【午年・宮城県仙台市】賢聖院 二十三夜堂とは?勢至菩薩のご利益と参拝・御朱印
仙台市青葉区北目町。ビルの谷間にひっそりと佇む「賢聖院 二十三夜堂」は、関東以北で唯一、午(うま)年生まれの守り本尊「得大勢至菩薩」を祀る寺院だ。午年の私にとって、ここは一度は訪れてみたい場所だった。2026年は午年、午年の方や馬好きの方はぜひご参拝はいかがだろうか。参拝時間は10時~16時となっているので注意が必要だ。
ご本尊の縁日は毎月23日。月の化身とされる勢至菩薩に祈りを捧げる「二十三夜講」が行われていたことから、このお堂は「二十三夜堂」と呼ばれるようになったという。
訪れたのは、冬晴れのある日。境内に足を踏み入れると、街の喧騒がふっと遠のき、静かな空気に包まれる。本堂は令和4年に耐震構造で新築されたばかりで、明るく清潔な空間が広がっていた。受付で「午九(うまく)いくお守り」を授かり、ご本尊の前で手を合わせる。真言は「おんさんざんざんさく そわか」。煩悩を打ち砕き、智慧と勢いを授けてくれる仏さまに、心からの願いを込めた。
境内には、東日本大震災の慰霊供養塔や六観音石幢もあり、祈りの場としての深みを感じる。かつては富くじや縁日で賑わったというこの地も、今は静かに人々の願いを受け止めている。午年に限らず、開運や智慧を求める人にとって、賢聖院 二十三夜堂は心の灯をともす場所だと感じた。
参考
所在地: 〒980-0023 宮城県仙台市青葉区北目町7−11
電話番号: 022-722-0238
賢聖院 二十三夜堂とは
仙台市青葉区北目町──この地に静かに佇む「賢聖院 二十三夜堂」は、午年生まれの守り本尊「得大勢至菩薩」を祀る寺院として知られている。だがその歴史を辿ると、単なる干支の寺院ではないことがわかる。創建は平安中期の延久元年(1069年)。慈覚大師円仁の弟子・良性法師によって名取郡郡山北目に建立されたのが始まりとされる。
その後、北目館主・藤原宗房が再建し、さらに慶長5年(1600年)には伊達政宗公が関ヶ原の戦いの本陣とした北目城の足軽衆を現在の北目町に移住させた際、寺院もともに移建されたという。仙台城下において北目町は、奥州街道沿いの伝馬役を担う重要な宿場町であり、芭蕉の辻と並ぶ高札場が置かれるなど、藩政期の仙台の中枢を担っていたと言われている。
境内では富くじが行われ、伝馬期間(12月20日〜25日)の仲日には縁日が立ち、町は賑わいを見せたという。ご本尊は「埋首期摩の作」と伝えられ、梵字で「代」と表される勢至菩薩は、智慧と勢いで人々を明るい世界へ導く仏さまとして信仰を集めてきた。
戦後の復興も、この寺院とともに歩んだ。昭和20年の仙台空襲で堂宇は焼失したが、町内の人々の力で昭和22年に再建。令和4年には耐震構造の新本堂と庫裏が完成し、室内納骨堂「メモワール仙台五橋」も併設された。賢聖院 二十三夜堂は、仙台の歴史とともに歩み、今も街を見守る祈りの場として息づいている。
参考
得大勢至菩薩のご利益とは
賢聖院 二十三夜堂のご本尊は「得大勢至菩薩(とくだいせいしぼさつ)」。関東以北では唯一、午年生まれの守り本尊として祀られているという。勢至菩薩は阿弥陀三尊の一尊で、慈悲の観音菩薩と並び、智慧を象徴する仏さまとして知られる。智慧とは、単なる知識ではなく、物事の本質を見極め、迷いを断ち切る力。勢至菩薩はその光で人々の心を照らし、煩悩を打ち砕いて、明るい世界へと導いてくれる存在だ。
ご本尊の真言は「おん さんざんざんさく そわか」。この言葉には、「どうか、私たちの煩悩を打ち砕くために、勢至さまの大きな勢いを与えてください」という願いが込められている。参拝の際には、手を合わせ、この真言を心静かに唱えることで、智慧と開運のご利益をいただけるとされる。
私が訪れた日も、堂内には静かに手を合わせる参拝者の姿があった。午年生まれの方はもちろん、年齢や干支に関係なく、心の迷いや不安を抱える人々が、勢至菩薩の前で祈りを捧げていた。堂内は明るく、木の香りがほのかに漂い、仏さまの前に立つと自然と背筋が伸びる。
