【宮城県利府町】地名「利府」の読み方・由来語源をたどる旅in春日・十符の里パーク・加瀬沼公園
地名は、土地の記憶を映す鏡だ。音の響き、漢字のかたち、そこに込められた意味──それらは、風景や暮らし、祈りと結びついている。私は地域文化を記録する仕事をしている。各地の伝統産業や民俗、地名の由来を掘り下げ、現地の空気を感じながら文章にする──それが私の旅のかたちだ。
今回訪れたのは、宮城県宮城郡利府町。仙台市の北東に隣接し、松島湾に面したこの町は、古代から交通の要衝として知られてきた。現在では新幹線の駅や大型商業施設が立ち並ぶが、その地名には、古代の郷名と歌枕、そして工芸の記憶が重なっている。
「利府(りふ)」という名には、どこか行政的な響きと、和歌的な余韻がある。私はその言葉の背景にある風景と記憶を探るため、加瀬沼のほとりを歩き、旧街道の痕跡をたどり、そして「十符の菅薦(とふのすがこも)」の復元制作現場を訪ねることにした。
利府の語源・由来「十符の菅薦」
利府町の地名の語源・由来には、「十符(とふ)」という古地名が深く関わっている。平安時代から和歌に詠まれた「十符の菅薦(とふのすがこも)」は、当地で作られ、都に献上されたとされる敷物である。編み目が十筋あったことから「十符」と呼ばれたこの菅薦は、みちのくの歌枕としても知られていた。
私は利府町芸術文化協会が復元制作を行っている春日地区を訪れた。菅薦の材料となる菅草(スゲクサ)は、かつて菅谷付近に群生していたが、宅地化の進行により今では春日地区にわずかに残るのみ。2メートル近くに育つ菅草を刈り取り、乾燥させ、編み上げる作業は、かつての工芸の記憶を呼び起こすようだった。
明治以降、作成方法は一度失われたが、現在では町の文化事業として復元が進められている。私は編み手の方々の手元を見ながら、地名が工芸とともに生きていることを実感した。十符──それは、土地の名であると同時に、風土と技の記憶を編み込んだ言葉だった。
所在地:宮城県宮城郡利府町春日
利府という地名はなぜ「十符」から「利府」へ
「十符(とふ)」という古地名は、やがて「利府(りふ)」という漢字表記へと変化していった。
『安永風土記』には
「往古多賀国府に付、利府と相称候」
とあり、国府の政治を担った留守氏が当地に居住したことから、「とふ」の字を佳字に表す際、「利(とし)」と「府(国府)」を組み合わせたとされる。
また、「利なる地=国府に近く、利便性の高い場所」という解釈もある。地形的にも、利府町は丘陵地と湾岸が交差する場所にあり、古代から交通と物流の要衝だったことがうかがえる。私は町内の加瀬沼公園を訪れ、古代の湿地帯と丘陵の境界に立ちながら、地名が風景に根ざしていることを実感した。
さらに、「トフ」という音そのものに地形的な意味を見出す説もある。ト=高所、フ=~になった所──つまり「高所に広がる地形」という解釈だ。私は加瀬台や青葉台といった高台の住宅地を歩きながら、地名が地形と音の記憶を重ねていることを感じた。
十符の里パーク
そして私は、十符という地名が今も生きている場所──「十符の里(とふのさと)パーク」を訪れた。公園の入口には「十符の里」の石碑が立ち、芝生広場の奥に復元された菅薦の展示が並んでいた。秋風に揺れるススキの向こうに、かつて都に献上された工芸の記憶が静かに息づいていた。地名の語源を探る旅の中で、実際に「十符」という言葉が風景として立ち現れる場所に立てたことは、私にとって大きな発見だった。
なお、地名の語源については諸説ある。町の公式資料では「十符の菅薦」に由来する説が紹介されているが、ネット上には「留守氏の居住地であったことから“利”と“府”を組み合わせた」「“トフ”という古地名に佳字を当てた」などの説も見られる。これらは信憑性が定かではないものの、参考情報として地名研究の一端を示している。地名がどのように生まれ、変化してきたかを考えるうえで、こうした仮説もまた風景の一部なのだ。
所在地:〒981-0131 宮城県宮城郡利府町青山1丁目
電話番号:0223566019
利府街道
利府町は、古代から中世、近世にかけて交通の要衝として栄えてきた。奥州街道の脇街道である「利府街道」は、仙台と松島を結ぶ重要なルートであり、藩政時代には仙台藩の御用道として利用された。私はその旧道を歩きながら、道沿いに残る石碑や屋号に、往時の旅人の気配を感じた。
利府宿は、仙台藩の宿駅として整備され、藩主の参勤交代や藩士の移動にも使われた。宿場町としての利府は、茶屋や旅籠が並び、文化と情報の交差点でもあった。現在の利府駅周辺には、かつての宿場の面影を残す地名や建物が点在している。
また、町内には古くからの神社も点在している。森郷の八幡神社、加瀬の熊野神社など、地域ごとに祈りの場が守られてきた。私は加瀬沼のほとりに立ち、水辺に映る社の姿を眺めながら、地名が信仰とともに生きていることを感じた。
利府という名は、道と社、そして人々の営みが交差する場所に生まれた言葉なのだ。
参考
河北新報オンライン「河北抄(10/17):通称「利府街道」、宮城県道8号の標識」
まとめ──利府という名に宿る風景と記憶
利府という地名は、ただの呼び名ではない。それは、古代の郷名「十符」、歌枕としての菅薦、交通と信仰の記憶が交差する場所に生まれた言葉だ。平安時代から和歌に詠まれた「十符の菅薦」は、当地の工芸と風土を象徴するものであり、現在も復元制作を通じてその記憶が受け継がれている。
また、地名の語源については諸説ある。町の公式資料では「十符の菅薦」に由来する説が紹介されているが、ネット上には「留守氏の居住地であったことから“利”と“府”を組み合わせた」「“トフ”という古地名に佳字を当てた」などの説も見られる。これらは信憑性が定かではないものの、参考情報として地名研究の一端を示している。地名がどのように生まれ、変化してきたかを考えるうえで、こうした仮説もまた風景の一部なのだ。
私は加瀬沼のほとり、旧街道の石畳、菅草の揺れる春日地区を歩きながら、利府という名が風土と記憶を編み込んだ言葉であることを実感した。語源の正確な答えは、時代の層の中に埋もれている。だが、現地を歩き、風景に触れ、語りを聞くことで、地名が生まれた背景に少しずつ近づくことはできる。
利府──その名は、歌と道と祈りが織りなす、静かで力強い記憶の器だった。