【宮城県大崎市】東北最古・本州最多の温泉をほこる「鳴子温泉」とは|見どころやおすすめ日帰り入浴、スイーツ銘菓、温泉神社、こけしなど訪ねる

宮城県大崎市に広がる鳴子温泉郷は、本州最多の泉質数を誇る温泉地として知られている。370を超える源泉が点在し、硫黄泉・炭酸水素塩泉・食塩泉・単純泉など、9種類もの泉質が確認されており、その多様さは別府に次いで2番手、全国でも屈指だ。鳴子、川渡、東鳴子、中山平、鬼首——5つの温泉地が連なるこの郷は、地形・地熱・人の営みが絶妙に絡み合った、まさに“湯の奇跡”とも呼ぶべき場所だ。

鳴子温泉の歴史は古く、奈良時代の歴史書『続日本後紀』には、鳴子の湯が「温泉」として記載されている。これは、東北地方の温泉地としては最古級の記録であり、鳴子が千年以上にわたって湯治場として親しまれてきたことを示している。

私はこの鳴子温泉郷を訪ね、湯けむりの立ちのぼる温泉街を歩きながら、湯治文化や地元の人々の暮らしに触れた。鳴子駅に降り立った瞬間、硫黄の香りが鼻をくすぐり、温泉地に来たことを実感する。温泉街には昔ながらの湯治宿が並び、共同浴場「滝の湯」には地元の人と観光客が肩を並べて湯に浸かっていた。

鳴子温泉の魅力は、湯だけではない。鳴子峡の絶景、鳴子こけしに代表される職人文化、湯治客に親しまれてきた銘菓の数々——それらがこの地の記憶を豊かに彩っている。さらに、鳴子温泉神社をはじめ、川渡や東鳴子にも湯の神を祀る神社があり、温泉と信仰が深く結びついていることも印象的だった。

この記事では、鳴子温泉の地形的な奇跡、湯治文化、職人の技、そして湯にまつわる信仰まで、現地を歩いて感じた鳴子の魅力を余すことなく紹介していく。

参考

鳴子温泉観光協会「温泉 – 鳴子温泉郷観光協会公式サイト

所在地:〒989-6822 宮城県大崎市鳴子温泉

鳴子温泉とは

鳴子温泉郷は、宮城県北西部、大崎市に位置する温泉地である。鳴子、川渡、東鳴子、中山平、鬼首の5つの温泉地から構成され、それぞれに異なる泉質と風景を持つ。この地域には370以上の源泉が存在し、本州最多の源泉数を誇る。泉質も多様で、硫黄泉、炭酸水素塩泉、食塩泉、単純泉などが混在しており、まるで温泉の博物館のようだ。

この地がこれほど豊かな温泉資源を持つ理由は、地形と地質にある。鳴子温泉郷は、火山活動によって形成された地熱地帯に位置しており、地下には複雑な断層帯が走っている。特に鳴子火山群の活動によって生まれた地形は、温泉の湧出に最適な条件を備えている。地質学的にも非常に貴重な場所であり、温泉研究者にとっては格好のフィールドでもある。

鳴子温泉の歴史は、奈良時代の『続日本後紀』に「温泉」として記載されていることから、少なくとも千年以上前に遡る。これは、東北地方の温泉地としては最古級の記録であり、鳴子が湯治場として長く親しまれてきたことを示している。

承和四年(八三七)四月戊申。
陸奧國言。玉造塞温泉石神。雷響振動。晝夜不止。温泉流河。其色如漿。加以山燒谷塞。石崩折木。更作新沼。沸聲如雷

引用:「続日本後紀」

本文翻訳:承和4年(837年)4月、陸奥国から朝廷に「玉造の塞(せき)温泉石神にて雷鳴が轟き、昼夜を問わず振動が止まず、温泉が川に流れ出し、その色は濁流のようであった。さらに山火事が起こり、谷が塞がれ、石が崩れ木が折れ、新たな沼ができ、沸騰音が雷のように響いた」

