【宮城県大崎市】川渡温泉の藤島旅館
「鳴子温泉郷」と聞いて、どんなイメージを持つだろうか。湯治場の風情、硫黄の香り、そして静けさの中に息づく歴史。そんな鳴子の東の玄関口に位置する「川渡温泉」。その中でも、ひときわ格式を感じさせる佇まいを見せるのが、今回訪れた「藤島旅館」だ。
正直、初めてその外観を目にしたとき、思わず足を止めてしまった。道のカーブに沿って広がる平屋建ての巨大な構え。看板には「真癒の湯」の文字が堂々と掲げられ、まるでこの地の湯を守る番人のような風格が漂っていた。
参考資料
藤島旅館の歴史
藤島旅館の創業は、なんと慶長元年(1596年)。記録によれば、当時この地は仙台藩領・陸奥国玉造郡大口村と呼ばれていた。藤島家は「湯守」として、温泉の管理や湯銭の徴収を担い、その一部を藩に上納していたという。
この「湯守」という役割、ただの宿屋ではない。温泉の権利を守り、地域の湯治文化を支える存在だ。江戸時代の温泉番付にも、川渡温泉は名湯として名を連ねており、全国から湯治客が訪れていたというから驚きだ。
川渡温泉の語源と歴史
「川渡(かわたび)」という地名には、荒雄川(江合川)を渡る場所という意味が込められているとされる。古くは「玉造の湯」と呼ばれ、開湯は1000年以上前。承和10年(843年)には温泉湧出の記録があり、延喜式にも「温泉石神社」が記載されている。
江戸時代には「脚気に効く湯」として知られ、「かっけかわたび」という言葉が庶民の間で親しまれていた。仙台藩主・伊達斉邦も脚気の湯治に訪れた記録が残っており、川渡温泉は藩内でも特別な湯治場だった。
玄関に宿る格式と配慮
館内に足を踏み入れると、まず目に飛び込んでくるのが広々とした玄関土間。昭和初期の造りを残しつつ、欅の一枚板が上がり框として使われている。その重厚感に、思わず「これはただの宿じゃないな」と感じた。
そして、ふと目線を落とすと、玄関チャイムが足元の高さに設置されている。女将さんに聞けば、腰の曲がった年配の方でも押しやすいようにとの配慮だという。こういう細やかな気遣いに、宿の哲学がにじみ出る。
温泉石神社──湯の神を祀る聖地
藤島旅館の北側には「温泉石神社」がある。この神社、実は全国に10社しかない温泉神社のうちの一つで、延喜式神名帳にも記載されている由緒正しき社だ。
創建は承和10年(843年)とされ、温泉の噴出にまつわる神話的なエピソードが残っている。境内に足を踏み入れると、まるで時の流れが止まったかのような静寂が広がり、湯と神が共にある土地の霊性を肌で感じることができる。
毎年9月には「献湯式」が行われ、源泉の所有者が湯を神社に奉納し、自然の恵みへの感謝と温泉の繁栄を祈願する。
観光名所と文化の香り
川渡温泉には、温泉以外にも見どころが点在している。
- 準喫茶カガモク:週末に開店しているカフェ、店内には可愛いコケシが沢山
- 川渡公衆浴場:町の人の公衆浴場。公衆浴場なのに源泉かけ流し。
- 川渡の菜の花畑:春には黄色い絨毯のような菜の花が広がり、訪れる人の心を和ませる。
- こけし文化:町のあちこちに「豆こけし」が隠れており、探す楽しみもある。
また、昭和レトロな雰囲気を残す「準喫茶カガモク」では、こけしをモチーフにした雑貨やカフェメニューが楽しめる。温泉と民芸が融合した空間は、まさに川渡ならではの文化的体験だ。
湯治文化
藤島旅館は、今もなお湯治場としての機能を保っている。源泉かけ流し、加温加水なしの天然温泉は、環境庁指定の国民保養温泉にも選ばれている。泉質は含硫黄-ナトリウム-炭酸水素塩・硫酸塩泉。肌にまとわりつくような柔らかさがあり、湯上がりの肌はしっとりと潤う。
館内はリノベーションが進んでいるものの、昭和の香りを残す客室や廊下の造りが、どこか懐かしさを誘う。中浴場にはステンドグラスがあり、湯に浸かりながら光の揺らぎを楽しめるのもまた一興だ。
旅の終わりに
川渡温泉の藤島旅館は、ただの宿ではない。湯の神を祀り、千年以上にわたり湯治文化を守り続けてきた「生きた文化財」だ。その格式ある外観に惹かれて訪れたが、滞在を通じて見えてきたのは、湯と人と神が織りなす物語だった。
この地に足を運ぶたび、私は思う。文化とは、建物や史料だけではなく、人の営みの中にこそ宿るものだと。藤島旅館は、そのことを静かに、しかし力強く教えてくれる場所だった。