【宮城県大崎市】郷土料理「凍り豆腐(こおりどうふ)」の読み方や由来とは?高野豆腐との違いや栄養価、作り方やレシピを紹介inあ・ら・伊達な道の駅
旅をすることで地域文化の源流に触れることができる──私はそう信じている。文化は目に見える建物や祭りだけでなく、町の背景にある物語に宿る。宮城県大崎市岩出山を訪ねた冬の日、私が出会ったのは「凍り豆腐」という郷土食だった。豆腐を凍らせ、乾燥させることで保存性と旨味を兼ね備えたこの食材は、江戸末期に奈良から技術が伝わり、岩出山の気候に適した独自の製法として定着したとされる。栄養価も高く、スーパーフードとしても見直されているようだ。
道の駅「あ・ら・伊達な道の駅」に並ぶ凍り豆腐は、白くきめ細かな表面に土地の誇りが宿っているように見えた。スタッフから「煮物が一番美味しいですよ」と教えられ、家で調理した際には、だしを吸った豆腐が口の中でほどけ、大豆の滋味が静かに広がった。凍り豆腐は、岩出山の冬の風土と人々の知恵が生み出した文化の結晶であり、食べることで土地の記憶を味わう体験となる。
紀行として歩いた岩出山の町並みは、伊達家の城下町としての歴史や、大豆文化が根付いた暮らしを今に伝えていた。凍り豆腐はその延長線上にあり、地域の魅力を発掘する旅の中で、静かにその存在を語りかけてくる。

参考
宮城県商工会連合会「岩出山町の凍り豆腐はその昔、斎藤庄五郎の「一代記」によると」
「めぐみ野」岩出山凍り豆腐|めぐみ野 商品|顔とくらしの見える産直『めぐみ野』|みやぎ生活協同組合
KHB東北放送「岩出山の凍り豆腐作り最盛期 厳しい寒さでおいしい豆腐に 」
目次
凍り豆腐とは
凍り豆腐(こおりどうふ)は、日本の伝統的な保存食であり、鎌倉時代末期に誕生したと伝えられている。大きく分けると二つの系譜があり、ひとつは和歌山県高野山で生まれた「高野豆腐」、もうひとつは信州や東北地方の農村で作られてきた「凍み豆腐」である。両者を総称して「凍り豆腐」と呼ぶようになったとされる。
高野豆腐は僧侶の精進料理として広まり、工業化された製法によって全国に流通するようになった。一方、凍み豆腐は寒冷地の農村で自然の寒さを利用して作られ、土地の風土と人々の知恵が育んだ保存食として伝えられている。
凍り豆腐と高野豆腐の違い
凍り豆腐は、日本の伝統的な保存食であり、その起源は鎌倉時代末期にまでさかのぼる。大きく分けると二つの系譜があり、ひとつは和歌山県の高野山で生まれた「高野豆腐」、もうひとつは信州や東北地方の農村で作られてきた「凍み豆腐」である。両者を総称して「凍り豆腐」と呼ぶようになった。
高野豆腐は、僧侶の精進料理として広まり、現在では工業化された製法によって全国に流通している。固めの木綿豆腐を凍結させ、約20日間熟成させた後に脱水・乾燥する工程を経ることで、スポンジ状の独特な食感が生まれる。栄養価が高く、植物性たんぱく質やカルシウム、鉄分、食物繊維を豊富に含むため、現代では「スーパーフード」としても注目されている。