これは現在の鳴子温泉の噴出を記録したものであり、東北地方における温泉の最古の文献記録とされている。

また、鳴子温泉郷は、温泉だけでなく自然景観にも恵まれている。鳴子峡はその代表で、秋には紅葉が渓谷を彩り、温泉とともに訪れる人々の目を楽しませてくれる。温泉街の坂道を歩けば、湯けむりの向こうにこけし工房や銘菓店が見え、湯と人の営みが交差する風景が広がっている。

鳴子温泉とは、単なる温泉地ではない。地形の奇跡と人の知恵が生み出した、癒しと文化の交差点なのだ。

参考

鳴子温泉観光協会「鳴子とは

東鳴子温泉「東鳴子温泉とは

国文学研究資料館「續日本後紀 - 国書データベース - 国文学研究資料館

鳴子温泉の歴史と湯治文化

鳴子温泉の歴史は、奈良時代にまで遡る。『続日本後紀』の承和四年(837年)四月の条には、陸奥国から朝廷に「玉造塞温泉石神にて雷鳴が轟き、昼夜を問わず振動が止まず、温泉が川に流れ出し、その色は濁流のようであった。さらに山火事が起こり、谷が塞がれ、石が崩れ木が折れ、新たな沼ができ、沸騰音が雷のように響いた」との報告が記されている。

この「新たな沼」とは、現在の潟沼(かたぬま)を指すとされる。潟沼は、鳴子温泉街の北東に位置する火口湖で、潟山の山体崩壊によって形成されたと考えられている。湖面はエメラルドグリーンに輝き、今では鳴子の名所のひとつだが、その誕生はまさに地殻変動と温泉噴出の劇的な瞬間だった。

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また、「沸騰音が雷のように響いた」という記述は、鳴子という地名の由来にもつながる。地元には「赤子が泣くような音が山中に響いたため、“鳴子”と名付けられた」という伝承が残っており、自然の轟音が人々の記憶に深く刻まれたことを物語っている。

江戸時代に入ると、鳴子温泉は伊達藩の保護を受けて発展した。政宗の都市設計思想の中でも、温泉は癒しと民の健康を支える重要な要素とされ、湯治場の整備が進められた。鳴子温泉郷は、長期滞在型の湯治宿が整備され、庶民から武士まで幅広い層に利用された。

その象徴のひとつが、現在のJR陸羽東線「東鳴子駅」の旧称「御殿湯駅」である。この名は、かつて東鳴子に仙台藩の御殿場が置かれていたことに由来する。御殿は藩主や重臣が湯治に訪れる際の滞在所であり、東鳴子の温泉石神社の近くにあったと伝えられている。伊達家がこの地の湯を重視していたことがうかがえる。

鳴子温泉郷にて日帰り入浴

鳴子温泉駅に降り立った瞬間、ふわりと漂う硫黄の香りに包まれた。駅前にはこけしのモニュメントが立ち、温泉地らしい空気がすぐに肌に触れる。温泉街へと足を進めると、湯けむりが立ちのぼる路地に、昔ながらの湯治宿が並んでいた。

まず訪れたのは、共同浴場「滝の湯」。鳴子温泉神社の御神湯として千年以上の歴史を持つこの湯は、地元の人々にとっては日常の場であり、観光客にとっては鳴子の湯文化に触れる入り口でもある。湯は白濁し、含硫黄・ナトリウム・アルミニウム・カルシウム・鉄-硫酸塩泉という複雑な泉質を持ち、低張性・酸性・高温泉に分類される。

浴槽は板張りで、湯の温度は高め。湯船に浸かると、肌にまとわりつくような柔らかさがあり、湯の力を実感する。隣に座った地元の方が「ここは昔から変わらない湯だよ」と語ってくれた言葉が、湯の温かさとともに心に染みた。

滝の湯で鳴子の湯の力を肌で感じた後、私は日帰り入浴が可能な他の湯処も巡ってみることにした。鳴子温泉郷は泉質の宝庫であり、湯ごとに肌触りも香りも異なる。ひとつひとつの湯に、土地の記憶と人の営みが宿っている。

まず向かったのは「早稲田桟敷湯」。早稲田大学が温泉採掘に関わったモダンな外観が印象的で、温泉街の中にあって異彩を放っている。湯はナトリウム-硫酸塩泉で、無色透明ながら肌にやさしく、じんわりと温まる。血行促進や冷え性改善に効果があるとされ、湯上がりには身体の芯からぽかぽかとした感覚が続いた。

