【宮城県大崎市】難読地名「休塚」の読み方や由来・語源をたずねるin古川

私は地域文化を記録する仕事をしている。制度や建築では見えてこない、暮らしの中に息づく地名や風習──それらを拾い上げ、現地の空気を吸い込みながら言葉にする。それが私の旅のかたちだ。

今回訪れたのは、宮城県大崎市古川にある「休塚(やすみづか)」という地名。地図では水田地帯の一角にすぎないが、その名には、ある女性の旅と感情が刻まれているという。資料によれば、肥前の豪族の娘・松浦佐用姫がこの地を通った際、塚のある場所で休み、柳の枝を挿したことから「休塚」と呼ばれるようになったという説がある。

私はこの話に惹かれた。佐用姫は、朝鮮半島へ出征する恋人を鏡山から見送り、悲しみのあまり石になったとされる女性。その物語は万葉集や風土記、能や浄瑠璃などに描かれ、全国各地に伝承地が残されている。

休塚もそのひとつかもしれない。地名に刻まれた物語を辿ることで、土地の記憶と人の感情が交差する瞬間に触れられるのではないか──そんな思いを胸に、私は古川の休塚を歩いた。

〒989-6255 宮城県大崎市

休塚の読み方と語源由来

「休塚」の読み方は「やすみづか」。宮城県大崎市古川に位置し、江合川北方の水田地帯に広がる静かな集落である。かつては遠田郡に属し、古川宿と荒谷宿を結ぶ街道筋にあった交通の要衝でもある。

【大崎市古川】川の文化を追うin江合川・緒絶川・小野小町の墓

大崎市古川・江合川・緒絶川の源流をたどる 水の流れには、土地の記憶が宿る。宮城県大崎市古川──かつて学都と呼ばれたこの町には、江合川と緒絶川という二つの川が静かに…

地名の由来については、複数の資料に記述がある。たとえば「安永風土記」には、肥前の豪族の娘・松浦佐用姫がこの地を通った際、塚のある場所で旅の疲れを癒すために休み、柳の枝を挿したことから「休塚」と呼ばれるようになったという説が記されている。別名「柳塚(やなぎづか)」とも呼ばれたともある。

また、地元では「休塚館跡」という史跡も残されており、地名の由来のひとつとされることもある。中世の城館跡とされ、自然堤防上に築かれた館で、現在は水田の中にその痕跡が静かに眠っている。『古川市史』や『仙台領内古城・館』などにも記録があり、地名と史跡が重なり合う場所として興味深い。

地名の由来は一義的に断定できるものではないが、こうした伝承や史跡が重なり合うことで、休塚は“語りの地名”として土地の記憶を今に伝えている。

参考

東北地方整備局「【特集】佐用姫伝説ゆかりの地を訪ねる。

休塚を訪ねる

休塚を歩く中で、私は「休塚館跡」にも足を運んだ。場所は古川休塚字沢目。水田の中にぽつんと残る自然堤防の上に、かつて中世の館が築かれていたという。現在は遺構らしきものは見当たらないが、地元の方に聞くと「昔はここに館があったって話だよ」と教えてくれた。

『古川市史』や『仙台領内古城・館』にも記録があり、休塚館跡は中世の城館として位置づけられている。館主については「休塚藤蔵」という人物の名が一部に伝わっているが、詳細は不明で、ネットや文献を探しても確かな記録は見つからなかった。

それでも、地名と史跡が重なり合うこの場所には、確かに土地の記憶が息づいている。佐用姫が旅の途中で休んだという伝承と、中世の館跡──ふたつの物語が交差する場所として、休塚は静かにその存在を保っている。

私は館跡の前で煎茶を淹れ、しばし風に揺れる柳を眺めた。地名に刻まれた物語と、土地に残された痕跡。その重なりに、地域文化の奥深さを感じた。

休塚館跡

所在地:〒989-6255 宮城県大崎市古川休塚目見田

松浦佐用姫とは?

松浦佐用姫(まつらさよひめ)は、肥前国松浦郡(現在の佐賀県唐津市)にいたとされる豪族の娘。万葉集や肥前国風土記、能、浄瑠璃、御伽草子などに登場し、日本三大悲恋伝説のひとつとして知られる。

彼女は、朝鮮半島へ出征する恋人・大伴狭手彦を鏡山から見送り、領巾(ひれ)を振って別れを惜しんだ。その悲しみの深さから石になったという伝承があり、鏡山は「領巾振山」とも呼ばれるようになった。

この物語は、時代とともに変容し、蛇神との遭遇や法華経による救済、弁財天への転生など、仏教的要素を取り入れながら全国に広がった。奥州胆沢では、佐用姫が人身御供として買われ、読経の力で大蛇を折伏したという伝承も残る。

なぜ佐用姫の物語が全国に広がったのか──それは、彼女の物語が「別れ」「旅」「祈り」「供養」「変身」といった普遍的なテーマを含んでいるからだ。人々は自らの土地に佐用姫の足跡を重ね、地名や伝承として語り継いできた。

休塚もそのひとつかもしれない。佐用姫が旅の途中で休んだという記憶が、地名として残された。民俗的に見ても、地名が感情や物語に由来する例は貴重であり、佐用姫の伝承はその象徴的な存在なのだ。

参考

松浦佐用姫伝説 / びびっと!からつ ~唐津ポータルサイト~

日本文化芸術復興協会「松浦佐用姫 ( まつらさよひめ ) - 文化デジタルライブラリー

まとめ

宮城県大崎市古川にある「休塚(やすみづか)」は、地名・史跡・伝承が重なり合う、民俗的にも非常に興味深い場所である。地名の由来については諸説あるが、資料によれば、肥前の豪族の娘・松浦佐用姫がこの地を通った際、塚のある場所で旅の疲れを癒すために休み、柳の枝を挿したことから「休塚」と呼ばれるようになったという説がある。別名「柳塚」とも呼ばれたとも記されている。

この地には「休塚館跡」という中世の城館跡も残されており、自然堤防上に築かれた館の痕跡が水田の中に静かに眠っている。『古川市史』や『仙台領内古城・館』などにも記録があり、地名と史跡が重なり合う場所として、地域文化の奥深さを感じさせる。館主については「休塚藤蔵」という人物の名が一部に伝わっているが、詳細は不明であり、ネットや文献を探しても確かな記録は見つからなかった。

松浦佐用姫の物語は、万葉集や風土記、能、浄瑠璃、御伽草子などに描かれ、日本三大悲恋伝説のひとつとして全国に広がっている。彼女の物語は「別れ」「旅」「祈り」「供養」「変身」といった普遍的なテーマを含み、人々は自らの土地に佐用姫の足跡を重ね、地名や伝承として語り継いできた。

休塚もそのひとつかもしれない。地名に刻まれた物語と、土地に残された史跡。その重なりに、地域文化の深みと人の感情の痕跡が宿っている。私は休塚を歩きながら、地名が語る物語に耳を傾けた。観光地ではないが、土地の記憶を辿る旅人にとっては、心に残る場所となるだろう。

休塚は、静かな水田の中に、物語と歴史の層を重ねて佇む“語りの地”である。

\ 最新情報をチェック /

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です