【宮城県仙台市】地名「裏柴田町・表柴田町」の読み方や語源・由来をたどるin白鳥神社・大高山神社・大阪日本武尊白鳥陵
仙台市若林区に「裏柴田町」「表柴田町」という難読地名がある。地元の人には馴染み深いが、県外の人にはまず読めない。私がこの地名に惹かれたのは、その響きの奥に、土地の記憶と信仰が静かに息づいているように感じたからだ。
「うらしばたまち」「おもてしばたまち」と読むこの町名は、江戸時代初期、寛永10年(1633)前後に町割された足軽町に由来する。柴田郡出身の足軽衆169人がこの地に住み、故郷の守護神である大高山神社を勧請して白鳥神社を建立した。つまり、町名は人の移動と信仰の痕跡そのものなのだ。
実際に町を歩いてみると、仙台一高の南側に表柴田町、北側に裏柴田町が位置しており、現在は学校によって分断されている。近くには椌木通(ごうらぎどおり)というこれまた難読地名があり、その一角に白鳥神社が静かに佇んでいた。
さらに私は、白鳥神社の大本である柴田郡大河原町の大高山神社や、大阪羽曳野市にある日本武尊白鳥陵にも足を運んだ。日本武尊を祀るこの神社は、足軽たちが故郷の神を仙台に持ち込んだ信仰の源であり、町名の由来を実感するには欠かせない場所だった。
地名とは、土地の記憶を映す鏡である。裏柴田町・表柴田町という言葉の奥には、移住と信仰、そして人々の暮らしが刻まれていた。
参考
仙台市「町名に見る城下町」「第23集 仙台の由緒ある町名・通名 辻標のしおり」
所在地:〒984-0055 宮城県仙台市若林区
裏柴田町・表柴田町の読み方と語源・由来
「裏柴田町」「表柴田町」は、それぞれ「うらしばたまち」「おもてしばたまち」と読む。仙台市若林区に位置し、仙台一高の南側が表柴田町、北側が裏柴田町とされている。現在は学校の敷地によって分断され、裏柴田町は東側だけが残っているという。
この町名の由来・語源は、江戸時代初期に柴田郡から召し出された足軽衆が居住したことにあるという。寛永10年(1633)前後に町割され、169人の足軽がこの地に住んだ。彼らは故郷の守護神である大高山神社を勧請し、日本武尊を祀る白鳥神社を建立した。つまり、町名は出身地と信仰を反映したものなのだ。
足軽町には、弓の稽古場「的場」や鉄砲の稽古場「星場」が設けられることも多く、町名は単なる地理的呼称ではなく、軍事・信仰・共同体の記憶を宿している。
また、町名の南北の配置から、三百人町・成田町・表柴田町・裏柴田町と続く足軽屋敷群の一部であることがわかる。地名の順序そのものが、江戸時代の町割と人の配置を物語っている。
白鳥神社と大高山神社を訪ねて
仙台市若林区の表柴田町・裏柴田町を歩いていると、椌木通(ごうらぎどおり)という難読地名の一角に、白鳥神社がひっそりと佇んでいた。住宅街の中にある小さな神社だが、町名の由来を辿るうえで欠かせない場所である。周辺には木ノ下の陸奥国分寺や連坊など、歴史ある地名が並ぶ。
この白鳥神社は、江戸時代初期に柴田郡から召し出された足軽衆が、故郷の守護神を仙台に勧請して建立したもの。彼らが祀ったのは、日本武尊(やまとたけるのみこと)を御祭神とする柴田郡大河原町の大高山神社だった。つまり、白鳥神社は信仰の“分社”であり、町名の由来は人の移動と信仰の痕跡そのものなのだ。
白鳥神社の境内はこぢんまりとしているが、鳥居をくぐると手水舎と社殿があり、地域の人々が今も手を合わせている様子がうかがえる。社殿の前に立つと、足軽たちがこの地に根を下ろし、故郷の神を祀った心情が静かに伝わってくる。
