【宮城県南三陸町】日本一の「銀鮭」を訪ねるinさんさん商店街・サーモンフェア・志津川湾

私は地域文化ライターとして、日本各地に根づく風習や食文化を掘り起こし、現代の言葉で伝える仕事をしている。制度や型だけでは見えてこない、暮らしの中に息づく文化のかたち──それを探しに、私は旅を続けている。今回訪れたのは、宮城県南三陸町。目的は、志津川湾で養殖される銀鮭を味わい、その背景にある地域の知恵と自然との共生を体感することだった。

南三陸町は、三陸沿岸の豊かな漁場に恵まれた町であり、震災を経て復興を遂げた今も、海とともに生きる人々の営みが息づいている。銀鮭はその象徴とも言える存在で、志津川湾は日本で初めて銀鮭養殖に成功した地でもある。2025年春に開催された「南三陸サーモンフェア」を訪れ、さんさん商店街の「創菜旬魚はしもと」で銀鮭料理を味わいながら、私はこの町の文化の奥行きを探る旅を始めた。

参考

南三陸サーモンフェア-2025- | 南三陸観光ポータルサイト

銀鮭養殖の発祥地、南三陸町で旬の食材を味わう

「南三陸サーモンフェア」銀鮭養殖発祥の地で南三陸サーモンを食べよう|観光・旅行情報サイト 宮城まるごと探訪

銀鮭とは──紅鮭・秋鮭・白鮭・時鮭との違いと養殖の工夫

銀鮭(ギンザケ)は、サケ科に属する魚で、主に北太平洋沿岸に分布している。日本では天然の銀鮭はほとんど漁獲されず、養殖によって流通しているのが特徴である。南三陸町志津川湾は、その養殖技術の発祥地であり、現在では宮城県が国内銀鮭生産の約9割を占めている。

銀鮭の最大の特徴は、脂の乗りと身の柔らかさにある。加熱してもパサつかず、刺身でもとろけるような食感が楽しめる。紅鮭(ベニザケ)と比べると、銀鮭は脂が多く、身の色はやや淡い。紅鮭は天然漁獲が中心で、身が締まり、色が濃く、脂は控えめであるため、好みが分かれる。

秋鮭(アキザケ)は、白鮭(シロザケ)の一種で、秋に産卵のために川へ遡上する個体を指す。身は淡く脂は少なめで、塩焼きや鍋料理に向いている。白鮭は日本で最も一般的なサケであり、加工品(塩鮭、鮭フレークなど)にも広く使われている。時鮭(トキシラズ)は、白鮭の中でも春から初夏にかけて漁獲される若い個体で、脂が乗っていて非常に人気が高い。

銀鮭の養殖には、寄生虫対策や水質管理、飼料の改良など、長年の技術蓄積が活かされている。南三陸町では、臭みのない銀鮭を育てるために、飼料に海藻や植物性成分を加える工夫がなされており、環境負荷の低減にも取り組んでいる。さらに、出荷前には一定期間絶食させることで、身の締まりと味の安定性を高めている。

こうした技術と自然環境の融合によって育てられた南三陸産銀鮭は、刺身、焼き物、煮物、スモークなど、あらゆる調理法に対応できる万能食材である。銀鮭は、単なる魚ではなく、地域の知恵と誇りが詰まった「食の文化財」と言えるだろう。

日本初の銀鮭養殖の発祥地「志津川湾」

銀鮭の養殖が日本で初めて成功したのは、1975年、南三陸町志津川湾でのことだった。それ以前、銀鮭は天然種として限られた地域でしか漁獲されず、肉質や味にばらつきがあった。南三陸町では、安定した供給と品質向上を目指して、試験的な養殖に取り組み始めた。
志津川湾は、湾口が狭く波が穏やかで、水温や塩分濃度が安定している。さらに、山からの豊富な栄養分が流れ込むことで、プランクトンが豊富に育ち、魚の成育環境として理想的だった。この地理的条件が、銀鮭養殖の成功を支えたのである。
現在では、国内で流通する銀鮭のほとんどが養殖ものであり、その約90%が宮城県産とされている。南三陸町はまさにその中心地であり、銀鮭は町の誇りとしてブランド化され、「みやぎサーモン」などの名称で全国に出荷されている。

