【宮城県松島】五大堂の十二支の意味を画像付で解説!意味や方角、時間、伊達政宗との関係など

松島湾に浮かぶ小島に建つ「五大堂」は、国宝に指定されている瑞巌寺の別院であり、松島観光の象徴的存在だ。私がこの堂を訪ねたのは、単なる観光ではなく、地域文化ライターとして宮城の魅力を広く伝えたいという思いからだった。五大堂の前に立ったとき、最初に心を惹かれたのは堂内に刻まれた十二支の彫刻である。なぜ国宝の建築に十二支が刻まれているのか──その理由を知りたいと思った。
十二支は古来より方角や時間を表す象徴として用いられ、陰陽五行思想とも深く結びついているという。ネットやSNSでは、仙台は京都と同じように五行陰陽の思想を取り入れて都市設計がなされたとまことしやかに語られることがある。伊達政宗が築いた城下町仙台は、風水や陰陽思想を意識した都市計画を持ち、城や寺院の配置にもその影響が見られる。五大堂の十二支もまた、政宗の美意識と信仰心が反映されたものではないかと感じた。
歴史を調べると、五大堂は平安時代に慈覚大師円仁によって創建され、後に伊達政宗が1604年に再建したことが分かる。政宗は松島の景観を愛し、信仰の場として五大堂を整備した。十二支の彫刻は、方角を守る守護としての意味を持ち、参拝者に安心を与える役割を果たしている。国宝の建築に十二支が刻まれているのは、単なる装飾ではなく、陰陽思想と信仰を融合させた文化的意匠なのだ。
五大堂を訪ねる旅は、松島湾の絶景を楽しむだけでなく、伊達政宗の美意識と陰陽思想の影響を体感する時間でもある。十二支の不思議を探ることで、宮城の文化の奥深さを知り、故郷への誇りを深めることができるのだ。
参考
松島観光協会「五大堂 | 観る・遊ぶ | 日本三景松島」
国宝瑞巌寺「境内のご案内 ― 五大堂」
瑞巌寺 五大堂
所在地:〒981-0213 宮城県宮城郡松島町松島町内111
五大堂とは?
五大堂は、松島の名刹・瑞巌寺の別院として位置づけられている。瑞巌寺は平安時代に慈覚大師円仁によって創建され、後に伊達政宗が再建した仙台藩の菩提寺である。政宗は文化的関心が深く、茶の湯や建築、庭園に強い美意識を持っていた。その美意識は瑞巌寺の伽藍配置や五大堂の意匠にも反映されている。
五大堂は松島湾に浮かぶ小島に建てられ、透かし橋を渡らなければ辿り着けない構造になっている。参拝者は橋を渡ることで心を整え、堂に入る準備をする。堂内には五大明王が安置され、国宝としての価値を持つ。五大堂は瑞巌寺の一部でありながら、松島観光の象徴として独自の存在感を放ち続けている。
参考
松島観光ナビ「五大堂」の見どころ・所要時間・アクセス情報なら
十二支の彫刻の意味
五大堂の最大の見どころのひとつが、堂内四方の欄間に刻まれた十二支の彫刻である。東西南北の四方にそれぞれ三体ずつ、十二支の動物が刻まれており、方角を守る守護としての意味を持つ。これは単なる装飾ではなく、陰陽思想と仏教的信仰が融合した意匠であり、参拝者に安心を与える役割を果たしている。
十二支は古代中国から伝わり、時間や方角を表す象徴として用いられてきた。子は北、午は南、卯は東、酉は西を表し、四方を守る役割を持つ。五大堂に刻まれた十二支は、方角を守る守護として、堂を訪れる人々を見守っている。自分の干支を見つけたときには、不思議な縁を感じ、祈りを捧げる人も多いという。