一方、東北や信州の「凍み豆腐」は、冬の厳しい寒さを利用した自然製法に根ざしている。藁に豆腐を吊るし、夜間の冷気で凍らせ、昼間の陽光で乾燥させることで独特の風味が生まれる。岩出山の凍り豆腐もこの系譜に属し、土地の気候と人々の知恵が育んだ食文化である。高野豆腐が宗教文化に根差した精進食であるのに対し、凍み豆腐は農村文化の保存食として発展した。両者は同じ「凍り豆腐」でありながら、背景にある文化と風土の違いを今に伝えている。
参考
農林水産省「凍り豆腐(こおりどうふ)について教えてください。」
凍り豆腐の栄養素
凍り豆腐は乾燥状態では軽く締まったスポンジ状で、水で戻すとふっくらとした食感になる。栄養面では植物性たんぱく質が豊富で、100gあたり約50gものたんぱく質を含むと伝えられている。またカルシウムや鉄分、亜鉛などのミネラルも多く、骨の健康や貧血予防に役立つとされる。脂質は約34gと比較的多いが、その多くは不飽和脂肪酸であり、血中コレステロールの改善に寄与する可能性がある。さらに食物繊維も含まれ、腸内環境の改善に役立つと考えられている。乾物で保存性が高く、非常食としても重宝される点も大きな特徴である。
参考
こうや豆腐普及委員会「知ればなるほど!スーパーフード「こうや豆腐」 | コラム」
岩出山の凍り豆腐のレシピ
岩出山の凍り豆腐は、素材の味が際立つからこそ、シンプルな調理法が最も美味しさを引き出す。まずは水で戻す工程。冷水でじっくり戻すと、ふっくらと膨らみ、豆腐とは思えないほどの弾力が生まれる。手で軽く絞ると水分が抜け、だしを吸いやすくなる。
定番は煮物。昆布と鰹の合わせだしに、醤油・みりん・酒を加え、戻した凍り豆腐をじっくり煮含める。噛むほどにだしが染み出し、口の中で静かに旨味が広がる。煮崩れしにくいため、根菜や鶏肉との炊き合わせにも最適。地元では雑煮や鍋料理にもよく使われ、冬の食卓に欠かせない存在だ。
炒め物にも応用できる。戻した凍り豆腐を短冊に切り、ごま油で炒めてから味噌や醤油で調味すると、香ばしさとコクが加わる。また、味噌汁の具材としても優秀で、だしを吸った凍り豆腐が汁に深みを与えてくれる。
保存性も高く、冷凍保存すれば長期保存も可能。常備食としても優秀で、忙しい日々の中でも岩出山の風土を感じる一品になる。凍り豆腐は、調理する人の手によって、静かな旨味を語り出す食材なのだ。
農林水産省「凍り豆腐(こおりどうふ)|にっぽん伝統食図鑑 - 宮城県」
凍り豆腐 作り方
伝統的な凍り豆腐の作り方は、地域によって異なるが、基本は豆腐を寒気にさらして凍結させ、昼間の陽光で解凍・乾燥を繰り返す工程である。信州や東北地方では、豆腐を藁に編んで軒先に吊るし、夜間の冷気で凍らせ、日中の太陽で乾燥させる「凍み豆腐」が作られてきた。高野山では、木綿豆腐を凍らせた後に脱水し、火力で乾燥させる「高野豆腐」が完成されたと伝わる。いずれも偶然の産物から始まり、保存食として定着したとされる。
岩出山になぜ凍り豆腐がうまれたのか?
