【宮城県栗原市】伝統芸能「一迫町鹿踊」を楽しむinみちのく鹿踊(ししおどり)大会
はじめに
宮城県栗原市一迫町──この地に伝わる鹿踊(ししおどり)は、山の神と人との交信を舞に託した、東北固有の祈りの芸能である。2025年6月15日、一迫山王史跡公園あやめ園で開催された「第37回みちのく鹿踊大会」を訪れた私は、唄と足音が響く舞台に立ち会いながら、自然崇拝と祖霊供養が一体となったその神秘性に深く心を打たれた。鹿頭を戴き、ささらを揺らしながら舞う踊り手たちの姿は、単なる郷土芸能ではなく、土地の霊性と人々の祈りが交差する儀礼そのものだった。なぜ鹿なのか、なぜ「しし」と読むのか──その問いを胸に、私は一迫町の風土と歴史を辿りながら、舞の奥に潜む文化の深層に触れていった。
一迫町鹿踊りとは
一迫町鹿踊は、宮城県栗原市一迫町に伝わる民俗芸能で、祖霊供養と魔除けを目的とした祈りの舞である。踊り手は木彫りの鹿頭に本物の鹿角をつけ、腰には長さ3.6メートルの「ささら」を差し、鹿の姿を模して舞う。唄には山の神、田の神、祖霊への祈りが込められ、跳ねる・踏む・回るといった所作が連続する。流派は早川流・仰山流・行山流・金津流などがあり、それぞれに詞章や舞の構成が異なる。
江戸時代には仙台藩主・伊達政宗がこの踊りを愛好し、仙台城での奉納を命じたとされ、「行参」の文字と伊達家の紋「九曜の星」を授けた記録も残る。現在は清水目・真坂の保存会を中心に継承され、県指定無形民俗文化財として地域の誇りとなっている。
東北歴史博物館:一迫町鹿踊(真坂鹿踊) - 東北歴史博物館 - 宮城県
宮城県:一迫町鹿踊
一迫町はどんな町か
一迫町は、宮城県栗原市の南部に位置する山間の地域で、古くから農耕文化と山岳信仰が息づく土地である。名取川の支流が流れ、肥沃な田畑が広がるこの地では、稲作とともに自然への感謝と畏敬が暮らしの中に根づいてきた。町内には一迫山王史跡公園やあやめ園など、四季折々の風景が楽しめる場所が点在し、文化と自然が調和する空気が漂う。
また、鹿踊をはじめとする民俗芸能が今も盛んに継承されており、地域の人々が誇りを持って伝統を守っている。かつては伊達家の御抱え鹿として保護された歴史もあり、芸能と政治、信仰が交差する文化圏としての奥行きを持つ町である。
なぜ「しし」と読むのか──獣の霊性と古語の重層性
鹿踊が「ししおどり」と呼ばれる理由は、単なる音の変化ではなく、古語における「しし」という語の意味に深く根ざしている。『日本国語大辞典』によれば、「しし」は本来、猪・鹿・熊などの獣類全般を指す言葉であり、特定の動物名ではなかった。つまり「ししおどり」は「獣の踊り」という広義の意味を持ち、鹿踊はその中の一形態と位置づけられる。
千葉大学の学術成果リポジトリに収録された論文「鹿踊りの起源をめぐる伝説について──宮沢賢治を超えて」(著者:吉田司)では、岩手県や青森県に伝わる「獅子踊り」が、実際には鹿頭を用いている例が多く、獅子=鹿という図式が民俗的に成立していることが指摘されている。また、同論文では「獅子踊りは鹿踊りの原像であり、マタギが鹿を捕獲した際に神を勧請して踊ったことに由来する」との伝承も紹介されている。
このように、「しし」という語は獣の霊性を象徴する言葉であり、踊りにおいては神霊との交信を担う存在としての意味を帯びている。鹿踊が「ししおどり」と呼ばれるのは、単なる言葉の変化ではなく、獣を通じて神とつながるという民俗的な世界観の表れなのだ。
参考
吉田司「鹿踊りの起源をめぐる伝説について──宮沢賢治を超えて」千葉大学学術成果リポジトリ CURATOR
なぜ鹿なのか──山の神の使いとしての霊獣と民俗的機能