所在地:〒984-0055 宮城県仙台市若林区表柴田町3
参考:宮城県神社庁
大阪羽曳野市の白鳥神社と白鳥陵
私は現在関西に住んでいるが、仕事で大阪府羽曳野市の白鳥にある白鳥神社と白鳥陵(日本武尊陵)を訪れたことがある。そこは、日本武尊が亡くなった後、魂が白鳥となって天に昇ったという伝説に基づく聖地であり、陵墓として宮内庁により管理されている。白鳥神社の由緒にも「白鳥伝説」が明記されており、神話と地名が重なり合う場所だった。
この白鳥伝説は『古事記』『日本書紀』に記されており、日本武尊が伊吹山で病に倒れ、能褒野で亡くなった後、魂が白鳥となって飛び去ったとされる。白鳥は大和、河内、讃岐などに飛来したとされ、各地に「白鳥神社」や「白鳥陵」が残されている。大阪や和歌山は天孫降臨神話の地としても知られ、神話と地名が密接に結びついている地域だ。
こうした背景を踏まえると、仙台の白鳥神社もまた、日本武尊の神格化と白鳥伝説の一端を担っていることがわかる。私はその信仰の源を確かめるため、柴田郡大河原町金ヶ瀬にある大高山神社にも足を運んだ。
軽里大塚古墳(日本武尊白鳥陵)
所在地:〒583-0854 大阪府羽曳野市軽里3丁目
電話番号:0729581111
大高山神社へ
大高山神社は、日本武尊を祀る由緒ある神社で、社伝によれば敏達天皇の元年(571年)日本武尊を祭神として創建されたとされる。本殿は元禄の建物で、東北最古の鰐口があるという。大河原町の最古の神社だ。境内は杉木立に囲まれ、静謐な空気が漂っていた。社殿の前に立つと、仙台に住んだ足軽たちがこの神をどれほど大切に思っていたかが伝わってくる。
日本武尊は日本統一した神話の英雄だ。大鳥神社や白鳥神社など、全国に日本武尊を祀る神社は多くある。仙台への移住を命じられた柴田郡大河原町の武士たちが、大高山神社の白鳥伝説をもとに、白鳥神社を分祀・建立した理由が、少しわかったかもしれない。
白鳥神社と大高山神社——この二つの神社を巡ることで、裏柴田町・表柴田町という地名が、単なる呼称ではなく、移住と信仰の記憶であることを実感した。地名に刻まれた人々の祈りと故郷への想いは、今も神社の境内に静かに息づいている。
大高山神社
所在地: 〒989-1224 宮城県柴田郡大河原町金ケ瀬台部2−1
電話番号: 0224-52-1382
参考
まとめ
裏柴田町・表柴田町——その響きの奥には、江戸時代の移住と信仰の記憶が刻まれていた。柴田郡から召し出された足軽衆が住み、故郷の守護神・大高山神社を勧請して白鳥神社を建立したことが、町名の由来となっている。
白鳥神社は、日本武尊を祀る神社であり、その名は「白鳥伝説」に由来する。日本武尊が亡くなった後、魂が白鳥となって天に昇ったという神話は、『古事記』『日本書紀』に記され、全国各地に白鳥神社や白鳥陵が残されている。私は関西在住で、仕事の合間に羽曳野市の白鳥神社と白鳥陵を訪れたことがある。そこでは神話と地名が重なり合い、土地の記憶が静かに語りかけてきた。
大阪や和歌山は天孫降臨神話の地としても知られ、地名や神社が神話と密接に結びついている。仙台の白鳥神社もまた、そうした神話的背景を持つ場所であり、町名の由来を辿ることで、土地の文化的深みが見えてくる。
地名とは、土地の記憶を映す鏡である。裏柴田町・表柴田町という言葉の奥には、移住と信仰、そして人々の暮らしと神話が静かに息づいていた。
