【宮城県大崎市】難読地名「李埣」の読み方・由来語源をたどる旅in古川

地名に惹かれて、すももの根を辿る旅へ

地名は、土地の記憶を編み込んだ器だ。私は地域文化を記録する仕事をしている。各地の地名の由来や伝承、神社の祭神、産業の背景を掘り下げ、現地の空気を感じながら文章にする──それが私の旅のかたちだ。

今回訪れたのは、宮城県大崎市古川の一角にある「李埣(すもぞね)」という地名。ネットでは宮城県の難読地名として知られており、初見では読めないこの地名に、私は強く惹かれた。「李」はすもも、「埣」は湿地や堤を意味する古語。すももと湿地──その組み合わせに、土地の風土と暮らしの記憶が宿っているように感じた。

李埣は、かつて「李埣村」として存在し、江合川南岸の水田地帯に位置していた。北は福沼村、南は蓑口沼村、東は馬寄村、西は中里村・大柿村と接し、古川宿の東方に広がる農村地帯だった。私はその地名の由来を確かめるため、李埣の旧村域を歩いた。水田の広がる風景の中に、すももの木がひっそりと立っていた。

その名に込められた意味を辿ることで、私は土地の記憶に触れる旅を始めた。

李埣の読み方

李埣は「すもぞね」と読みます。李は果実の「すもも」のこと。「埣」は湿地や堤を意味する。かつては宮城北部は湿地帯や沼地が多いことで知られており、この「埣」という漢字は大崎市内でもよく見かける。

参考:宮城県大崎市古川李埣字前田 [04215040003] | 国勢調査町丁・字等別境界データセット

李埣の語源──すももの大木と湿地の地形

「李埣(すもぞね)」という地名は、江戸時代の地誌『安永風土記』にその由来が記されている。そこには「往古当村境ニ李之大木有之候故村名ニ唱来候由」とあり、かつて村の境にすももの大木があったことから「李埣」と呼ばれるようになったという。つまり、地名は一本の木から始まったのだ。

「李」はすももの古称であり、果樹としてのすももは古代から薬用・食用に用いられてきた。「埣」は「そね」と読み、湿地・堤・土手などを意味する地形語。東北地方の地名には「埣」「曽根」「袖」などの表記が多く、川沿いや低湿地に由来することが多い。李埣もまた、江合川の南岸に広がる水田地帯であり、湿潤な地形と果樹の記憶が重なった地名といえる。

地名は、風景と暮らしの記憶を語る言葉だ。李埣──その名には、一本の木と湿地の地形が静かに息づいている。

参考

国立情報学研究所「自然堤防にちなむ地名

李曾根の要害──戦国期に刻まれた砦の記憶

穏やかな響きを持つ「李埣」だが、戦国期には軍事的な緊張感を孕んだ地名でもあった。『伊達正統世次考』によれば、天文五年(1536)四月十二日、磐手沢・一栗その他の勢力が、米谷越前入道の拠る「李曾根の要害」を攻め、外郭を焼いたと記録されている。

この「李曾根の要害」は、江合川南岸の湿潤な地形に築かれた砦であり、周辺村との接続性も高かった。地形的にも防御に適しており、戦略的な防衛拠点として機能していたと考えられる。地名に「要害」が重なることで、土地の記憶はさらに多層的になる。

私はその地を歩きながら、すももの木が立っていたであろう境界と、砦が築かれていたであろう高台を想像した。李埣──その名には、果樹と湿地、そして戦国の記憶が静かに息づいている。

まとめ──李埣という地名に宿る風土と歴史

李埣という地名は、一本のすももの木と湿地の地形から生まれた。江戸期の地誌に記されたその由来は、風景と暮らしの記憶を語る穏やかな物語だ。だが、戦国期には「李曾根の要害」と呼ばれる砦が築かれ、米谷氏の拠点として軍事的にも重要な役割を果たしていた。地名は、時代によってその意味を変えながら、土地の記憶を静かに語り続ける。

「李」は果樹の記憶、「埣」は湿地の地形、「要害」は戦の記憶──それらが重なり合うことで、李埣という地名は単なる呼称を超え、風土と歴史の層を持つ言葉となる。私はその名を辿ることで、大崎市古川という土地の奥行きと、地名が持つ力を改めて実感した。

李埣──その名は、静かに、しかし確かに、土地の記憶を語り続けている。

\ 最新情報をチェック /

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です