次に訪れたのは、中山平温泉の「しんとろの湯」。泉質はアルカリ性単純泉で、pH値が高く、湯はとろりとした質感。まるで化粧水のように肌を包み込み、湯上がりにはしっとりとした感触が残る。美肌効果が高く、地元では「美人の湯」とも呼ばれている。浴場は木造の素朴な造りで、窓の外には緑が広がり、まるで森の中で湯浴みをしているような気分になる。

東鳴子では「馬場温泉」に立ち寄った。泉質はナトリウム-炭酸水素塩泉で、湯は黒褐色をしており、独特のモール臭が漂う。植物由来の有機物を含む「モール泉」で、肌にやさしく、保湿効果が高い。湯は赤味がかっておらず、むしろ墨汁のような深い色合いで、湯船に浸かると森林の中にいるような落ち着きがある。宿の方が「昔は藩主の御殿場もこの近くにあったんですよ」と教えてくれた。東鳴子駅の旧称「御殿湯駅」がその名残であり、伊達藩の湯治文化が今も静かに息づいている。

最後に訪れたのは、川渡温泉の「川渡温泉共同浴場」。泉質はナトリウム-硫酸塩・塩化物泉で、ほんのりと硫黄の香りが漂う。湯は無色透明で、さっぱりとした入り心地。浴場は質素ながら清潔で、湯船に身を沈めると、川渡の静かな空気と湯のぬくもりが身体を包み込んだ。近くには温泉石神社があり、湯の神に感謝を捧げる人々の姿が印象的だった。

最後に訪れたのは、川渡温泉の「川渡温泉共同浴場」。地元の人々が日常的に通う湯で、観光客にも開かれている。湯はやわらかく、ほんのりと硫黄の香りが漂う。浴場は質素ながら清潔で、湯船に身を沈めると、川渡の静かな空気と湯のぬくもりが身体を包み込んだ。

温泉街を歩くと、こけし工房や銘菓店が点在している。職人が手仕事で仕上げる鳴子こけしは、湯治客が子どもへの土産として持ち帰ったのが始まりだという。

参考

鳴子温泉観光協会「宿泊施設-東鳴子温泉

鳴子こけし

鳴子温泉街を歩いていると、こけし通りがあり、あちこちにこけしの姿が目に入る。駅前のモニュメント、土産物店の棚、工房の窓辺——それらはすべて「鳴子こけし」と呼ばれる、鳴子の職人たちが手仕事で作り続けてきた郷土玩具だ。

鳴子こけしは、東北三大こけしのひとつに数えられ、湯治文化と深く結びついている。かつて湯治に訪れた客が、子どもへの土産や旅の記念として持ち帰ったのが始まりとされる。こけしは、湯治宿の軒先や温泉街の店先で売られ、鳴子の湯とともに人々の記憶に残る存在となった。

鳴子こけしの特徴は、頭が回る構造と、赤・黒・黄を基調とした彩色、胴に描かれる菊模様にある。職人によって微妙に異なる表情や模様が施されており、同じ型でも一つひとつに個性が宿る。工房を訪れると、ろくろを回しながら木を削り、筆で模様を描く職人の姿を見ることができる。湯の香りが漂う町で、木の香りと絵付けの集中した空気が交差する瞬間は、鳴子ならではの風景だ。

こけしは単なる土産物ではない。湯治文化の中で育まれた、癒しと祈りの象徴でもある。子どもの健やかな成長を願う気持ち、旅の無事を祈る心、湯に癒された感謝——それらがこけしの形に込められている。

鳴子こけしは、今も地元の職人によって作り続けられている。観光客が手に取るだけでなく、地元の人々も節句や祝い事にこけしを贈る習慣が残っている。

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鳴子温泉3つの温泉神社

さらに、鳴子温泉神社にも足を運んだ。湯の神を祀るこの神社は、温泉と信仰が結びついた象徴的な場所だ。境内には湯気が立ちのぼる手水舎があり、湯に感謝を捧げる人々の姿があった。川渡や東鳴子にも温泉神社があり、鳴子郷全体に湯への信仰が根付いていることを感じた。

