【宮城県加美町】670年続く「火伏せの虎舞|初午まつり」は誰がなんのためにつくった?歴史や由来、いつから始まったのか、発祥地の中新田・多川稲荷神社をたずねる

春の加美町中新田を歩くと、町の空気そのものが祭りを待ちわびているように感じられる。毎年四月二十九日に行われる「火伏せの虎舞」は、約六百五十年前から続く伝統芸能であり、強風と火災から町を守る祈りが込められている。奥羽山脈から吹き下ろす風は、かつてこの町を幾度も大火にさらした。人々はその災厄を鎮めるため、中国の故事「雲は龍に従い、風は虎に従う」に倣い、虎の威を借りて風を鎮めようとした。こうして稲荷信仰と結びつき、初午まつりで奉納される「火伏せの虎舞」が始まったのである。

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地名は、土地の記憶そのものだ。音の響き、漢字の形、そこに込められた意味──それらは、風景や暮らし、祈りと結びついている。私は地域文化を記録する仕事をしているが、…

中新田の花楽小路中心に町を練り歩く山車と虎の姿は華やかで、各家の防災と家内安全を祈願する。花楽小路の祭典本部前では、高屋根に登った虎が笛や太鼓の囃子に合わせて舞い、風をはらんだ胴幕が大きく揺れる。その迫力は、ただの演舞ではなく、火伏せの祈りそのものだと感じられる。虎役を務めるのは地元の中学生で、厳しい選考を経て選ばれた少年たちが二人一組で虎に扮し、勇壮な舞を披露する。屋根の上で舞う姿を見上げると、古代から続く祈りが今も生きていることを実感する。

発祥地とされる多川稲荷神社には「火伏せの虎舞発祥の地」の碑があり、明治の大火で唯一焼け残った虎面「神虎」が祀られている。境内に立つと、火災から町を守ろうとした人々の切実な願いが伝わってくる。火伏せの虎舞は、単なる祭りではなく、地域の歴史と信仰を体現する文化遺産であり、加美町の誇りとして未来へと受け継がれている。

参考

加美町「中新田の虎舞

宮城県「加美町 中新田の虎舞」

所在地:宮城県加美郡加美町

火伏せの虎舞とは何か

宮城県加美町中新田に伝わる「火伏せの虎舞(ひぶせのとらまい)」は、春先の強風による大火を鎮めるために始まった伝統芸能である。起源は室町時代にさかのぼり、奥羽山脈から吹き下ろす乾いた風が町を度々火災に見舞ったことから、人々は中国の故事「雲は龍に従い、風は虎に従う」に倣い、虎の威を借りて風を鎮めようと祈願した。

この祈りは稲荷信仰と結びつき、多川稲荷神社の初午まつりで奉納される火伏せ行事として定着した。現在も毎年4月29日に「初午まつり 火伏せの虎舞」として開催され、町内を華やかな山車と虎が練り歩き、各家の防災と家内安全を祈願する。見どころは花楽小路祭典本部前での屋根上の舞であり、地元の中学生が二人一組で虎に扮し、笛や太鼓のお囃子に合わせて勇壮に舞う姿は圧巻である。

火伏せの虎舞は、宮城県指定無形民俗文化財に登録されており、地域の誇りとして保存会によって守られている。火災から町を守ろうとした切実な願いが形となり、今もなお地域の絆を深める文化遺産として受け継がれている。

参考

宮城まるごと探訪「初午まつり 火伏せの虎舞 '25.4.29(火・祝)

火伏せの虎舞の歴史と由来

加美町中新田に伝わる「火伏せの虎舞」は、室町時代に始まったとされる。奥羽山脈から吹き下ろす強風は、春から初夏にかけて町を度々大火に見舞った。人々はその災厄を鎮めるため、中国の故事「雲は龍に従い、風は虎に従う」に倣い、虎の威を借りて風を鎮めようと祈願した。これが火伏せの虎舞の起源である。

当初は稲荷信仰と結びつき、初午の日に稲荷神社で奉納されていた。やがて町の火消組や商人たちが中心となり、山車を伴って町内を練り歩き、各家の防災と家内安全を祈願する行事へと発展した。江戸時代から明治にかけても大火は繰り返され、明治三十五年の大火では町の大部分が焼失したが、虎舞は復活し、火伏せ祈願の象徴として続けられてきた。

現在は宮城県指定無形民俗文化財に登録され、保存会によって守られている。火伏せの虎舞は、単なる祭りではなく、火災から町を守ろうとする切実な願いが形となった文化遺産であり、地域の誇りとして未来へと受け継がれている。