実際に訪ねてみると、彫刻は細部まで丁寧に仕上げられており、木の温もりとともに歴史の重みを感じることができた。十二支を探しながら歩く時間は、まるで宝探しのようで、参拝者に楽しみを与えてくれる。こうした体験は、五大堂が単なる建築物ではなく、信仰と文化を体感できる場であることを示している。
十二支の彫刻は、伊達政宗の美意識と信仰心が反映されたものでもある。政宗は城下町仙台の都市設計に陰陽思想を取り入れたとされ、五大堂の十二支もその延長線上にあると考えられる。五大堂の十二支は、松島の文化と記憶を語る鏡であり、訪れる人に静かな感動を与える存在なのだ。
十二支と時間の関係
十二支は、古代中国から伝わった暦の知恵であり、方角だけでなく時間を表す役割も担ってきた。もともとは動物の姿ではなく、十二の記号として使われていたが、日本では庶民に親しみやすくするために動物が割り当てられた。子(ねずみ)、丑(うし)、寅(とら)、卯(うさぎ)、辰(たつ)、巳(へび)、午(うま)、未(ひつじ)、申(さる)、酉(とり)、戌(いぬ)、亥(いのしし)の十二支は、日常生活の中で時刻や方角を示すものとして広く浸透していった。
時間においては、一日を十二の区分に分け、それぞれを二時間ごとに十二支で表した。例えば「子の刻」は午後11時から午前1時、「午の刻」は午前11時から午後1時を指す。これは現代の時計の概念が広まる以前、日常生活を律する重要な仕組みだった。農作業や祈りの時間を定める際にも十二支が用いられ、人々の暮らしに深く根づいていた。
五大堂に刻まれた十二支は、方角を守る守護としての意味を持つが、同時に時間の流れを象徴するものでもある。四方に配置された十二支は、日々の時の巡りを示し、参拝者に「時を忘れず、心を整える」ことを促しているように感じられる。古代から続く暦の知恵が、松島の国宝に刻まれていることは、文化の連続性を体感する貴重な機会である。
伊達政宗と十二支
五大堂の十二支は、伊達政宗の美意識と信仰心が融合した意匠である。政宗は城下町仙台の都市設計に陰陽五行思想を取り入れたとされ、寺院や城の配置にもその影響が見られる。五大堂に十二支を刻ませたのも、方角を守る守護としての意味だけでなく、陰陽思想を建築に反映させる意図があったと考えられる。
政宗は文化的関心が深く、茶の湯や庭園、建築に強い美意識を持っていた。五大堂の透かし橋や十二支の彫刻は、単なる装飾ではなく、参拝者に心を整える体験を与える仕掛けである。透かし橋を渡る緊張感、十二支を探す楽しみ──これらは政宗が意図した「俗世から離れ、仏の世界へ入る」ための体験であり、信仰と美意識が融合した結果だ。
十二支は陰陽思想に基づき、方角や時間を守る役割を持つ。政宗はそれを建築に取り入れることで、松島の景観と信仰を融合させ、藩の精神的支柱を築いた。五大堂の十二支は、政宗の美意識と信仰心が刻まれた文化の象徴であり、訪れる人に仙台藩の歴史と文化を伝えている。
6. 実際に訪ねてみた──十二支を探す旅の楽しみ
五大堂を訪ねたとき、最も心を惹かれたのは堂内四方の欄間に刻まれた十二支の彫刻だった。東西南北に三体ずつ配置され、方角を守る守護としての意味を持つ。私は一つ一つの干支を探しながら歩き、その意味を確かめる旅を楽しんだ。
- 子(ねずみ):繁栄と子孫繁栄を象徴する存在。小さな体ながら生命力の強さを感じさせる。

