【午年・宮城県仙台市】伊達政宗の愛馬「五島」を祀る「馬上蠣崎神社」の読み方やご利益、由来をたずねる|五島は小牛田の後藤信康の馬?実際にいってみた

仙台の街中にひっそりと佇む「馬上蠣崎神社(うばがみかきざきじんじゃ)」は、伊達政宗の愛馬「五島」を祀る珍しい神社である。五島は政宗公に功臣・後藤信康が献じた名馬で、慶長十九年(1624)、政宗の大坂出陣に随行できないことを悲しみ仙台城本丸の崖から身を投じたと伝えられる。その忠義を悼み、蠣崎の地に葬られ神社が建てられたのが始まりだ。明治期に陸軍用地化のため片平の良覚院跡へ移され、現在の社殿は昭和37年の火災後に再建された。

私はこの神社を訪ね、境内に立つと政宗と五島の忠義や絆を思わずにいられなかった。狛犬が守る社殿の横には修験道の開祖・役行者の石像があり、かつてここが修験寺院「良覚院」の跡地であることを知る。さらに周辺には良覚院丁公園が整備され、市民の憩いの場となっていた。緑水庵という茶室を備えた庭園は池泉回遊式で、仙台の輪王寺庭園と並ぶ美しさを誇り、訪れる人を静謐な時間へ誘う。

五島の物語に触れ、修験道の歴史を感じ、市民の暮らしに根付いた公園や庭園を歩くことで、仙台という都市の奥深い文化の層が見えてきた。馬上蠣崎神社は単なる小さな神社ではなく、政宗の心情、修験道の記憶、そして市民の生活が交差する場であることを実感した。

参考

宮城県神社庁「蠣崎神社(かきざきじんじゃ)

仙台市「良覚院丁公園(緑水庵庭園)」「区内の茶室 緑水庵」「第23集 仙台の由緒ある町名・通名 辻標のしおり

レファレンス協同データベース「良覚院丁公園を守るために都市計画道路をずらしたと聞いた ...

所在地:〒980-0812 宮城県仙台市青葉区片平1丁目2−18

電話番号:0222132231

馬上蠣崎神社の読み方と由来

「馬上蠣崎神社」は「うばがみかきざきじんじゃ」と読む。仙台市青葉区片平に鎮座するこの神社は、伊達政宗の愛馬「五島(ごとう)」を祀ることで知られている。由来は慶長十九年(1624)、政宗公の大坂出陣に随行できなかった五島が悲しみのあまり仙台城本丸の崖から飛び降りて命を絶ったという逸話にある。忠義を尽くした名馬を悼み、その地に葬られたことから「蠣崎」に神社が建てられ、追廻馬場の守護とされた。

明治期に入ると、蠣崎一帯が陸軍用地となり、神社は良覚院跡に移された。良覚院は修験道の寺院であり、役行者を祀る修験の場として知られていたが、修験宗廃止令により廃寺となった。その後、神社は片平の現在地に移され、昭和37年の火災で社殿が焼失したものの同年に再建され、今日に至っている。

境内には役行者の石像が残り、修験道の記憶を今に伝えている。周辺には良覚院丁公園が整備され、茶室「緑水庵」を備えた池泉回遊式庭園が広がる。苔むした庭園は梅雨時期には緑の絨毯のように輝き、市街地にありながら杜の都の豊かな自然を感じさせる。こうした環境は、神社が単なる信仰の場ではなく、仙台の歴史と文化が重層的に息づく場所であることを示している。

参考

仙台市「良覚院丁公園(緑水庵庭園)

馬上蠣崎神社のご利益

馬上蠣崎神社は古くから「子どもの神様」として信仰されてきた。馬の字が付くことから、子どもの馬脾風(ジフテリア)除けの神として崇められ、胡桃を奉納する習わしがあったという。胡桃は堅い殻に守られた実を持つことから、病気除けや健康祈願の象徴とされ、参拝者は子どもの健やかな成長を願って奉納した。また、百日咳の平癒にもご利益があるとされ、地域の人々に篤く信仰されてきた。

さらに、五島の忠義にちなみ「忠誠」「守護」の象徴としても信仰され、家族や大切な存在を守る力があると考えられてきた。境内にある役行者の石像は修験道の記憶を伝え、修験者が祈りを捧げた場であることから、病気平癒や厄除けのご利益も重ねられている。

