【宮城県美里町】宮城唯一の黄檗禅宗料理?「すっぽこ汁」という郷土料理を訪ねるinはなやか亭・涌谷
私は、地域文化ライターとして、日本各地に息づく伝承や風習、地名に込められた記憶を掘り起こし、現代の言葉で伝える仕事をしている。
なぜそれを続けているのか──それは、日本文化の魅力が、表舞台だけでなく、土地に根ざした語りや暮らしの中にこそ宿っていると信じているからだ。
歴史の陰にある声、忘れられかけた風景、そして食卓に残る祈りのかたち──それらを拾い上げ、読者と共有することが、私にとっての文化の継承である。
すっぽこ汁と黄檗の記憶──美里町「はなやか亭」で味わう、宮城の食文化の深層
宮城県美里町に「すっぽこ汁」という郷土料理がある。名前の響きに惹かれて調べてみると、どうやら「しっぽく汁」が訛ったものらしい。しっぽく──つまり卓袱(しっぽく)料理。長崎の卓袱料理や京都の普茶料理と同じく、精進料理をベースにした多皿構成の食文化だ。すっぽこ汁は、根菜を中心とした野菜と温麺を醤油ベースの餡でとじた、滋味深い一椀。美里町や大崎市周辺で親しまれているが、その背景には、黄檗宗と伊達家の影がちらつく。
黄檗宗とは
黄檗宗は、江戸初期に中国から渡来した隠元禅師によって日本に伝えられた禅宗の一派。隠元が建立した京都・萬福寺には、普茶料理という精進料理が根付いている。長崎には卓袱料理があり、これも黄檗文化の影響を受けているとされる。では、なぜ宮城の美里町に「卓袱」の名残があるのか──その謎を解く鍵のひとつが、伊達家と黄檗宗の関係にある。
なぜ卓袱料理が美里町に
伊達家は、初代政宗の死後、四代目綱村の代から黄檗宗を篤く信奉したとされる。仙台市青葉山には、かつて日本三大黄檗寺のひとつと称された大年寺があり、青葉山全域を境内として壮大な伽藍が築かれていた。伊達家の菩提寺として、黄檗文化が仙台藩に深く根づいていたことは確かだ。そして、美里町の隣に位置する涌谷町には、涌谷伊達家が存在する。仙台藩の分家として、文化的影響を受けていた可能性は十分にある。
もちろん、すっぽこ汁と黄檗宗の直接的な関係を示す資料は見つかっていない。だが、精進料理的な構成、根菜中心の具材、温麺という禅宗由来の食材、そして「しっぽく」という語源──これらが揃えば、妄想するには十分すぎる。
美里町の「はなやか亭」へ
そんな思いを胸に、美里町の「はなやか亭」へ向かった。農産物直売所「花野果市場」の一角にあるこの食堂は、地元の野菜をふんだんに使った定食が人気。店内は素朴で、地元の方々が次々と訪れる。メニュー表には「すっぽこ汁」の文字。迷わず注文した。
運ばれてきたすっぽこ汁は、見た目こそ地味だが、湯気の立ち方がどこか品格を感じさせる。餡かけの中には、大根、人参、ごぼう、里芋、椎茸などの根菜がたっぷり。温麺はつるりとした喉越しで、餡のとろみとよく絡む。醤油ベースの出汁は、椎茸の旨味が効いていて、どこか懐かしく、どこか異国の香りもする。食べ進めるうちに、身体がじんわりと温まり、心までほぐれていく。
この料理が、寒さ厳しい宮城の冬に根づいたのは自然なことだろう。だが、ただの家庭料理として片づけるには惜しい。すっぽこ汁には、地域の歴史と文化が折り重なっている。黄檗宗の精進料理が伊達家を通じて仙台藩に広まり、涌谷伊達家を経て美里町に伝わった──そんな仮説が、湯気の向こうに浮かび上がる。
食後、店員さんに「すっぽこ汁って昔からあるんですか?」と尋ねると、「うちのばあちゃんの代からずっと食べてるよ」と笑顔で答えてくれた。地域の人々にとっては、特別な料理ではなく、日常の一部なのだ。だが、その日常の中に、歴史の断片が潜んでいる。
■ すっぽこ汁のレシピ
すっぽこ汁は、根菜と温麺を餡でとじた、宮城県北部に伝わる滋味深い郷土料理。美里町の健康レシピ集によれば、基本の具材は大根、人参、ごぼう、里芋、椎茸などの根菜類。これらを一口大に切り、出汁と醤油で煮込んだ後、片栗粉でとろみをつけ、最後に温麺を加えて仕上げる。肉類を使わない精進風の構成は、禅宗由来の食文化を思わせる。餡のとろみが具材と麺をやさしく包み込み、寒い季節には身体の芯から温まる一椀となる。家庭ごとに味の違いがあり、地域の記憶が染み込んだ料理でもある。
涌谷伊達家とは
涌谷伊達家は、仙台藩の分家として江戸時代を通じて涌谷領を治めた大名家である。初代・伊達宗重は伊達政宗の次男であり、以後代々が涌谷城を拠点に地域統治を担った。学問・文化への関心も高く、涌谷町には伊達家ゆかりの史跡が点在している。特筆すべきは、日本で初めて金の産出が確認された「涌谷金山」の開発に関与したこと。また、伊達家が黄檗宗を信奉していたことから、涌谷領にもその文化的影響が及んでいた可能性がある。すっぽこ汁の精進風の構成も、こうした背景と無関係ではないかもしれない──そんな妄想を誘う土地柄でもある。
周辺の観光スポット
美里町周辺には、歴史と自然が調和した見どころが点在している。すっぽこ汁を味わった後は、近隣の涌谷町にある「涌谷城跡」や「黄金山神社」へ足を延ばすのもおすすめ。涌谷伊達家の歴史に触れながら、金山開発の物語を辿ることができる。また、大崎市方面には「鳴子温泉郷」や「潟沼」など、火山地形が生んだ絶景と癒しの湯が待っている。農産物直売所「花野果市場」では、地元野菜や加工品も手に入るので、食と文化を一度に楽しめる旅になるだろう。
すっぽこ汁は、宮城の食文化の奥深さを物語る一椀だ。名前の響きに惹かれ、味に癒され、背景に妄想を膨らませる──そんな旅ができる料理は、そう多くはない。美里町の「はなやか亭」で味わったすっぽこ汁は、地域の記憶をすくい上げるような、静かな感動を与えてくれた。
参考資料: