【宮城県塩釜市】320年以上続く日本三大荒神輿「帆手祭」の読み方や由来をたずねるin鹽竈神社帆手祭
3月10日、塩竈の町に春を告げる音が響く。雅楽の調べと「御発ち!」の掛け声が重なり、白衣の担ぎ手たちが一斉に動き出す。鹽竈神社の表坂──通称「男坂」──202段の急勾配を、重さ1トンの神輿が一気に駆け下りる。沿道には息を呑む参拝者、拍手を送る地元の人々。私はその場に立ち、神輿が放つ緊張感と熱気に包まれていた。
帆手祭(ほてまつり)は、宮城県塩竈市の鹽竈神社で毎年3月10日に行われる春の神事である。火伏せ・厄除け・繁栄を祈るこの祭りは、日本三大荒神輿のひとつに数えられ、塩竈の町にとっては春の風物詩として親しまれている。仙台や県外からも多くの観光客が来る。神輿渡御のほかにも、稚児行列や500人を超える華やかなお供が市内を練り歩き、町全体が祭りの舞台となる。
私が帆手祭に惹かれたのは、神輿が「駆ける」祭りであるという点だった。多くの神輿渡御がゆっくりと進む中、帆手祭では担ぎ手たちが表坂を一気に下り、夕刻にはその坂を力の限り上って還御する。その姿は、神々が町へ降り、再び神域へ戻るという物語を体現しているようだった。塩釜には塩釜みなと祭の神輿渡御や藻塩焼神事といった行事があるが、特に帆手祭は荒々しくて港町らしく好きだ。
午前10時の本殿祭から始まり、発輿祭、神輿出発、市内巡幸、そして夜の還御まで──一日かけて行われるこの祭りは、塩竈の歴史と信仰、そして町の人々の誇りを感じることができる貴重な体験だった。神輿の足音が春を呼び、町の空気が一変する。帆手祭は、塩竈が塩竈であることを思い出させてくれる祭りだった。
参考
鹽竈神社「行事のご案内」
旅東北「帆手祭|東北の観光スポットを探す」
宮城県「鹽竈神社帆手祭(ほてまつり) '25.3.10(月)」
帆手祭の読み方・由来・神事の意味
帆手祭(ほてまつり)は、宮城県塩竈市の鹽竈神社で毎年3月10日に行われる春の神事である。読み方は「ほてまつり」。その名の由来は、港町塩竈にちなんだ「帆手(ほて)」という言葉にあるとされ、海との関わりを感じさせる祭り名である。
もともとは「神輿洗いの神事」として始まり、火伏せを祈願する「火伏祭」として位置づけられていた。神輿を清め、町の災厄を祓い、繁栄を願う──その祈りが、やがて港町の春を告げる祭りへと発展していった。
現在では、鹽竈神社の神輿が市内を御神幸し、厄除け・繁栄・春の訪れを祈る神事として定着している。神輿渡御のほかにも、稚児行列や500人以上のお供が加わり、町全体が祭りの舞台となる。神輿が表坂を下り、市内を巡り、夕刻には再び坂を上って神社に還御するその流れは、神と町、人と季節が交差する塩竈ならではの信仰のかたちである。
帆手祭の歴史
帆手祭の起源は、享保18年(1733年)に遡る。江戸時代中期、鹽竈神社で行われていた「神輿洗神事」が、火伏せを祈る神事として始まり、町の厄除けと繁栄を願う祭りへと発展した。神輿を清めることで、町の災厄を祓い、春の訪れを迎える──その祈りが、帆手祭の根幹にある。
「帆手」という名は、港町塩竈にちなんだ呼称であり、海との関係を象徴している。神輿が町を巡ることで、神々が海から町へ降り、再び神域へ戻るという信仰の流れを体現している。
帆手祭は、毎年3月10日に開催される。神輿渡御の最大の見所は、重さ約1トンの神輿が表坂202段を一気に下りる場面である。担ぎ手16名による無言の渡御は、緊迫感と迫力に満ちており、沿道の観客からは自然と拍手と歓声が湧き上がる。この男らしい神輿担ぎから「日本三大荒神輿」と称されている。
この祭りは、塩竈の人々にとって「春を呼ぶ祭り」として親しまれている。神輿の足音が町に響き、塩竈の空気が一変する。帆手祭は、340年以上にわたって塩竈の信仰と文化を支えてきた、春の風物詩である。
日本三大荒神輿とは?