「勢至」という名の通り、この仏さまは“勢いある智慧”を授けてくれる。人生の岐路に立ったとき、迷いを断ち切り、前へ進む力がほしいとき──勢至菩薩の前で手を合わせると、不思議と心が整っていくように感じられる。午年の方にとっては特にご縁の深い仏さまだが、誰にとっても、人生の節目に寄り添ってくれる存在だ。
参考
立命館大学「勢至菩薩 - ArtWiki」
二十三夜堂とは
「二十三夜堂」という名の由来は、勢至菩薩の縁日が毎月23日であること、そしてかつてこの日に行われていた「二十三夜講」にあるという。月の出を待ち、仏さまの化身とされる月に祈りを捧げるこの風習は、かつて日本各地に広がっていた「月待ち信仰」の一形態だ。
月待ちとは、特定の月齢(十五夜、十七夜、二十三夜など)に人々が集まり、月の出を待って祈りを捧げる民間信仰のこと。中でも二十三夜は、下弦の月にあたり、月の出が深夜になるため、夜を徹しての講が行われた。賢聖院では、勢至菩薩が月の化身とされていたことから、二十三夜に人々が集い、助行(じょぎょう)や飯食(おんじき)を共にしながら、月の出を待つ「二十三夜講」が営まれていた。
この講は、単なる宗教行事にとどまらず、地域の人々の交流の場でもあった。月の出を待つ静かな時間の中で、日々の暮らしや悩みを語り合い、仏さまに祈りを捧げる──それは、現代で言う“心のリトリート”のような時間だったのかもしれない。
現在では、夜を徹しての講は行われていないが、毎月23日にはご縁日としてご祈祷が行われ、参拝者が訪れる。月の出を待つという風習は失われつつあるが、その精神は今も堂内に息づいている。月の満ち欠けに合わせて祈るという行為は、自然とともに生きる日本人の感性をよく表している。
賢聖院 二十三夜堂を訪れることは、そうした“夜の祈り”の文化に触れることでもある。月の光に勢至菩薩の智慧を重ね、静かに手を合わせる──その行為は、現代の私たちにも深い癒しと気づきを与えてくれる。
参考
旧賢聖院 二十三夜堂 案内板
午年の参拝体験|「午九(うまく)いく」お守りと御朱印
午年生まれの方にとって、賢聖院 二十三夜堂は特別な意味を持つ場所だ。関東以北で唯一、午年の守り本尊「得大勢至菩薩」を祀るこの寺院では、午年にちなんだ授与品や祈祷が充実している。中でも人気なのが「午九(うまく)いく」お守り。ピンクとブルーの2色展開で、初穂料は900円。名前の通り、“うまくいく”ことを願う人にぴったりのお守りだ。
ご祈祷は毎月23日の縁日に随時受付されており、午年の方はもちろん、開運や心願成就を願う人々が訪れる。祈祷申込書は事前にダウンロード可能で、現地での申し込みも受け付けている。家内安全、身体堅固、学業成就、商売繁盛など、願意は幅広く対応しており、個人の事情に合わせた祈りが可能だ。
午年の守り本尊「得大勢至菩薩」の御朱印
交通安全お守りや色とりどりの一般守り、絵馬、午年の守り本尊「得大勢至菩薩」の御朱印、木札なども授与されており、参拝の記念として手にする人も多い。郵送対応もしているため、遠方からの参拝者にも配慮が行き届いている。
午年の方にとっては、勢至菩薩とのご縁を深める絶好の機会。だが、干支に関係なく、人生の節目や迷いのときに訪れることで、智慧と勢いを授かることができる。賢聖院 二十三夜堂は、静かに心を整え、前へ進む力を授けてくれる場所だ。
まとめ
賢聖院 二十三夜堂は、仙台の街の歴史とともに歩んできた祈りの場だ。平安期の創建から、伊達政宗による移建、戦後の復興、そして令和の再建まで──この寺院は、時代の変化を受け止めながら、常に人々の願いに寄り添ってきた。
ご本尊・得大勢至菩薩は、午年生まれの守り本尊として知られるが、そのご利益は干支に限らない。智慧と勢いで煩悩を打ち砕き、明るい世界へと導いてくれる仏さまは、人生の岐路に立つすべての人にとって、心強い存在だ。
境内には、六観音石幢や慰霊供養塔など、祈りの文化が息づいている。月待ちの信仰に触れながら、静かに手を合わせる時間は、現代の喧騒を忘れさせてくれる。一粒万倍の記念品や「午九(うまく)いく」お守りも、参拝の思い出として心に残る。
仙台の街を見守るこの祈りの灯を、私たちは未来へと手渡していく必要がある。賢聖院 二十三夜堂は、ただの寺院ではない。それは、歴史と信仰、そして人々の願いが交差する、静かな文化の交差点なのだ。
