【宮城県仙台市】日本で唯一雅称がある都市「杜の都仙台」と由来語源・発祥地を訪ねるin定禅寺通り・大崎市


都市の魅力は、建物や人の賑わいだけでは語り尽くせない。私は地域文化を記録する仕事をしているが、都市の「緑」が語る物語に惹かれることがある。今回訪れたのは、宮城県仙台市──「杜の都」という日本唯一の雅称を持つ都市だ。
「杜の都」とは、単なるキャッチコピーではない。人の手で育てられた緑──屋敷林、寺社林、街路樹──それらが都市全体を包み込むように存在していた仙台の姿を表す言葉だ。戦後の復興期、青葉通や定禅寺通にケヤキ並木が整備され、失われた緑が再び都市に息づいた。私はその象徴である定禅寺通りを歩きながら、「杜の都」の本質に触れたいと思った。
なぜ仙台は「杜の都」と呼ばれるのか。その背景には、伊達政宗が築いた都市設計と、北部・大崎地方に根づく屋敷林文化──イグネの存在がある。仙台の前に政宗が拠点とした大崎市には、今も屋敷林が民家を包み込むように残っている。私は定禅寺通りのケヤキ並木を歩いたあと、そのルーツを探るため、大崎市の加護坊山へと向かった。
参考
仙台市「「杜(もり)の都」のいわれ」
日本テレビNEWSNNN「【そもそも.】「杜の都・仙台」って?ケヤキになった意外過ぎるワケ」
レファレンス協同データベース「仙台市が「杜の都」「学都の都」と呼ばれているが」
杜の都とは──人の手で育てた緑の都市
「杜の都」という表現は、昭和45年に仙台市が制定した「公害市民憲章」に記されたことで公式化された。かつて仙台は「森の都」とも呼ばれていたが、再び「杜の都」として再登録された背景には、単なる自然林ではなく、人々が手をかけて育ててきた緑への敬意がある。
「杜」は神社や寺院の周囲にある神聖な緑を意味し、仙台では武家屋敷や寺社、広瀬川の河畔、青葉山の斜面などに植栽された緑が都市全体を包み込んでいた。伊達政宗は家臣に対し、屋敷内に果樹や防風林を植えるよう奨励し、都市の構造そのものに緑を組み込んだ。仙台空襲でその緑は失われたが、戦後の復興で街路樹や公園の整備が進み、再び「杜の都」として息を吹き返した。
この「杜」は、自然の恵みと人の営みが交差する場所──仙台の都市文化の根幹をなす存在である。
定禅寺通りとは
仙台市中心部には、青葉通り、広瀬通り、定禅寺通りといったケヤキ並木が連なる街路がある。これらは戦後の復興期に都市緑化の一環として整備されたもので、「杜の都・仙台」の象徴的景観を構成している。中でも定禅寺通りは、都市の中にありながら、歩くことが心地よいと感じられる稀有な空間だ。
定禅寺通りは、仙台市役所前から西公園通りまでを東西に走る街路で、中央分離帯に幅広い遊歩道が設けられている。ケヤキの並木が両側から枝を伸ばし、緑のトンネルのような空間をつくり出している。春から夏にかけては新緑が陽光を透かし、秋には黄金色に染まり、冬にはイルミネーションが輝く──四季折々の表情が、都市の風景に彩りを添える。
歩道にはベンチが点在し、通りを眺めながら腰を下ろすことができる。都市の道路でありながら、「座って眺めたい」と思わせる場所はそう多くない。ガラス張りの仙台メディアテークや、和菓子屋「売茶翁」の屋敷のような外観が並木を挟んで向かい合い、近現代と伝統が見事に調和している。
この通りは、ただの交通路ではなく、市民の文化活動の舞台でもある。毎年9月には「定禅寺ストリートジャズフェスティバル」が開催され、通り沿いの各所にステージが設けられ、市民と音楽が一体となる。12月には「SENDAI光のページェント」が行われ、ケヤキ並木が約60万個のLEDで彩られ、幻想的な光の回廊となる。
通りの一角には、イタリアの彫刻家エミリオ・グレコによる「夏の思い出」などのブロンズ像が設置されており、芸術と都市空間が自然に融合している。市民が日常的に通る場所に、文化と緑が息づいている──それが定禅寺通りの魅力だ。
杜の都を構成する街路の中でも、定禅寺通りは都市と自然、文化と市民が最も豊かに交差する場所である。私はこの通りを歩きながら、「都市とは、こういう風に人と緑が共にあるべきなのではないか」と感じた。
所在地:宮城県仙台市青葉区
杜の都の発祥とは?屋敷林=イグネ?