「荒神輿」とは、神輿渡御の中でも特に激しく、力強く、緊張感を伴うものを指す。日本三大荒神輿として知られるのは、京都の祇園祭、東京の神田祭、そして宮城県塩竈市の鹽竈神社帆手祭である。
帆手祭の神輿は、享保18年(1733)に京都で造られたと伝わる黒漆塗の華麗な神輿。重さは約1トン、担ぎ手は16名。白衣をまとい、口元を清紙で覆った無言の氏子たちが、雅楽の調べに合わせて神輿を担ぎ、表坂202段の急勾配を一気に下る。その瞬間、空気が張り詰め、沿道の観客からは思わず歓声と拍手が湧き上がる。
この神輿渡御は、ただの力技ではない。神輿が町へ降り、神々が人々の暮らしに触れ、再び神域へ戻る──その流れを体現する神事である。夕刻には、同じ神輿が再び表坂を上り、還御する。その姿は、神と人との距離を感じさせる荘厳な儀式であり、塩竈の春を告げる象徴でもある。
実際に訪ねてみた
2025年3月10日、私は塩竈神社の帆手祭を初めて訪れた。朝の本殿祭から始まり、発輿祭の雅楽が鳴り響く境内には、すでに多くの参拝者が集まっていた。「御発ち!」の掛け声とともに、黒漆塗の神輿が表坂の頂に現れる。白衣の担ぎ手たちが無言で構え、緊張感が走る。そして一気に駆け下りる──その瞬間、空気が震えた。
沿道では地元の人々が拍手を送り、観光客が息を呑む。私はその迫力に圧倒されながら、神輿を追って市内へと歩いた。稚児行列や華やかなお供が続き、町全体が祭りの舞台となっていた。
昼過ぎ、私は丹六園に立ち寄り、塩竈銘菓「しほがま」をいただいた。ふわりとした口当たりと、ほんのりとした塩味が、祭りの熱気をやさしく包み込んでくれる。神事の合間に味わうこの菓子は、まさに塩竈の文化そのものだった。
その後、港町らしい昼食を求めて、地元の食堂でマグロ丼を注文した。塩釜市はマグロの水揚げ量日本一のマグロの町だ。新鮮な赤身が丼いっぱいに盛られ、醤油を垂らすと香りが立ち上る。神輿の余韻を感じながら食べるこの一杯は、塩竈の海の恵みを実感する瞬間だった。
午後の神輿渡御では、神輿が市内を練り歩き、須賀神社や御釜神社などの神事箇所を巡る。私は地図を片手に、神輿の順路を追いながら町を歩いた。途中、地元の方に話しかけられ、「帆手祭は塩竈の誇りだよ」と笑顔で語ってくれた。
夕刻、表坂下に戻った神輿が、再び坂を上る。担ぎ手たちの足元には疲労が見えるが、その姿は神々を迎える荘厳な儀式そのものだった。私はその場に立ち、塩竈という町の底力と、信仰の深さを肌で感じた。
帆手祭を歩き、味わい、見届けた一日。民俗的な行事を目の当たりにし、塩竈という港町の奥行きに夢中になった。もっと知りたい、もっと歩きたい──そう思わせる祭りだった。
所在地:〒985-8510 宮城県塩竈市一森山1−1
電話番号:0223671611
まとめ
帆手祭は、塩竈の春を告げる祈りの祭りである。毎年3月10日、鹽竈神社の神輿が町へ降り、火伏せ・厄除け・繁栄を祈る神事として、市民とともに町を巡る。その姿は、神と人、季節と暮らしが交差する塩竈ならではの風景だ。
神輿は重さ約1トン。担ぎ手16名によって、表坂202段を一気に下りるその瞬間は、まさに「荒神輿」の名にふさわしい迫力を持つ。夕刻には同じ神輿が坂を上り、神域へ還御する。その流れは、神々が町に降り、再び戻るという信仰の物語を体現している。
市内を練り歩く神輿には、稚児行列や500人以上のお供が加わり、町全体が祭りの舞台となる。私はその空気を肌で感じながら、丹六園の「しほがま」を味わい、港町の食堂で日本一の塩釜マグロ丼を食べた。塩竈の味覚と文化が、祭りの体験をより深くしてくれた。
帆手祭は、340年以上続く伝統行事でありながら、今も町の人々の誇りとして息づいている。神輿の足音が春を呼び、町の空気が一変する。塩竈という港町が持つ信仰と文化の厚みを、私はこの祭りを通じて実感した。
帆手祭は、塩竈の魂を映す鏡である。神輿の迫力、町の温かさ、海の恵み──すべてが交差するこの祭りは、これからも塩竈の春を告げ続けるだろう。