鹿が踊りの主役として選ばれている理由は、東北地方における自然崇拝と山岳信仰の文脈に深く関係している。鹿は古来より山の神の使いとされ、春には角が生え、秋には落ちるという生態が「再生」や「循環」の象徴とされてきた。修験道においても、鹿は神霊との交信を担う霊獣として位置づけられており、祈りの儀礼において重要な役割を果たしていた。
宮城県教育委員会が発行した文化財資料『宮城県指定無形民俗文化財 一迫町鹿踊』では、鹿踊が祖霊供養と魔除けを目的とした祈りの舞であることが明記されており、踊り手が鹿頭を戴くことで神霊の姿を象徴しているとされる。また、岩手県田野畑村に伝わる鹿踊では、源義経追討に向かった畠山重忠が鹿踊を伝えたという伝承があり、鹿が武士の霊的象徴としても機能していたことがうかがえる。
さらに、鹿はマタギ文化とも関係が深く、狩猟の対象であると同時に、山の神に捧げる供物としての意味も持っていた。鹿踊は、そうした自然との交感の中で生まれた舞であり、単なる模倣ではなく、神と人をつなぐ儀礼のかたちとして成立している。
参考
吉田司「鹿踊りの起源をめぐる伝説について──宮沢賢治を超えて」千葉大学学術成果リポジトリ CURATOR
宮城県教育委員会『宮城県指定無形民俗文化財 一迫町鹿踊』
第37回みちのく鹿踊大会
2025年6月15日、栗原市一迫町の山王史跡公園あやめ園で開催された「第37回みちのく鹿踊(ししおどり)大会」に参加した。あやめが咲き誇る初夏の公園は、山の緑と花々に包まれ、まるで自然そのものが舞台装置となったような空間だった。会場には東北各地から鹿踊保存団体が集まり、早川流・仰山流・行山流・金津流など、流派ごとに異なる唄と所作が披露された。
印象的だったのは、踊り手たちが木彫りの鹿頭に本物の鹿角をつけ、腰に長い「ささら」を差して舞う姿。跳ねる、回る、踏み鳴らす──その動きは力強く、唄には山の神や祖霊への祈りが込められていた。特に「御山開き」「入振舞」「馬乗渡し」などの演目では、修験道の儀礼性を感じさせる所作が随所に見られ、舞が単なる芸能ではなく、神事としての性格を持っていることが伝わってきた。
数百年にわたりこの文化が継承されてきた背景には、栗原という土地の信仰の厚さと、地域の人々の誇りがあるのだろう。山と水に囲まれたこの地では、自然への畏敬が暮らしの中に根づいており、鹿は山の神の使いとして崇められてきた。踊りに宿る霊性は、そうした風土の中で育まれてきたものだ。
舞台の周囲には地元の人々や遠方からの観客が集まり、静かに舞を見守っていた。子どもたちが目を輝かせながら踊り手を見つめる姿も印象的だった。文化とは、制度だけで守られるものではない。人が舞い、語り、祈ることで生き続ける──そのことを、鹿踊は静かに教えてくれる。
参考
一迫観光協会「みちのく鹿踊(ししおどり)大会 | HOME」
山王史跡公園あやめ園
所在地:〒987-2308 宮城県栗原市一迫真坂道満7−8 山王史跡
まとめ文
みちのく鹿踊大会は、単なる郷土芸能の披露ではない。それは、土地の記憶と祈りが舞となって立ち上がる、みちのくの語りのかたちである。栗原市一迫町という山と水に囲まれた土地で、鹿踊は数百年にわたり継承されてきた。その背景には、自然への畏敬、祖霊への感謝、そして地域の人々の誇りがある。
踊り手たちが鹿頭を戴き、ささらを揺らしながら舞う姿は、神と自然をつなぐ儀礼そのもの。唄に込められた詞章、所作の緩急、舞台の空気──それらすべてが、文化の深層を物語っていた。現代において、こうした自然崇拝の文化が今も盛んに行われていることは、驚きであり、希望でもある。
文化とは、制度だけで守られるものではない。人が舞い、語り、祈ることで生き続ける。鹿踊はそのことを静かに教えてくれる舞であり、栗原の風土と人々の心が育んだ、かけがえのない文化遺産である。