【宮城県丸森町】難読地名「筆甫」の読み方・由来語源をたどる旅in八雲神社・筆神社
地名は、土地の記憶を編み込んだ器だ。私は地域文化を記録する仕事をしている。各地の地名の由来や伝承、神社の祭神、産業の背景を掘り下げ、現地の空気を感じながら文章にする──それが私の旅のかたちだ。
今回訪れたのは、宮城県南部、福島県との県境に接する丸森町。その最奥に位置する「筆甫(ひっぽ)」という集落に惹かれた。地図でその名を見たとき、私は思わず目を留めた。「筆」と「甫」──書の道具と耕し始める土地。地名にしては不思議な組み合わせだが、そこには文化と祈りが交差する気配があった。
筆甫は、阿武隈山地の懐に抱かれた静かな里である。峠を越えてようやく辿り着くこの集落は、かつて伊達政宗が領内で最初に検地を行った土地とされ、「筆のはじめ=筆甫」と名付けられたという説が残る。また、八雲神社の境内には「筆神社」があり、毎年11月23日には「ひっぽ筆まつり」が行われる。筆を祀る神社がある地──その名が「筆甫」であることに、私は深い納得を覚えた。
峠道を抜け、杉林の間から差す光を浴びながら、私は筆甫という名に込められた意味を探る旅を始めた。
筆甫
所在地:〒981-2201 宮城県伊具郡丸森町
筆甫の読み方
「筆甫」は「ひっぽ」と読む。初見では戸惑う人も多いが、地元ではごく自然に「ひっぽ」と呼ばれている。口に出してみると、どこか柔らかく、山里の空気を含んだような響きがある。峠を越えた先にある静かな集落──その音の印象は、地形と暮らしに寄り添っているように感じられる。
漢字の「筆」は、書の道具であり、記録や祈りの象徴でもある。一方「甫」は、「はじめる」「耕す」という意味を持ち、土地に手を入れる行為を表す。だが、筆甫という地名は、漢字の意味よりも、音の定着によって育まれてきた印象が強い。地元の人々は、意味よりも響きを大切にしてきたのではないか──そんな気がする。
「ひっぽ」という音には、どこか親しみやすさと、山間の静けさが宿っている。峠を越えて辿り着くその響きは、外界から隔てられた里の名として、土地の気配を静かに伝えている。
筆甫の語源・由来
筆甫という地名には、いくつかの由来説が伝わっている。最も広く知られているのは、伊達政宗が領内で最初に検地を行った土地であるという説だ。政宗が筆を取って最初に記した場所──「筆のはじめ=筆甫」と名付けられたという。これは、記録と統治の始まりを象徴する地名であり、政宗の足跡が地名に刻まれた例といえる。
一方で、筆甫には古くから筆を祀る信仰があり、八雲神社の境内に「筆神社」が鎮座している。この神社では、書道や文芸、学問に関わる人々の守り神として筆が祀られ、毎年11月23日には「ひっぽ筆まつり」が行われる。日付は「いい文(ふみ)の日」にちなんでおり、使い古した筆を焚き上げて感謝を捧げる筆供養が営まれる。
ただし、筆甫は筆の産地ではない。町内で筆が製造されているわけではなく、筆そのものよりも「筆に込められた祈り」や「言葉を記す文化」を大切にしてきた土地である。筆神社の存在は、筆を道具としてではなく、信仰の対象として捉える地域のまなざしを示している。
「筆」と「甫」という漢字の組み合わせは、単なる道具と土地の記号ではない。筆は祈りや記録、伝達の象徴であり、甫は「はじめる」「耕す」という意味を持つ。筆甫──それは、言葉を耕す土地、祈りを記す場所としての意味を持つ地名なのだ。
参考:丸森町「筆神社 - 伊具郡」
八雲神社と筆神社に訪れる
筆甫の八雲神社は、集落の中心に静かに佇んでいる。杉木立に囲まれた境内は、風が通り抜けるたびに葉音がさわさわと鳴り、まるで神様が囁いているようだった。その境内の一角に「筆神社」がある。小さな社だが、そこには言葉と祈りを大切にする人々のまなざしが宿っていた。