- 丑(うし):忍耐と誠実を表す。農耕の象徴として、仙台の農村文化を思わせる。

- 寅(とら):勇気と力の象徴。政宗の武勇を重ね合わせるような迫力がある。

- 卯(うさぎ):跳躍と成長を意味する。柔らかな姿が未来への希望を感じさせる。
- 辰(たつ):権威と繁栄の象徴。龍の姿は堂内でも特に目を引き、政宗の威勢を思わせる。
- 巳(へび):知恵と再生を象徴。脱皮を繰り返す姿は、新しい始まりを意味する。
- 午(うま):行動力と前進を表す。松島湾を駆け抜ける風のような力強さを感じる。
- 未(ひつじ):平和と安らぎを象徴。群れをなす姿は、共同体の調和を思わせる。
- 申(さる):知恵と機知を表す。遊び心のある姿が、参拝者に親しみを与える。
- 酉(とり):勤勉と繁栄を象徴。朝を告げる鶏の姿は、日々の始まりを思わせる。
- 戌(いぬ):忠誠と守護を表す。人々の暮らしを守る存在として親しまれてきた。
- 亥(いのしし):勇気と猪突猛進の力を象徴。荒々しい姿が、困難を乗り越える力を示す。
十二支を一つ一つ探しながら歩く時間は、まるで宝探しのようで、参拝者に楽しみを与えてくれる。自分の干支を見つけたときには、不思議な縁を感じ、自然と手を合わせた。十二支の彫刻は、方角を守る守護としての意味だけでなく、参拝者に文化と信仰を体感させる仕掛けである。
五大堂の十二支を探す旅は、松島の文化と歴史を体感する時間であり、訪れる人に静かな感動を与えてくれる。十二支の彫刻は、伊達政宗の美意識と信仰心が刻まれた文化の象徴であり、松島観光の大きな魅力のひとつなのだ。
五大堂周辺の観光とグルメ
五大堂を訪ねた後は、松島湾の美しい景観とともに周辺の観光やグルメを楽しむのがおすすめだ。松島は「日本三景」として知られ、大小260余の島々が織りなす風景は、五大堂から眺めるだけでなく、観光船に乗って海上から巡ることでさらに迫力を増す。島々の形や名前にまつわる逸話を聞きながら進む船旅は、松島の自然と文化を一度に味わえる贅沢な時間だ。
グルメでは、松島名物の牡蠣が外せない。冬から春にかけて旬を迎える松島の牡蠣は、身が大きく濃厚な味わいで知られている。特に「かんかん焼き」と呼ばれるスタイルは、缶に詰めた牡蠣を豪快に蒸し焼きにするもので、熱々の牡蠣を頬張る瞬間はまさに至福。五大堂周辺の食事処でも楽しめるため、参拝後の昼食にぴったりだ。
さらに、松島の伝統菓子「松島こうれん」も旅の記念におすすめ。米粉を使った素朴な焼き菓子で、香ばしい風味と軽やかな食感が特徴。古くから参拝者や観光客に親しまれてきた銘菓であり、五大堂参拝の後に味わうと、旅の余韻をより深く感じられる。
五大堂を中心に、観光クルーズで島々を巡り、牡蠣料理で海の恵みを堪能し、伝統菓子で旅を締めくくる──そのすべてが松島ならではの体験であり、宮城の文化をより深く理解するきっかけとなるだろう。
まとめ
国宝・瑞巌寺五大堂は、松島観光の象徴であると同時に、仙台藩主・伊達政宗の美意識と信仰が息づく建築だ。平安時代に慈覚大師円仁が創建し、政宗が再建したこの堂は、松島湾の景観と信仰を融合させた文化的中心であり、今も人々を魅了し続けている。特に堂内四方に刻まれた十二支の彫刻は、方角を守る守護としての意味を持ち、陰陽思想と仏教的信仰が融合した意匠である。参拝者は自分の干支を探しながら歩き、縁を感じて祈りを捧げる。その体験は、五大堂が単なる建築物ではなく、文化と信仰を体感できる場であることを示している。
十二支は古代から時間や方角を表す象徴として用いられ、人々の暮らしに深く根づいてきた。五大堂に刻まれた十二支は、方角を守る守護としての意味だけでなく、日々の時の巡りを示し、参拝者に「時を忘れず、心を整える」ことを促しているように感じられる。伊達政宗が十二支を刻ませたのは、陰陽思想を建築に反映させる意図があったと考えられ、政宗の美意識と信仰心が融合した結果だ。
五大堂を訪ねる旅は、透かし橋を渡る緊張感、十二支を探す楽しみ、松島湾の絶景に包まれる時間──そのすべてが訪れる人に静かな感動を与えてくれる。さらに周辺では観光クルーズや牡蠣料理、伝統菓子「松島こうれん」を楽しむことができ、松島の文化を総合的に体感できる。
五大堂の十二支は、松島の文化と記憶を語る鏡であり、訪れる人に歴史と信仰の奥深さを伝える存在だ。国宝としての価値を持ちながら、無料で拝観できる点も魅力であり、松島観光のハイライトとして必ず立ち寄りたい場所である。十二支の不思議を探ることで、宮城の文化の奥深さを知り、故郷への誇りを深めることができる。五大堂は未来へと受け継がれるべき宮城の宝であり、松島の文化を体感する旅の中心なのだ。
投稿者プロ フィール

-
地域伝統文化ディレクター
宮城県出身。京都にて老舗和菓子屋に勤める傍ら、茶道・華道の家元や伝統工芸の職人に師事。
地域観光や伝統文化のPR業務に従事。