なぜ火に虎舞なのか

虎が火伏せの象徴とされる背景には、中国の故事があるようだ。とくに有名なのが『山海経』や『抱朴子』などに見られる「白虎鎮火」の思想である。白虎は西方を守護する霊獣であり、五行思想では「金」に属し、「火」を制する力を持つとされた。

また、民間信仰では、虎が水を呼び、火災を鎮める存在として祀られてきた。中国南部では、火伏せの祭礼に虎の像を掲げる風習もあり、虎は災厄を祓う霊獣として広く信仰されていた。中新田の虎舞も、こうした東アジアの霊獣信仰が地元の火災除けの祈りと融合したものと考えられる。

中新田「火伏せの虎舞」発祥地・多川稲荷神社をたずねる

加美町中新田の中心に鎮座する正一位多川稲荷大明神は、「火伏せの虎舞」の発祥地として知られている。境内には「火伏せの虎舞発祥の地」と刻まれた石碑が立ち、さらに「神虎」と呼ばれる虎面が祀られている。これは明治三十五年の大火で町の大部分が焼失した際、唯一焼け残った虎面であり、火伏祈願の象徴として大切に守られてきた。

由来記によれば、この稲荷社は670年以上前の室町期に大崎氏が城の鎮守として勧請したもので、地域の五穀豊穣や商売繁盛を祈念する場であった。さらに明和八年(1771年)には京都・伏見稲荷大社から正式に位を授与され、社格の高い稲荷社として位置づけられている。つまり、地域の生活を支える信仰の中心であり、火伏せの虎舞がここで奉納されるのは必然であったといえる。

では、なぜ稲荷神社が火伏せ祈願の場となったのか。ここには稲荷神とキツネの関係性が深く関わっているのはないかと考えている。稲荷神の使いとされるキツネは、田畑を荒らす鼠を退治する存在として農耕社会で重視され、五穀豊穣を守る神の象徴となった。同時に、古代から狐火と呼ばれる不思議な現象が語られ、キツネは霊的な力を持つ存在として火との結びつきが強調されてきた。こうした背景から、稲荷神社は東北地方では火災除けの守護神としても信仰され、火を鎮める祈りの場となったのではないだろうか。

中新田は宿場町として人と物が密集し、火災のリスクが高かった。そのため町の中心に位置する多川稲荷神社が火伏せ祈願を担う場として選ばれ、虎舞はこの稲荷社の初午祭で奉納されるようになった。霊獣・虎を通じて火を鎮める祈りを可視化する芸能として発展し、地域の防火意識を高める民俗行事となったのである。

境内に立ち「神虎」を仰ぐと、火災から町を守ろうとした人々の切実な願いと、稲荷信仰の厚みを肌で感じることができる。ここはまさに、火伏せの虎舞の精神を今に伝える歴史の舞台である。

参考

臼杵市役所「稲荷と狐(その一)

火伏せの虎舞発祥の地多川稲荷神社
住所:〒981-4254 宮城県加美郡加美町北町二番

初午まつり火伏せの虎舞をたずねる

火伏せの虎舞の最大の見どころは、毎年四月二十九日に行われる初午まつりである。町内を華やかな山車と虎が練り歩き、各家の防災と家内安全を祈願する。笛や太鼓のお囃子に合わせて舞う虎の姿は華やかであり、町全体が祈りと熱気に包まれる。

特に花楽小路祭典本部前では、高屋根に登った虎が勇壮な舞を披露する。風をはらんだ胴幕が大きく揺れ、屋根の上で舞う姿は圧巻である。虎役を務めるのは地元の中学生で、厳しい選考を経て選ばれた少年たちが二人一組で虎に扮し、全身で祈りを込めて舞う。その姿を見上げると、古代から続く祈りが今も生きていることを実感する。

初午まつりは、火伏せ祈願から始まった祭りであり、地域の誇りとして未来へと受け継がれている。屋根に登る虎の舞は、火災から町を守ろうとした人々の切実な願いを象徴し、観客を魅了してやまない。

火伏せの虎舞の演目と構成

火伏せの虎舞は、三つの演目で構成されている。まず「本調子の舞」は虎舞の基本であり、笛と太鼓の囃子に合わせて虎が力強く舞う姿を見せる。二人一組で虎に扮した少年たちが息を合わせ、胴幕を大きく揺らしながら舞う様子は、風を鎮める祈りそのものだ。

次に「寝覚めの虎の舞」は、眠りから目覚めた虎がゆっくりと動き出し、やがて勇壮に舞い始める様子を表現している。観客は虎の動きに引き込まれ、まるで生きた虎が目の前にいるかのような迫力を感じる。