毎年11月23日──「いい文(ふみ)の日」には「ひっぽ筆まつり」が行われる。使い古した筆を焚き上げ、書に込められた思いや願いを天に還す筆供養の儀式は、まるで言葉そのものを祀るような時間だった。地元の小学生が書いた作品が奉納され、筆供養の火が静かに立ち上る。その様子は、筆甫という地名が祈りと記録の土地であることを静かに語っていた。
筆神社の由緒は定かではないが、筆を祀る神社がこの地にあること自体が、筆甫という地名の成立に深く関わっていると考えられる。筆は、記録と祈りの道具であり、言葉を通じて人と神をつなぐ媒介でもある。筆甫の人々は、その筆に感謝し、祈りを捧げることで、日々の暮らしと文化を守ってきた。
筆神社(八雲神社内)
所在地:〒981-2201 宮城県伊具郡丸森町筆甫中島19
電話番号:0245771738
参考:宮城県神社庁「神社検索」、朝日新聞「とめ はね 高校生が披露 - 福島 - 地域」
筆甫の暮らしと「ふでいち」
筆甫という地名に「筆」が含まれているからといって、筆が作られているわけではない。実際に町内で筆の製造は行われておらず、筆甫の暮らしはもっと素朴で、土に根ざしたものだ。
筆甫の中心部には「ひっぽの店 ふでいち」という直売所がある。店名に「筆」が入っているのは地名にちなんだもので、店内には地元産の野菜や加工品が並ぶ。特に人気なのは、冬の寒さを活かして作られる「凍み餅」や、丸森町の特産品「へそ大根」など。へそ大根は、丸くて中央にくぼみがある形状からその名が付き、煮物や漬物にすると味が染みて美味しい。
「ふでいち」では、地元の人が育てた野菜や手作りの惣菜が並び、観光客だけでなく地域の人々の暮らしを支えている。筆甫の魅力は、筆そのものではなく、筆に込められた祈りと、土に根ざした暮らしの両方にある。
冬には凍み餅を干す風景が見られ、寒さを活かした保存食文化が今も息づいている。へそ大根は、煮物にすると味が染みてほろほろと崩れ、素朴ながらも滋味深い味わいがある。こうした食文化は、筆甫という土地がいかに自然と向き合い、工夫を重ねてきたかを物語っている。
参考
丸森町「まるもり直売所探索MAP(PDF/5639KB)」「まるもり」
所在地: 〒981-2201 宮城県伊具郡丸森町筆甫平舘82−1
電話番号: 0224-51-8969
まとめ
筆甫という地名は、ただの呼称ではない。そこには、手仕事と祈り、言葉と土地が交差する記憶が編み込まれている。宮城県丸森町の最奥に位置するこの集落は、峠を越えた先に広がる静かな里であり、外界から隔てられたような空気を持っている。
筆甫の八雲神社には「筆神社」があり、毎年11月23日──「いい文(ふみ)の日」に「ひっぽ筆まつり」が行われる。使い古した筆を焚き上げ、書に込められた思いや願いを天に還す儀式は、まるで言葉そのものを祀るような時間だった。地元の子どもたちが書いた作品が奉納され、筆供養の火が静かに立ち上る。その様子は、筆甫という地名が祈りと記録の土地であることを静かに語っていた。
一方で、筆甫は筆の産地ではない。町内で筆が製造されているわけではなく、筆そのものよりも「筆に込められた祈り」や「言葉を記す文化」を大切にしてきた土地である。地元の直売所「ふでいち」では、凍み餅やへそ大根など、寒さと土に根ざした食文化が今も息づいている。筆甫の暮らしは、言葉と同じくらい、根菜と保存食に支えられているのだ。
「筆」は記録と祈りの道具であり、「甫」は耕しの始まりを意味する。筆甫──それは、言葉を耕す土地、祈りを記す場所としての意味を持つ地名なのだ。
私は筆神社の前に立ち、杉の葉が風に揺れる音を聞きながら、地名が語る風景に耳を澄ませた。筆甫という名には、手仕事の文化と祈りの記憶、そして人々の暮らしの温もりが静かに息づいている。