【宮城県仙台市】難読地名「上杉」の読み方・由来・語源をたどるin青葉区愛宕上杉通り
仙台市青葉区の中心部に位置する「上杉(かみすぎ)」は、地元の人々には馴染み深い地名だが、初見では「うえすぎ」と読んでしまう人も少なくない。私もその一人だった。上杉景勝や上杉謙信の名が頭をよぎり、武家由来の地名かと思ったが、実際にはまったく異なる由来を持つ。地名の背景には、仙台藩の都市計画と、藩政期の通りの名残が静かに息づいていた。
私はこの地名の語源を探るため、実際に上杉地区を歩いてみた。青葉区役所がある一丁目から、六丁目の住宅街まで、通りの名や町割りの痕跡をたどる。かつてこの地には「上杉山通り(かみすぎやまどおり)」という通りがあり、台原段丘に至る道として名付けられていた。地名「上杉」は、この通り名を短縮したものであり、「上」は仙台城に近い側を意味している。
この地は、江戸時代には中級武士の屋敷が並び、明治以降は住宅地として発展した。昭和期には官公庁や企業のオフィスが建ち並び、現在では仙台市内でも地価の高い地域のひとつとなっている。通りの名が地名となり、都市の記憶として残る──その過程を、私は現地で確かめたかった。
所在地:〒980-0011 宮城県仙台市青葉区
参考
仙台市「道路の通称として活用する歴史的町名の由来(《杉山通》)
仙台市上杉の読み方・由来・語源
「上杉(かみすぎ)」という地名は、仙台市青葉区の町丁であり、現在は一丁目から六丁目までが存在する。地名の由来は、かつてこの地域に存在した「上杉山通り(かみすぎやまどおり)」という通り名にある。この通りは、台原段丘に至る道として、杉の栽培地「杉山台」へ通じることから名付けられた。
「上杉山通り」は、現在の愛宕上杉通りにあたり、仙台城から北へ向かう主要な通りのひとつだった。通りの名に「上」がつくのは、複数ある杉山通りのうち、仙台城に最も近い側だったためとされる。地名「上杉」は、この通り名を短縮したものであり、武家の上杉氏とは直接の関係はない。
昭和45年(1970年)の住居表示実施に伴い、複雑だった町割りを整理するために「上杉」という地名が正式に設定された。それ以前は、北一番丁から北八番丁までの東西の通りや、勾当台通、堤通、外記丁通などが交差する地域であり、町名も通り名と重なっていた。
この地域は、江戸時代には中級武士の屋敷が並び、明治以降は住宅地として発展。昭和期には青葉区役所をはじめとする官公庁や企業のオフィスが建ち並び、現在では仙台市内でも地価の高い地域として知られている。地名「上杉」は、通りの名を縮めたものでありながら、都市の記憶を今に伝える象徴的な存在となっている。
愛宕上杉通りを訪れる
私は仙台市営地下鉄の北四番丁駅を降り、上杉一丁目から歩き始めた。青葉区役所のある一丁目は、官公庁や企業のビルが並ぶ都市的な風景だが、少し歩くとすぐに閑静な住宅街に変わる。通りの名残を探しながら、私は「愛宕上杉通り」を北へと進んだ。
この通りは、かつての「上杉山通り」にあたり、台原段丘へと続いている。通り沿いには、古い石垣や門構えの残る住宅もあり、かつて武士の屋敷が並んでいた面影を感じさせる。通りの名が地名となり、都市の記憶として残る──そのことを実感しながら歩いた。
上杉六丁目に近づくと、風景はさらに静かになり、台原森林公園の緑が視界に見えてくる。この公園は、かつて杉の栽培地「杉山台」と呼ばれていた場所であり、地名の由来に深く関わっている。伊達綱村が杉の栽培を奨励したことが背景にあるとされ、藩政期の都市計画の痕跡が今も残っている。
通りを歩いていると、上杉山通小学校の校門に出会った。この小学校は、通りの名を冠した数少ない施設であり、地名の由来を今に伝える存在でもある。校門の前には、開校百周年を記念して設置された碑があり、地域の歴史と誇りが刻まれていた。
私は通りの端まで歩き、振り返ってみた。都市の中心から少し離れたこの地に、通りの名が地名となり、都市の記憶として残っていることに、深い感慨を覚えた。地名とは、ただのラベルではない。人々の暮らしと記憶が織り込まれた、都市の物語なのだ。
〒980-0011 宮城県仙台市青葉区上杉6丁目
まとめ
仙台市青葉区の地名「上杉(かみすぎ)」は、武家の上杉氏とは無関係であり、かつて存在した「上杉山通り」に由来する。この通りは、台原段丘に至る道として、杉の栽培地「杉山台」へ通じていた。通りの名に「上」がつくのは、仙台城に最も近い側だったためであり、地名「上杉」はこの通り名を短縮したものである。
昭和45年の住居表示実施に伴い、複雑だった町割りを整理するために「上杉」という地名が正式に設定された。それ以前は、北一番丁から北八番丁までの通りや、勾当台通、堤通、外記丁通などが交差する地域であり、町名も通り名と重なっていた。
私は実際にこの地を歩き、通りの名残や都市の層を感じた。愛宕上杉通りを北へ進むと、かつての武家屋敷の面影が残る住宅街が広がり、台原森林公園の緑が視界に広がる。上杉山通小学校の校門には、地域の歴史と誇りが刻まれた碑があり、地名の由来を今に伝えていた。
「かみすぎ」という地名には、通りの名と都市の記憶が静かに息づいている。地名とは、土地の記憶を織り込んだ言葉であり、都市の物語を今に伝える存在なのだ。