定禅寺通りの並木を歩きながら、私はふと「この緑の発想はどこから来たのか」と思った。仙台の都市設計を築いた伊達政宗は、仙台の前に10年以上、大崎市岩出山の岩出山城に居住していた。そこには、屋敷林文化──イグネが根づいている。
イグネとは、民家の周囲に植えられた防風・防雪・防火のための林であり、宮城県北部に特有の景観である。奥羽山脈から吹き下ろすヤマセや季節風、雪などの自然の厳しさを和らげるため、民家を緑で包み込むという合理的な知恵が生まれた。
仙台の屋敷林文化は、このイグネの思想を都市に応用したものではないか──そう考えた私は、イグネの原風景を見るため大崎市へ向かった。
参考
仙台市「居久根の保全や再生」
世界農業遺産・大崎市の居久根(イグネ)原風景を見に加護坊山へ
大崎市は、大崎平野の真ん中に位置しており、2017年には居久根(イグネ)を含んだ水管理や農業土木といった構成要素が「大崎耕土」として世界農業遺産として登録されている。この大崎耕土を見るには大崎市田尻にある加護坊山がちょうどよい。加護坊山は、大崎市においてイグネの景観を一望できる場所として知られている。
山頂に立つと、眼下には一面の田んぼが広がり、点在する駅の周囲だけが少し都市化されている。遠くには奥羽山脈の山々、仙台の泉ヶ岳や山形との境にある荒雄岳、舟形山、栗駒山。そして田んぼと田んぼの間にぽつぽつとある森──と思いきや、よく見るとその森の中に民家がある。あれがイグネだ。
屋敷林が民家を包み込むように植えられている。定禅寺通りに植えたあったケヤキをはじめ、松や杉、栗の木などさまざまだ。その林は、奥羽山脈に向かって配置されており、風を防ぐ役割を果たしていることが分かる。イグネの中には独自の生態系があり、自然との共生が息づいている。合理的であり、道理的でもある。
この景観を見て、私は仙台の「杜の都」が、単なる都市緑化ではなく、自然と人の知恵が融合した文化であることを実感した。
参考
世界農業遺産大崎耕土「居久根」
所在地:〒989-4302 宮城県大崎市田尻大貫又平壇
まとめ
仙台市が「杜の都」と呼ばれる理由は、単なる緑の多さではない。そこには、人々が手をかけて育て、守ってきた緑が都市の記憶を包み込んでいるという文化的な意味がある。街路樹、寺社林、屋敷林──それらが都市の構造と一体となり、仙台の景観を形づくってきた。
定禅寺通りのケヤキ並木は、その象徴だ。都市の道路でありながら、歩くのが気持ちよく、ベンチに座って「道路」を眺めたくなる。近現代の建築と伝統的な屋敷が並木を挟んで調和するその風景は、仙台が都市として高い文化レベルを持っていることを物語っている。ジャズフェスティバルや光のページェントなど、市民が緑とともに文化を育ててきた歴史も、この通りに刻まれている。
その文化のルーツを探る旅は、大崎市の加護坊山へと続いた。イグネ──屋敷林が民家を包み込み、奥羽山脈に向かって配置されるその景観は、自然との共生の知恵そのものだった。仙台の屋敷林文化は、このイグネの思想を都市に昇華させたものだと感じた。
そして今、私は「杜の都」とは仙台市だけでなく、宮城県全体の文化的記憶を指す言葉なのではないかと考えている。かつて仙台は「森の都」として登録されていたが、再び「杜の都」として再登録された。その理由は、自然に生い茂る森ではなく、人々がともに作り、守ってきた緑の都市だからだ。伊達政宗が都市建築の基礎を岩出山で学び、仙台へと展開したように──杜の都は、宮城の連続する文化の中に息づいている。