【宮城県栗原市】地名「栗原」の由来・語源をたどる旅in伊治城跡・築館八幡神社・栗原寺跡

私は地域文化を記録する仕事をしている。地名は、土地の記憶そのものだ。音の響き、漢字の形、そこに込められた意味──それらは、風景や暮らし、祈りと結びついている。今回訪れたのは、宮城県北西部に位置する栗原市。奥羽山脈の東麓に広がるこの地は、古代から中世、近世にかけて多くの歴史を背負ってきた。

栗原の読み方・語源由来

栗原は「くりはら」と読む。

「栗原」という地名の語源・由来には、いくつかの説がある。最も有力なのは、奈良時代に築かれた伊治城(これはりじょう)に由来するという説だ。『続日本紀』には「置陸奥国栗原郡」と記され、767年に伊治城が設置されたことが記録されている。伊治城の名が「これはり」と訓まれ、それが「くりはり」へ、さらに漢字をあてて「栗原」へと転じたと考えられている。

一方で、ネットを見ていると「栗の生えていた原野」という自然地名説や、「くり=クレ(崩れる)」+「はら=原(開拓地)」という地形由来説もあるようだ。栗原市は栗の産地でもあるし、また度重なる地震で地形が大きく変化してきた地域でもあり、こうした語源の可能性も否定できない。

私はこの地名の背景を探るため、栗原市内を歩き、城跡や神社、川沿いの風景を訪ねてみることにした。地名の由来を探る旅は、土地の記憶と人々の祈りを辿る旅でもある。

伊治城跡

栗原市の地名を語るうえで欠かせないのが、伊治城(いじじょう/これはりじょう)の存在だ。奈良時代、大和朝廷が蝦夷征討のために築いた城であり、陸奥国の北辺防衛の要として機能していた。城跡は現在の築館城生野にあり、迫川と二迫川にはさまれた河岸段丘上に位置している。

私は伊治城跡を訪れた。丘陵地に広がる静かな風景の中に、かつての軍事拠点の痕跡がひっそりと息づいていた。案内板には、780年に伊治公呰麻呂(いじのきみあざまろ)が反乱を起こし、多賀城を焼いた「伊治公呰麻呂の乱」の舞台であることが記されていた。伊治城は政庁・内郭・外郭の三重構造を持ち、東北地方における古代律令体制の成立を知るうえで極めて重要な遺跡とされている。

この「伊治」が「栗原」へと変化した背景には、呰麻呂の反乱によって地名を変える必要があったのではないかという説もある。政治的な緊張や支配の再編が、地名の音や字に影響を与えることは珍しくない。

私は城跡に立ち、風に揺れる草木を眺めながら、「栗原」という名が、ただの自然地名ではなく、歴史の重みを背負った言葉であることを実感した。

この古代の記憶を胸に、私は次に、栗原の地形と農業文化に触れる場所へ向かった。

〒987-2202 宮城県栗原市築館城生野峯岸

栗原の風景に宿る地名の実感

栗原市は、奥羽山脈の東麓に広がる緩やかな丘陵地帯と、北上川水系の豊かな水脈に恵まれた土地だ。市域の約8割が森林や原野、田畑で占められており、岩手・秋田両県に接する自然豊かな田園都市でもある。

私は市内を南北に走りながら、田園風景の中に点在する集落を訪ねた。春には水を張った田が空を映し、秋には黄金色の稲穂が風に揺れる。まさに「原」の記憶が息づく風景だった。

「栗原」という地名の由来には、「栗の木が多く生えていた原野」という説もある。栗は古代において重要な食料であり、山間部の生活を支える存在だった。栗駒山の山麓にはブナやミズナラの森が広がり、栗の木も多く見られる。

また、栗原市は伊達政宗による水田開発の影響を強く受けた地域でもある。仙台藩の石高を増やすため、北上川沿いに広大な水田が整備され、農村文化が根づいた。地名に「原」が含まれることは、こうした開拓の記憶とも結びついている。

私は川沿いの土手に立ち、遠くに栗駒山を望みながら、「栗原」という名が風景と密接に結びついていることを感じていた。

この風景の記憶を辿った後、私は栗原の信仰と民俗に触れる場所へ向かった。

信仰と民俗

栗原市には、古くからの信仰が息づいている。私は市内の神社や寺院をいくつか訪ねた。特に印象的だったのが、築館八幡神社や栗原寺跡。伊達氏の庇護を受けた社や、吾妻鏡に登場する寺院跡には、戦勝祈願や土地の守護を願う人々の祈りが刻まれていた。

また、栗原市内には「田植え踊り」や「虫送り」など、農村の民俗行事が今も残っている。これらの行事は、土地の神への祈りと、自然との共生を願う人々の営みの表れだ。地名「栗原」が、単なる地形の記述ではなく、祈りの場としての意味を持っていることが、こうした民俗からも感じられる。

さらに、花山地区には仙台藩寒湯番所跡が残されており、藩境の関所として旅人や荷物を厳しく検査していた歴史がある。街道文化と信仰が交差するこの場所にも、地名の重みが感じられた。

私は神社の石段に腰を下ろし、風に揺れる木々を眺めながら、「栗原」という名に宿る祈りのかたちを静かに感じていた。

築館八幡神社

所在地: 〒987-2252 宮城県栗原市築館薬師1丁目1−4

電話番号: 0228-22-2393

参考:栗原寺跡 - 全国遺跡報告総覧 - 奈良文化財研究所八幡神社(はちまんじんじゃ)

まとめ

また、ネットを見ていると、地震や地形の変化といった自然環境も、この地名に影響を与えている可能性がある。栗原市は過去に何度も大きな地震を記録しており、山の斜面が大規模に崩れた事例も記憶に新しい。こうした背景から、「栗=クレ(崩れる)」+「原=開けた土地」という語源説も一部で語られている。地名は、風景だけでなく、災害や地質の記憶をも内包しているのかもしれない。

さらに、平安時代には「栗原郷」として『和名類聚抄』に記録され、鎌倉時代には『吾妻鏡』に登場するなど、文献上でも栗原という名は繰り返し現れる。源頼朝と藤原泰衡の文治合戦では、平泉防衛の最後の拠点として栗原・三迫が選ばれた。その後、泰衡の郎党が「栗原寺」で討たれたという記述もあり、現在の栗駒町上品寺付近がその舞台とされている。

栗原という地名は、古代の軍事拠点としての記憶、中世の戦乱の舞台としての記憶、近世の藩政と農村文化、そして現代の自然と共生する田園都市としての姿──それらが幾重にも重なり合っている。私はこの旅を通じて、「栗原」という名が、ただの地理的な呼び名ではなく、土地の歴史と人々の営みを静かに語る言葉であることを深く感じていた。

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