現代では、地域の人々が通りすがりに手を合わせる姿も見られ、子どもの健康祈願だけでなく、家族の安全や日常の安寧を願う場として親しまれている。良覚院丁公園や緑水庵庭園と隣接しているため、参拝後に庭園を散策しながら心を落ち着けることもできる。苔むした庭園の静けさと神社の祈りが重なり合い、訪れる人に癒しと安心を与えるのが馬上蠣崎神社のご利益の大きな特徴である。

参考

境内の案内記

馬上蠣崎神社の御朱印

馬上蠣崎神社では御朱印の授与は行っていないが、代わりに青葉区川内亀岡にある亀岡八幡宮でいただくことができるようだ。御朱印には伊達家の家紋「竹に雀」が押印され、政宗公との深いゆかりを感じさせる。竹はしなやかで折れにくく、雀は繁栄と安寧を象徴することから、御朱印そのものが守護と繁栄の祈りを込めたものとなっている。

御朱印帳に記された墨書は、参拝の証であると同時に、五島の忠義を伝える神社の歴史を刻むものでもある。亀岡八幡宮でいただける御朱印は、馬上蠣崎神社を訪ねた記念としても貴重であり、仙台の歴史を巡る旅の一部として心に残る。

参考

亀岡八幡宮

所在地: 〒980-0865 宮城県仙台市青葉区川内亀岡町62
電話番号: 022-213-2231

伊達政宗の愛馬「五島」とは?

伊達政宗の愛馬「五島(ごとう)」は、家臣・後藤信康が献じた名馬として知られている。信康は「黄後藤」と称されるほど勇猛な武将で、政宗の家臣団の中でも重きをなした人物であったという。五島はその信康から政宗に献上され、戦場で活躍したと伝えられる。

五島にまつわる逸話は、政宗の大坂出陣に随行できなかったことに端を発する。慶長十九年(1624)、年老いた五島は政宗の軍に加わることができず、その悲しみのあまり仙台城本丸の崖から身を投じて命を絶ったとされる。忠義を尽くした馬の行動は人々の心を打ち、政宗自身も深い悲しみに包まれたと伝わる。この逸話は後世に語り継がれ、五島を祀る神社が建立される契機となった。

一方で、後藤信康自身にも五島と関わる説話が残されている。桧原城主であった時、戦場に出られない退屈さを政宗に訴えたが許されず、悲観した信康が愛馬・五島に跨り崖下へ身を投じたという話である。史実としては信康は慶長十九年に没しているため、逸話の真偽は定かではないが、忠義と悲哀を象徴する物語として広く伝えられている。

郷土史家・三原良吉によれば、馬上蠣崎神社(仙台市青葉区片平)には「政宗公の愛馬・五島が大坂冬の陣に漏れたことを悲しみ、居城の本丸から崖下に飛び降り死亡した」という説話が神社の由来とともに伝えられている。つまり、五島の物語は政宗の軍事的栄光と忠義の象徴として仙台の地に深く根付いているのである。

五島は単なる一頭の馬ではなく、政宗と家臣団の絆を象徴する存在であり、その忠義の物語は神社の信仰と結びつき、現代に至るまで人々の祈りの対象となっている。

参考

東北大学「仙台藩宿老後藤家文書 - 東北大学機関リポジトリTOUR

【東北戦国史】黄後藤と呼ばれた男―後藤信康 - Yahoo!ニュース

国際日本文化研究センター | 怪異・妖怪伝承データベース

実際に馬上蠣崎神社へ参拝してみた

仙台市青葉区片平にある馬上蠣崎神社を訪ねた。街中にありながら、鳥居をくぐると静かな空気が漂い、狛犬が迎えてくれる。社殿は昭和37年の火災後に再建されたものだが、質素でありながら凛とした雰囲気を保っていた。伊達政宗の愛馬「五島」を祀る神社として知られるが、境内を歩くと単なる逸話の舞台ではなく、仙台の宗教文化の厚みを感じさせる場所であることが分かる。