最後に「岡崎の舞」は、祭りのクライマックスを飾る演目である。屋根の上に登った虎が風をはらみ、太鼓の激しいリズムに合わせて舞う姿は圧巻で、観客から大きな拍手が起こる。これら三つの舞は、火伏せ祈願の象徴であり、地域の人々の祈りと防火意識を高める役割を担ってきた。

アクセス・観光情報

火伏せの虎舞は、毎年4月29日に加美町中新田で開催される「初午まつり」で奉納される。会場は花楽小路を中心に町内一帯で、朝7時から夕方6時まで虎舞が繰り広げられる。町内を練り歩く山車と虎、そして屋根に登る勇壮な舞が見どころだ。

アクセスは、東北自動車道古川ICまたは大和ICから車で約20分。公共交通では、JR仙台駅西口からミヤコーバス「加美特急中新田行き」で約70分、またはJR東北新幹線古川駅からバスで約30分、中新田西町で下車するのが便利である。駐車場は加美町役場周辺に約600台分が用意されている。

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周辺地域の火伏せ文化

中新田だけでなく、加美町周辺には火伏せの文化が点在している。例えば、宮崎地区では「火伏せ地蔵」が祀られ、旧小野田町では「火伏せの札」を家々に貼る風習が残っている。これらは、火災が頻発した地域ならではの信仰であり、祈りのかたちがそれぞれ異なるのが興味深い。

中新田の虎舞は、こうした火伏せ文化の中でも特異な存在である。霊獣を舞として具現化し、神社の祭礼に組み込んだ点で、芸能と信仰が融合した高度な文化表現と言える。

京都における火伏せ文化

火伏せの文化といえば、京都の愛宕神社が全国的に知られている。言わずと知れた全国の愛宕神社の総本社だ。京都市右京区の愛宕山山頂に鎮座するこの神社は、火伏せの神・火産霊神(ほむすびのかみ)を祀り、古来より「火災除けの神」として信仰を集めてきた。江戸時代には「三歳までに一度は愛宕さんに登れ」と言われるほど庶民の間に浸透し、火伏札(ひぶせふだ)を授かるために多くの人々が参拝した。

愛宕信仰は、京都から全国へと広まり、各地に「愛宕神社」や「火伏せ地蔵」が建立された。火を恐れ、祈りによって鎮めようとする文化は、都市部だけでなく農村にも根づいていった。中新田の「火伏せの虎舞」もまた、火災除けの祈りを芸能として昇華させた独自のかたちであり、愛宕信仰と同じく「火を鎮める」という人々の切実な願いが根底にあると思う。

住所:〒616-8458 京都府京都市右京区嵯峨愛宕町1

電話番号:0758610658

まとめ

火伏せの虎舞を実際に見て歩くと、この祭りが単なる伝統芸能ではなく、地域の祈りそのものだと実感する。奥羽山脈から吹き下ろす強風に悩まされ、大火に幾度も苦しんできた中新田の人々は、火災から町を守るために虎舞を生み出した。中国の故事「雲は龍に従い、風は虎に従う」に倣い、虎の威を借りて風を鎮めようとした祈りが、六百五十年もの時を超えて受け継がれているのである。

演目は「本調子の舞」「寝覚めの虎の舞」「岡崎の舞」と続き、屋根に登った虎が風をはらんで舞う姿は圧巻だ。二人一組で虎に扮するのは地元の中学生であり、厳しい選考を経て選ばれた少年たちが全身で祈りを込めて舞う。その姿を見上げると、古代から続く祈りが今も生きていることを強く感じる。

発祥地の多川稲荷神社には「神虎」と呼ばれる虎面が祀られている。明治の大火で唯一焼け残ったこの面は、火伏せ祈願の象徴であり、町を守ろうとした人々の切実な願いを伝えている。稲荷信仰と火との結びつき、そして宿場町として火災リスクの高かった中新田の地理的背景が、虎舞を生み出す必然を形づくったのである。

火伏せの虎舞は、防災祈願から始まり、地域の絆を深める祭りへと発展した。町内を練り歩く山車、屋根に登る虎、そして観客の拍手。すべてが地域の誇りを象徴している。宮城県加美町を訪れるなら、この勇壮な虎舞をぜひ体感してほしい。火災から町を守ろうとした祈りが、今も息づいていることを実感できるはずだ。火伏せの虎舞は、地域の歴史と文化を伝える貴重な遺産であり、未来へと受け継がれるべき宮城の宝である。

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