志津川湾──銀鮭養殖の発祥地

志津川湾は、宮城県南三陸町の中心に広がる穏やかな内湾である。湾口が狭く、外海の荒波を遮る地形は、養殖に理想的な環境を提供してきた。湾内には養殖いかだが規則正しく並び、漁師たちが小舟で行き来する姿が見られる。ここは、1975年に日本で初めて銀鮭の養殖が成功した場所であり、今もその技術と誇りが受け継がれている。

志津川湾の水質は安定しており、山から流れ込む栄養豊富な水がプランクトンを育て、銀鮭の成育に適した環境を生み出している。湾内の水温は年間を通じて穏やかで、病気のリスクも比較的低い。こうした自然条件に加え、漁師たちの技術と改良を重ねた飼料管理が、南三陸産銀鮭の品質を支えている。

「さんさん商店街」の「創菜旬魚はしもと」へ

その銀鮭を味わえる場所として、私は「さんさん商店街」にある「創菜旬魚はしもと」を訪れた。震災後に再建されたこの商店街は、地域の人々の生活と観光の拠点となっており、地元食材を活かした飲食店が軒を連ねている。「はしもと」はその中でも、地元漁師とのつながりを大切にし、季節ごとの旬魚を丁寧に調理することで知られている。

店内は木の温もりが感じられる落ち着いた空間で、カウンター越しに厨房の様子が見える。私はサーモンフェア限定メニューとして提供されていた「銀鮭の漬け丼」と「銀鮭のハラス焼き」を注文した。漬け丼は、脂の乗った銀鮭の切り身を特製の醤油ダレに漬け込み、炊きたてのご飯の上に美しく盛り付けられていた。ひと口食べると、銀鮭特有のとろけるような食感と、醤油の深みが絶妙に絡み合い、口の中に旨味が広がる。

ハラス焼きは、皮目をパリッと焼き上げ、脂がじゅわっと溶け出す一品。箸を入れると、身がほろりと崩れ、香ばしさと濃厚な脂の甘みが口いっぱいに広がった。銀鮭の脂はしつこさがなく、後味はすっきりとしている。店主の橋本さんは「銀鮭はこの町の誇りです。震災後も養殖を続けてきた漁師さんたちの努力があるからこそ、こうして美味しく提供できるんです」と語ってくれた。

その言葉には、海とともに生きる人々の覚悟と誇りが込められていた。銀鮭は単なる食材ではなく、南三陸町の自然と人の営みが育んだ文化の結晶である。志津川湾の風景と「はしもと」の一皿は、まさにそのことを静かに語っていた。

所在地:〒986-0752 宮城県本吉郡南三陸町志津川五日町51 さんさん商店街内

電話番号:0226296343


まとめ

南三陸町で銀鮭を味わうということは、単なる食体験ではない。それは、海と人がともに生きてきた記憶を口にすることでもある。志津川湾の穏やかな水面、養殖いかだの並ぶ風景、漁師たちの手仕事──それらが一尾の銀鮭に凝縮されている。「創菜旬魚はしもと」で供された漬け丼やハラス焼きは、銀鮭の脂の旨味とともに、この土地の誇りを静かに語っていた。

銀鮭は、南三陸町の自然環境と技術の融合によって育まれた「文化の結晶」である。紅鮭や秋鮭との違いを超えて、銀鮭にはこの町ならではの味がある。それは、震災を乗り越え、海と向き合い続けてきた人々の姿勢そのものだ。地域文化とは、制度や建築だけでなく、日々の暮らしの中にこそ宿っている。銀鮭はその象徴であり、南三陸町の海と人の営みが育んだ静かな誇りである。私はこれからも、こうした「食の語り部」に耳を澄ませながら、地域文化の奥深さを丁寧に伝えていきたい。

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