【宮城県仙台市】難読地名「六丁の目」の読み方や語源・由来をたずねるin若林区太子堂・南無阿弥陀仏の石碑
仙台市若林区にある「六丁の目(ろくちょうのめ)」という地名は、初見では読みづらく、耳にしても不思議な響きを感じる人が多いだろう。地下鉄の駅名としては知られているが、その由来や背景に触れる機会は少ない。だがこの地名には、古代から続く信仰の痕跡と、近代以降の都市開発が交差する、仙台らしい重層的な記憶が宿っている。
私は地域文化ライターとして、地名に込められた意味や背景を探ることをライフワークとしている。今回の探訪は、「六丁の目」の読み方と語源、そして実際に現地を歩いて感じた空気を記録する旅だった。工業団地の中に残る石碑、太子堂に祀られた六字の名号、そして通りに漂う生活の気配——それらが交差する町には、都市の歴史と人々の信仰が静かに息づいていた。
「六丁の目」という地名は、仏教の六字名号「南無阿弥陀仏」に由来するという説がある一方、区画整理による丁目の数え方から来たという俗説もある。いずれにせよ、町名としての成立は近代以降でありながら、その語源には中世の宗教文化が色濃く反映されている。
この記事では、「六丁の目の読み方と語源」「実際に訪れて感じた町の空気」「地名に宿る記憶と文化」を軸に、仙台の地名が語る物語を紐解いていく。
参考
仙台市「六丁の目駅」
せんだいメディアテーク「六丁の目って何丁目」
所在地:〒984-0012 宮城県仙台市若林区六丁の目中町1 番 地 先
六丁の目の読み方と語源・由来
「六丁の目」と書いて「ろくちょうのめ」と読む。仙台市若林区に位置するこの地名は、地下鉄東西線の駅名としても知られているが、その由来には複数の説がある。
最も有力とされるのが、仏教の六字名号「南無阿弥陀仏」に由来するという説だ。鎌倉時代、時宗の開祖・一遍上人が諸国を遊行していた際、この地に立ち寄り、念仏を広めるために「南無阿弥陀仏」の六文字を石に刻んだという伝承が残っている。その石碑は「六字の銘(ろくじのめい)」と呼ばれ、やがて地名として定着したとされる。
この説を裏付けるように、現在も六丁の目コミュニティセンター前には「太子堂」があり、そこに「南無阿弥陀仏」の文字が刻まれた石碑が祀られている。地元ではこの石碑を「六字の銘」と呼び、地名の由来として語り継いでいる。
一方で、近代以降の区画整理により「六丁目の目」と誤解されたことから、「六丁の目」という表記が定着したという俗説もある。実際には「一丁目」「二丁目」などの町名とは異なり、「六丁の目」は一つの固有地名であり、丁目の数え方とは関係がない。
また、地名の「目」は「目印」や「地点」を意味する古語であり、「六丁の目」は「六丁(約654m)ほど進んだ地点」という意味にも解釈できる。これは、かつての街道沿いの距離感覚を反映した地名とも考えられる。
このように、「六丁の目」という地名は、仏教的信仰と街道文化、そして近代の都市整備が交差する中で成立した、仙台らしい重層的な地名である。読み方の難しさの裏には、こうした歴史の層が幾重にも重なっているのだ。
六丁の目をたずねる
地下鉄東西線の六丁の目駅を降りると、目の前に広がるのは整然とした工業団地と住宅街の混在する風景だった。仙台市若林区の東部に位置するこの町は、近代的な都市整備が進む一方で、古くからの信仰や地名の記憶が静かに息づいている。私はこの地名の由来を探るべく、歩いて町を巡ることにした。
まず向かったのは、六丁の目コミュニティセンターの前にある「太子堂」。ここには「南無阿弥陀仏」の六字名号が刻まれた石碑が祀られており、地元では「六字の銘」と呼ばれている。この石碑こそが、地名「六丁の目」の由来とされる信仰の痕跡だ。私は手を合わせながら、鎌倉時代に一遍上人がこの地を訪れ、念仏を広めたという伝承に思いを馳せた。
太子堂の周囲には、古くからの住宅が点在し、庭先には季節の花が咲いていた。近くの商店では、地元の人々が買い物を楽しみ、店主と世間話を交わしていた。工業地帯のイメージが強い六丁の目だが、こうした日常の風景には、町の温もりと人々の暮らしがしっかりと根を張っていることが感じられた。
私はさらに歩を進め、かつての街道筋とされる通りへと向かった。「六丁の目」という地名が、街道の距離感覚から来ているという説もある。実際、通りには「六丁の目通」「六丁の目中町」などの表示があり、町が複数の区画に分かれていることがわかる。だが、これらは近代以降の区画整理によるものであり、地名そのものはもっと古い信仰に根ざしている。
歩きながら、私はこの町が持つ二重性に気づいた。工業団地としての近代的な顔と、仏教的信仰に支えられた歴史的な顔——それらが交差することで、六丁の目は仙台らしい重層的な町となっている。地名に込められた意味を知り、実際に歩いて感じることで、町の記憶はより鮮明に立ち上がってくる。
六丁の目は、ただの駅名でも、工業地帯でもない。それは、信仰と暮らしが交差する町であり、仙台の文化的深層を静かに語る場所なのだ。
太子堂 孝子藤生碑
〒984-0012 宮城県仙台市若林区六丁の目中町14−26
まとめ
「六丁の目(ろくちょうのめ)」という地名は、仙台市若林区の東部に位置し、地下鉄駅名や工業団地の名称として知られている。だが、その響きの奥には、仏教的信仰と都市開発が交差する仙台らしい重層的な記憶が宿っている。
地名の由来として最も有力なのは、鎌倉時代に一遍上人がこの地に立ち寄り、「南無阿弥陀仏」の六字名号を石に刻んだという伝承だ。この石碑は「六字の銘」と呼ばれ、現在も太子堂に祀られている。地元ではこの信仰の痕跡を大切に守り、地名の由来として語り継いでいる。
一方で、近代以降の区画整理によって「六丁目の目」と誤解されたことから、現在の表記が定着したという俗説もある。また、「目」という言葉が街道の目印や地点を意味する古語であることから、「六丁の目」は街道文化に根ざした地名とも解釈できる。
私は実際に六丁の目を歩き、太子堂の石碑に手を合わせ、工業団地の中に残る生活の気配に触れた。町には近代的な整備が進む一方で、古くからの信仰や人々の営みが静かに息づいていた。地名に込められた意味を知り、実際に歩いて感じることで、町の記憶はより鮮明に立ち上がってくる。
六丁の目は、ただの駅名でも、工業地帯でもない。それは、信仰と暮らしが交差する町であり、仙台の文化的深層を静かに語る場所なのだ。地名に宿る記憶を辿ることで、私たちは都市の成り立ちと人々の思いに触れることができる。