鳴子温泉神社を訪れた後、私は東鳴子と川渡にも足を延ばした。どちらの地にも「温泉石神社」が鎮座しており、湯の恵みに感謝し、湯の神を祀る信仰が今も息づいている。

東鳴子の温泉石神社は、温泉街の裏手にひっそりと佇んでいた。鳥居をくぐると、杉木立に囲まれた静謐な空間が広がり、社殿の奥には「温泉石」と呼ばれるご神体が祀られていた。これは、837年の鳴子温泉噴出時に現れたとされる石で、地熱と地形の奇跡を象徴する存在だ。地元の方々はこの石に湯の安全と恵みを祈り、湯治客も手を合わせていた。

川渡の温泉石神社もまた、玉造温泉の起源を今に伝える場所である。境内には「温泉湧出記念碑」が建ち、奈良時代の『続日本後紀』に記された噴出の記録が刻まれていた。社殿の背後には、かつての噴泉地を思わせる地形が残り、自然と信仰が一体となった景観に心を打たれた。

参考

国土交通省東北地方整備局「温泉神社

宮城県神社庁「鳴子温泉神社

鳴子温泉観光協会「温泉神社について

鳴子銘菓「栗だんご」「大栗なるまん」

湯上がりの身体に、甘いものが染みわたる——鳴子温泉を訪れた湯治客たちが、こけしと並んで土産に選んだのが、地元で親しまれてきた銘菓の数々だ。温泉街を歩けば、昔ながらの和菓子店や地元スーパーの一角に、素朴でどこか懐かしい甘味が並んでいる。

なかでも代表的なのが、深瀬の「栗だんご」だ。やわらかな餅の中に、甘く煮た栗が丸ごと一粒包まれており、口に含むとほろりと崩れる。湯治客が長逗留の合間に買い求め、宿での茶請けや帰路の土産として重宝されたという。保存料を使わず、手作りの味を守り続ける姿勢もまた、鳴子の土地柄を映している。

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もうひとつ、地元で愛されているのが「なるみストアー」のまんじゅう「大栗なるまん」だ。温泉街の中心にあるこの店は、地元の人々の台所として親しまれてきた。店頭に並ぶいわゆる「温泉まんじゅう」は、ふっくらとした皮にあんこと栗がぎっしり詰まり、湯上がりのほてった身体にやさしい甘さを届けてくれる。観光客だけでなく、地元の常連客が次々と買い求める姿に、地域に根ざした味の力を感じた。

これらの銘菓は、単なる食べ物ではない。湯治文化の中で育まれた、癒しと交流の象徴でもある。長期滞在する湯治客にとって、甘味は日々の楽しみであり、地元の人々との会話のきっかけでもあった。銘菓を通じて、湯と人、旅人と土地がつながっていたのだ。

まとめ

鳴子温泉郷は、ただの温泉地ではない。370を超える源泉と9種類の泉質を持つ本州最多の湯の里は、地形の奇跡と人の営みが織りなす、奥深い文化の宝庫である。

奈良時代の『続日本後紀』に記された温泉噴出の記録は、潟山の崩落と潟沼の誕生、そして雷鳴のような沸騰音を伝えている。その音が赤子の泣き声のようだったことから「鳴子」の名が生まれたという伝承も、自然と人の記憶が重なり合うこの地ならではの物語だ。

江戸時代には伊達政宗のもと、鳴子温泉は湯治文化の拠点として整備された。東鳴子には藩主の御殿場が置かれ、今もその名残を駅名「御殿湯」にとどめている。湯は癒しであると同時に、信仰の対象でもあった。鳴子、川渡、東鳴子に点在する温泉神社や温泉石神社では、今も湯の神に感謝を捧げる人々の姿が見られる。

さらに、鳴子こけしや銘菓といった手仕事と味覚も、湯治文化とともに育まれてきた。こけしは旅の記憶を宿し、銘菓は湯上がりのひとときを彩る。これらはすべて、湯とともに生きてきた土地の証であり、訪れる者を静かに迎え入れてくれる。

鳴子温泉は、湯に浸かるだけでは味わい尽くせない。地形、信仰、文化、そして人の手が織りなす、宮城の温泉文化の縮図である。湯けむりの向こうに広がるその深い魅力

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