は、江戸時代中期に仙台藩内で酒造りをしていた南部杜氏が、醸造安全と吟醸祈願のために参拝したことにあるとされる。厳寒の中で仕込みに入る前に、身を清め、神に祈る──その姿勢が、今も受け継がれている。現代では企業や地域団体が参加し、事前に健康診断を受けるなど安全面にも配慮されている。
裸参りは、単なる伝統行事ではない。寒さに身をさらし、無言で歩くことで、心を整え、祈りに集中する。御神火の前に立ったとき、体の芯まで冷えたはずの身体が、火の熱と祈りの力でじんわりと温まる。その瞬間、参加者は一年の無病息災を願い、静かに手を合わせる。
女性は一枚羽織ることが許されており、外国人留学生などには服装の規定が緩和されることもある。こうした柔軟性も、地域に根ざした行事としての成熟を感じさせる。裸参りは、仙台の冬にしか見られない、祈りと信仰のかたち。火と寒さ、沈黙と行進──そのすべてが、仙台の冬の風物詩として人々の記憶に刻まれている。
地域ごとの違い|石巻・登米・角田などのどんと祭比較
宮城県内では、どんと祭は各地で行われているが、その様式や雰囲気には地域ごとの違いがある。仙台市の大崎八幡宮の松焚祭が最も有名で、裸参りと御神火が中心となる厳かな神事として知られているが、他の地域ではよりイベント性が強かったり、独自の風習が加わっていたりする。
たとえば石巻市では、どんと祭は1月7日に行われる。住吉町の大島神社によると、これは漁業の都合で松の内が短縮されたことに由来するという。漁の始まりと正月送りが重なるため、合理的な生活慣習として前倒しされた。石巻漁港を擁する地域ならではの事情が、祭りの日程にも反映されている。
登米市の石越総合運動公園では、「石越どんと祭冬の花火大会」が開催される。御神火の焚き上げとともに、冬の夜空に花火が打ち上げられるという、視覚的にも華やかな演出が特徴だ。津島神社の「佐沼どんと祭裸参り」では、提灯ではなく松明を持って参拝するという独自のスタイルが見られる。
角田市では「かくだどんと祭り裸参り」が行われ、参拝者は鳥追い棒を持ち、「ヤー、ホイホイホイ」の掛け声とともに町中を練り歩く。これは、かつての農村部で行われていた鳥追い行事の名残とも言われており、地域の民俗文化が祭りに融合している好例だ。
このように、どんと祭は一つの形式に収まるものではなく、地域の歴史や生活、信仰が反映された多様なかたちを持っている。火を囲み、祈るという根本は共通していても、その表現は土地ごとに異なる。だからこそ、どんと祭を訪ねる旅は、宮城の文化を深く知る旅にもなるのだ。
参考
宮城・石巻市の神社で一足早くどんと祭 無病息災や家内安全を願う | khb東日本放送
まとめ
どんと祭は、火を囲むだけの行事ではない。御神火にあたることで年神様を送り、心身を清め、一年の無病息災を願う──その祈りのかたちは、宮城の冬に深く根づいている。仙台市の大崎八幡宮で行われる松焚祭は、その象徴とも言える存在だ。裸参りの一団が寒空の下を無言で歩く姿は、土地の信仰と季節の厳しさを受け入れる覚悟の表れでもある。
この祭りの起源には、酒造りの安全を祈願した南部杜氏の参拝がある。火と寒さ、沈黙と行進──そのすべてが、仙台の冬の風物詩として人々の記憶に刻まれてきた。また、石巻や登米、角田など、地域ごとに異なるスタイルのどんと祭が存在することも、この行事が単なる一過性のイベントではなく、土地に根ざした文化であることを物語っている。
「どんと祭」という呼称が定着した背景には、地元メディアの影響や観光化の流れもあるが、根底にあるのは人々の祈りと感謝の気持ちだ。火を囲み、手を合わせるその瞬間に、過去と現在、個人と地域が静かに交差する。裸参りの装束や作法には、祈りの形式が宿り、御神火には年神様を送る神聖な意味が込められている。
現代では、交通規制や安全対策、環境配慮なども加わり、祭りのかたちは少しずつ変化している。それでも、火を囲み、祈るという根本は変わらない。どんと祭は、宮城の信仰と季節の記憶を未来へと手渡す、文化の炎なのだ。私たちはこの火を絶やさぬよう、次の世代へと語り継いでいく責任がある。
