【宮城県仙台市】地名「霊屋下」の読み方・由来・語源をたどる旅in瑞鳳殿
地名は、土地の記憶を編み込んだ器である。私は地域文化を記録する仕事をしている。各地の地名の由来や伝承、神社の祭神、産業の背景を掘り下げ、現地の空気を感じながら文章にする──それが私の旅のかたちだ。
今回訪れたのは、宮城県仙台市青葉区にある「霊屋下(おたまやした)」という地名。仙台駅から南西へ約1.3km、広瀬川沿いに位置するこの町は、伊達政宗公の霊廟「瑞鳳殿」の麓に広がる住宅地である。地名に「霊」の字が含まれること、そして「おたまやした」という独特な読み方に、私は強く惹かれた。
私は実際に瑞鳳殿を訪れた。杉木立に囲まれた石段を登ると、漆黒に金彩が施された霊屋が静かに佇んでいた。政宗公の霊が祀られる場として、荘厳でありながらもどこか親しみのある空気が漂っていた。周囲には二代忠宗、三代綱宗の霊屋も並び、伊達家初期三代の記憶がこの地に集約されていることを実感した。
一方、四代綱村以降の伊達家当主は、黄檗宗に改宗したため、霊屋は瑞鳳殿ではなく、仙台市北山の大年寺(黄檗宗大年寺派本山)に祀られている。つまり、霊屋下という地名は、伊達家の初期三代に限って成立した祈りの地であり、宗派の変遷とともに霊廟の場所も分かれていったのである。
所在地:〒980-0814 宮城県仙台市青葉区霊屋下23−2
電話番号:0222626250
霊屋下の読み方
霊屋下は「おたまやした」と読みます。
霊屋下の語源由来──御霊屋の麓にある町
「霊屋下(おたまやした)」という地名は、伊達政宗公の霊廟「瑞鳳殿」に由来する。寛永13年(1636年)、初代仙台藩主・伊達政宗の没後、広瀬川南岸の経ケ峰に霊屋(おたまや)が建立された。以後、二代忠宗・三代綱宗の霊屋も同地に築かれ、仙台藩の祖霊を祀る聖域となった。
地名「霊屋下」は、この御霊屋の「下(麓)」に位置することから名付けられたものである。江戸期の絵図や『奥陽名数』によれば、この地には染師や小人衆(おおむね20石前後)が配置され、藩の職人町としての性格も持っていた。霊屋建立以前には、政宗に御供する染師が住んでいたが、造営時に移転させたという記録も残る。
明治期には仙台区、のち仙台市の町名となり、昭和10年には広瀬川対岸の米ケ袋との間に霊屋橋が架けられ、交通の要所ともなった。昭和41年には越路瑞鳳寺前丁の一部を合併し、現在の霊屋下町となった。
地名は、単なる地理的表現ではなく、祖霊と祈りの記憶を刻む言葉である。霊屋下──その名には、藩祖を敬う祈りと城下の格式が静かに息づいている。
参考
仙台市「町名に見る城下町」
まとめ──霊屋下という地名に宿る祈りと城下の記憶
霊屋下という地名は、伊達政宗公の霊廟「瑞鳳殿」の麓に位置することから名付けられた、祈りと格式の記憶を宿す町名である。私は広瀬川沿いの坂道を歩き、杉林の静けさと石段の重みを感じながら、地名に込められた意味を探った。
「霊屋」は祖霊を祀る場、「下」はその麓──霊屋下という地名は、藩祖を敬う祈りと城下町の構造が重なり合って生まれた言葉である。四代目以降の伊達家当主が黄檗宗に改宗し、北山の大年寺に祀られるようになったことは、宗派と地名の関係を考える上でも重要な転換点である。
地名は、風景と暮らし、祈りと伝承の記憶を編み込んだ器──霊屋下という名が語る物語を、私は静かに辿った。