岩出山に凍り豆腐が根づいた背景には、風土・技術・豆文化の三層があると考えられる。まず、岩出山は奥羽山脈の東側に位置し、冬は寒さが厳しいが雪はそこまで多くなく、乾燥と凍結を繰り返すには理想的な気候。この自然条件が、凍り豆腐づくりに最適だった。
岩出山における製法は、玉造商工会の資料によると、江戸末期の1842年に斎藤庄五郎氏が奈良で学んだ氷豆腐の技術を持ち帰ったことに始まるという。明治期には「仙台、石巻、古川、築館等へ出荷スルモノアリ」と記録されており、すでに地域経済を支える換金作物として機能していた。一方でネットを検索していると、伊達政宗が兵糧開発の末に編み出した保存食という伝説もあるようだ。
さらに岩出山には、大豆文化が根づいている。郷土料理として「わら納豆」が有名で、藁に包んで発酵させる素朴な納豆は、冬の保存食として親しまれてきた。また、地元には味噌の老舗「佐藤麹味噌醸造元」など麹専門店が複数あり、発酵文化が生活に深く根づいている。加えてずんだ餅やあんこ餅など餅のタレにも使われる。豆腐・納豆・味噌・餅のタレ──いずれも豆を原料とする食材であり、岩出山はまさに「大豆の里」とも言えるのではないだろうか。
凍り豆腐は、こうした大豆文化の延長線上にある。保存性と旨味を兼ね備えたこの食材は、冬の厳しさを乗り越えるための知恵であり、地域の誇りでもある。岩出山の人々は、自然と共に生きる術としてこの豆腐を作り続けてきた。その姿勢が、今も変わらずこの食材に宿っている。
あ・ら・伊達な道の駅を訪ねる
2024年の冬、雪の気配が漂う宮城県大崎市岩出山を訪れた。目的は、かねてから気になっていた郷土食「凍り豆腐」を手に入れること。向かったのは「あ・ら・伊達な道の駅」。ここは2023年、全国の道の駅の中で来客数が日本一となった場所である。単なる交通の要衝というだけでなく、文化と人の温もりが交差する空間だ。
県道47号線沿いに位置し、秋田・山形・宮城を結ぶ奥羽街道の通過点でもあるため、確かに人の往来は多い。だが、それ以上に私が惹かれたのは、大崎市という土地の文化的な奥深さだった。岩出山の伊達家城下町としての歴史、古代蝦夷の痕跡、そして歌枕の地としての雅な風景──それらが幾重にも折り重なり、土地の空気に厚みを与えている。
館内に入ると、地元野菜や漬物、地酒が所狭しと並び、どれもが「暮らしの中の文化」として息づいていた。冷蔵棚の一角に、整然と並ぶ「岩出山凍り豆腐」が目に留まった。パッケージにはGI(地理的表示)認証のマークがあり、地域ブランドとしての誇りが感じられる。手に取ると、乾燥された豆腐は驚くほど軽く、表面は白くきめ細かい。売り場には製法や歴史を紹介するパネルが設置されており、食材が単なる商品ではなく、土地の記憶を宿す存在であることが静かに語られていた。
購入後、スタッフの方に調理法を尋ねると、「煮物が一番。だしを吸わせると美味しいですよ」と笑顔で教えてくれた。その言葉に、地域の人々がこの食材を誇りに思っていることがにじみ出ていた。凍り豆腐は、岩出山の冬の風土と人の知恵が育んだ食材。道の駅でそれを手にした瞬間、私は岩出山という土地の記憶を、そっと手のひらに受け取ったような気がした。
所在地: 〒989-6405 宮城県大崎市岩出山池月下宮苗代目4−1
電話番号: 0229-73-2236
まとめ
岩出山の凍り豆腐は、冬の寒さを利用した保存食として江戸末期に誕生し、地域の風土と人々の知恵によって育まれてきた。奈良で学んだ氷豆腐の技術を斎藤庄五郎が持ち帰ったことが始まりとされ、岩出山の気候に適した製法が確立された。明治期には仙台や石巻などへの出荷記録も残り、地域経済を支える換金作物としても機能した。
道の駅「あ・ら・伊達な道の駅」で購入した凍り豆腐を煮物にして味わったとき、だしを吸った豆腐が静かにほどけ、大豆の旨味が広がる体験は、土地の記憶を食べることそのものだった。凍り豆腐は保存性が高く、非常食としても重宝される一方で、日常の食卓に豊かさをもたらす万能食材である。
紀行として宮城県大崎市岩出山を歩くと、城下町の歴史や大豆文化の厚みが町の空気に刻まれていることを感じる。凍り豆腐はその文化の延長線上にあり、地域の誇りを今に伝える食材だ。冬の寒さと人の知恵が織りなすこの豆腐は、静かなごちそうであり、岩出山の人々が自然と共に生きる姿勢を今に伝えている。旅の目線でこの食材に触れることは、地域の魅力を発掘する体験であり、文化を味わう旅そのものだった。
投稿者プロ フィール

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地域伝統文化ディレクター
宮城県出身。京都にて老舗和菓子屋に勤める傍ら、茶道・華道の家元や伝統工芸の職人に師事。
地域観光や伝統文化のPR業務に従事。