境内には修験道の開祖とされる役行者(えんのぎょうじゃ)の石像が静かに佇んでいた。役行者は飛鳥時代の呪術者・役小角(えんのおづの)のことで、山に籠もり厳しい修行を行い、山岳信仰と仏教を融合させた修験道を開いた人物である。修験道は山を聖域とみなし、祈祷や修行を通じて現世利益を求める宗教文化で、平安期以降全国に広がった。仙台藩でも修験者は重要な役割を担い、藩の祈祷や祭礼に関わり、領民の信仰を支えた。有名な秋保の田植踊りや石巻市の雄勝法印神楽も修験道の影響をうけている。

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良覚院はその修験道の拠点であり、聖護院(京都に本山を置く修験道の中心寺院)の末寺として仙台に根付いていたという。修験者たちは山岳修行を行いながら藩の祈祷を担い、地域の人々に病気平癒や厄除けの信仰を広めた。明治初期の修験宗廃止令により良覚院は廃寺となったが、その跡地に馬上蠣崎神社が移されたことで、修験道の記憶は神社に受け継がれることとなった。

参拝を終え、境内を歩きながら、政宗と五島の物語、修験道の歴史、そして仙台藩の宗教文化が一つの場所に重なり合っていることを実感した。周辺には良覚院丁公園が整備され、茶室「緑水庵」を備えた池泉回遊式庭園が広がる。苔むした庭園の静けさは、修験者の祈りや政宗の心情を思い起こさせ、仙台という都市の奥深い文化の層を感じさせる。馬上蠣崎神社は、忠義の逸話と修験道の記憶が交差する場として、訪れる人に深い感動を与える場所であった。

所在地:〒980-0863 宮城県仙台市青葉区川内追廻

周辺の見どころ

神社の周辺には、良覚院丁公園が広がっている。市街地にありながら濃い緑に覆われ、訪れる人に静けさを与える場所だ。特に茶室「緑水庵」を備えた庭園は見事で、池泉回遊式の造りにアカマツや春日灯籠、一枚石の橋、景石が配置されている。梅雨時期には庭園一面を苔が覆い、まるで緑の絨毯を敷き詰めたような光景が広がる。木々の深い緑と苔の潤いが重なり、光さえも緑色に輝いて見えるほどだ。

私は庭園を歩きながら、仙台の輪王寺庭園を思い出した。緑水庵の庭園はそれに並ぶ美しさを誇り、茶室で抹茶をいただきながら庭を眺めると、日常の喧騒を忘れさせてくれる。市民が句会や茶会に利用する場でもあり、文化的な交流の場としても息づいている。神社参拝の後にこの庭園を訪れると、政宗と五島の物語の余韻が静かな緑に溶け込み、心が落ち着いていくのを感じた。

まとめ

馬上蠣崎神社を訪ねる旅は、仙台の歴史と文化を重層的に感じる時間となった。伊達政宗の愛馬「五島」が命を絶った逸話は、忠義と悲哀に満ちており、政宗の心情を想像すると胸が締め付けられる。神社はその五島を祀り、子どもの守り神として信仰されてきた。胡桃を奉納する風習や百日咳平癒の信仰は、民間信仰の厚さを物語っている。

境内には役行者の石像があり、かつて修験道の寺院「良覚院」があったことを示している。修験道の記憶が神社に息づいていることは、仙台の宗教文化の奥深さを感じさせる。さらに周辺には良覚院丁公園が整備され、市民の憩いの場として親しまれている。緑水庵の庭園は池泉回遊式で、仙台の輪王寺庭園と並ぶ美しさを誇り、訪れる人を静かな時間へと誘う。苔むした庭園の緑は、政宗と五島の物語の余韻をより深く感じさせる。

私は参拝を終え、庭園を歩きながら、政宗と五島の物語、修験道の歴史、市民の暮らしが一つの場所に重なり合っていることを実感した。馬上蠣崎神社は小さな神社でありながら、仙台の歴史と文化を凝縮した場であり、訪れる人に深い感動を与える。宮城の魅力を引き出す旅の一環として、この神社は欠かせない存在であると強く感じた。

投稿者プロ フィール

東夷庵
東夷庵
地域伝統文化ディレクター
宮城県出身。京都にて老舗和菓子屋に勤める傍ら、茶道・華道の家元や伝統工芸の職人に師事。
地域観光や伝統文化のPR業務に従事。

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