【宮城県大崎市】政宗公まつり訪問in岩出山


岩出山に息づく伊達文化──政宗公まつりと信仰・手仕事の風景を歩いて

2025年9月14日(日)、私は宮城県大崎市岩出山を訪れた。目的は「政宗公まつり」。戦国の英雄・伊達政宗がかつて居城を構えたこの地で、彼の足跡を辿る祭りがあると聞き、どうしてもこの目で見てみたかった。

伊達政宗──東北を統一し、全国制覇へあと一歩というところまで迫った男。その名には、畏敬と憧れが同居している。そんな人物が、戦国の最盛期に居城として選んだ岩出山とは、どんな場所なのか。私はその答えを探しに来た。

岩出山という町──小京都と呼ばれた城下町

岩出山は、大崎市の北西部に位置する町で、かつては「岩出山町」として独立していた。伊達政宗が豊臣秀吉の命により米沢から移封されたのが1591年。その居城として選ばれたのが岩出山城だった。

政宗はこの地で、仙台藩の礎を築くための準備を進めた。城下町の整備、家臣団の再編、文化の振興──岩出山は、伊達家の「再起の地」であり、「始まりの地」でもあった。

町には今も、武家屋敷風の建物や、格子戸の商家が残り、どこか京都の町並みを思わせる。地元では「小京都」と呼ばれてきたというのも、歩いてみれば納得だった。山に囲まれ、川が流れ、静かながらも文化の香りが漂う町だった。

参考

政宗公まつり | 伊達武者行列!岩出山のまつり

政宗公まつり──絵巻の中に迷い込んだような一日

まつり当日、岩出山駅を降りると、すでに町は祭りの空気に包まれていた。通りには露店が並び、太鼓の音が遠くから聞こえる。私はまず、有備館の森公園へ向かった。そこでは、甲冑姿の武者たちが集まり、出陣式が行われていた。

政宗公まつりの目玉は、なんといっても「武者行列」。伊達政宗を中心に、家臣団、鉄砲隊、騎馬武者、姫君たちが町を練り歩く。甲冑のきらめき、馬の蹄の音、陣太鼓の響き──それらが一体となって、まるで戦国時代が町に蘇ったかのようだった。

印象的だったのは「稚児行列」。小さな子どもたちが華やかな装束に身を包み、政宗公の御前を歩く姿は、まるで時代絵巻の一場面。親子三代で参加する家庭もあり、伊達文化が世代を越えて受け継がれていることを実感した。

さらに、仙台から招かれた「仙台すずめ踊り」の演舞も圧巻だった。軽快な笛と太鼓に合わせて、踊り手たちが扇を翻しながら舞う姿は、まさに政宗公の城下の賑わいを再現するかのよう。観客の拍手と歓声が響き、町全体が祝祭の渦に包まれていた。

私はその場に立ち尽くしながら、政宗がこの地で築いた文化が、今も生きていることを肌で感じていた。武と雅が交差する岩出山──その魅力は、まつりの一日だけでは語り尽くせないほど深かった。

有備館の森公園

所在地:〒989-6471 宮城県大崎市岩出山上川原町7

大崎八幡神社──武神への祈りと信仰の継承

政宗公まつりの余韻を胸に、私は「大崎八幡神社」にも足を運んだ。岩出山の伊達文化をもっと知りたかったからだ。

この神社は、武神・勝利の神として知られる八幡神を祀る。かつてこの地を制圧した坂上田村麻呂や、大崎氏が田尻の八幡神社を崇敬していたことから、政宗も岩出山に八幡信仰を持ち込んだ。やがて仙台に居城を移す際には、分祀して「仙台・大崎八幡宮」を創建するに至る。

つまり、岩出山の八幡信仰は、伊達家の精神的支柱でもあったのだ。境内は静かで、杉の木立が風に揺れていた。私は拝殿に手を合わせながら、政宗がこの地で祈ったであろう勝利と未来への願いを思った。

有備館──静けさに宿る教養の場

まつりの熱気を味わったあと、私は「有備館」へ向かった。ここは、仙台藩が藩士の学問・武芸の修練のために設けた学問所で、現存する藩校建築としては日本最古のものとされている。

有備館の庭園は、政宗の美意識を感じさせる静かな空間だった。池に映る木々、苔むした石、風に揺れる竹──まつりの喧騒とは対照的な、深い静けさがそこにはあった。

館内には、伊達家の教育方針や藩士の心得が展示されており、政宗が武だけでなく、文を重んじた人物であることが伝わってくる。私は畳に座り、しばらく庭を眺めていた。政宗がこの地で築こうとしたのは、戦のための城ではなく、未来のための文化だったのかもしれない。

花山酒まんじゅう店──大阪から伝わった伊達家の甘味文化

岩出山の町歩きの途中、私は「花山酒まんじゅう店」に立ち寄った。創業百余年の老舗で、地元の人々に親しまれている名物店だ。店先には、ふっくらと蒸された酒まんじゅうが並び、ほんのりと酒粕の香りが漂っていた。ひと口食べると、皮はもっちり、中の餡はほどよい甘さ。これは、まさに土地の味だった。

この酒まんじゅうには、伊達家にまつわる興味深い伝承がある。政宗が岩出山に移封された際、家臣の中に大阪で菓子づくりをしていた職人を伴ってきたという。彼は、政宗の命により、酒粕を使った饅頭を献上し、藩士や来客のもてなしに用いられた。やがてその味は町に広まり、花山酒まんじゅうとして定着した。

つまりこの饅頭は、単なる甘味ではなく、伊達家の「もてなしの文化」が今も息づいている証なのだ。政宗の時代から続く味を、私は静かに噛みしめた。

所在地:〒989-6436 宮城県大崎市岩出山二ノ構147

電話番号:0229721004

竹細工館──手仕事に宿る美意識

さらに足を延ばして「岩出山竹細工伝承館」へ。ここでは、地元に伝わる竹細工の技術と作品が展示されている。竹籠、茶道具、農具──どれも丁寧に編まれ、使い込まれた美しさがあった。

竹細工は、伊達家の武家文化とも深く関わっている。質素ながらも機能美を重んじる精神が、道具のひとつひとつに宿っていた。職人の方に話を聞くと、「政宗公の時代から、竹は武士の暮らしに欠かせない素材だった」と語ってくれた。

展示室には、茶籠や米とぎざる、弓矢の筒など、かつて藩士たちが使っていたとされる道具の復元品も並んでいた。どれも手に馴染むような曲線を持ち、使い込まれた跡が美しさに変わっていた。私は竹の編み目を見つめながら、伊達文化の「静かな力」を感じていた。武の華やかさだけではない、暮らしの中に息づく美意識──それが岩出山には残っていた。

岩出山──伊達文化が今も息づく町

岩出山──ここは、伊達政宗が再起を誓った地であり、文化を育んだ地だった。政宗公まつりの武者行列、稚児たちの装束、仙台すずめ踊りの舞、有備館の静けさ、大崎八幡神社の祈り、酒まんじゅうの甘さ、竹細工の手仕事──それらすべてが、伊達文化の奥深さを語っていた。

この町には、戦国の記憶がある。だがそれは、過去のものではない。まつりに参加する子どもたち、手仕事を受け継ぐ職人、神社に手を合わせる人々──彼らの姿の中に、政宗の志が今も息づいている。

私はこの町を歩きながら、政宗が見た風景と、今の岩出山が重なる瞬間を何度も感じた。武と文、祈りと技、歴史と暮らし──それらが交差する場所。それが、岩出山だった。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です