【宮城県塩釜市】日本製塩発祥の地「鹽竈神社」の読み方や由来、右宮左宮、志波彦神社や御釜神社、塩竈桜、和歌山の鹽竈神社との関係をたずねる|祭事・アクセスも解説

冬の澄んだ空気の中、私は宮城県塩竈市の鹽竈神社(しおがまじんじゃ)を訪ねた。JR本塩釜駅から表坂を登ると、杉木立に包まれた長い石段が現れる。参道の大階段は202段。息を整えながら一段ずつ登ると、やがて朱塗りの楼門が見えてくる。門をくぐった先には、左右に並ぶ社殿と、右手奥に別宮が静かに佇んでいた。

この神社は、東北鎮護の陸奥国一宮として古代から崇敬を集めてきた。主祭神は鹽土老翁神(しおつちおじのかみ)。海の神であり、製塩の祖神とされる。塩竈市の地名も、この神が塩を焼いた竈に由来するという。人間は塩がなければ生きられない。かつて内陸の人々にとって塩の確保は命に関わる問題だった。だからこそ、この地で生まれた塩が「塩の道」を通じて宮城各地に運ばれ、文化の礎となったのだ。

境内には天然記念物の鹽竈桜があり、春には淡桃色の花がふんわりと咲くという。この日は冬の静けさの中、門前の丹六園で銘菓「しほがま」を購入し、境内のベンチに腰掛けて松島湾を眺めながら味わった。藻塩の風味がほんのりと効いた落雁は、塩竈の文化を口の中に広げてくれるようだった。

塩竈神社は、ただの観光地ではない。塩と祈りが交差する場所であり、宮城の文化が始まった場所だと感じた。ここに立つことで、塩竈という町の名が単なる地名ではなく、歴史と信仰の結晶であることを実感する。

参考

志波彦神社・鹽竈神社 公式サイト

宮城県神社庁「鹽竈神社(しおがまじんじゃ)

塩釜市「神社とその文化

所在地: 〒985-8510 宮城県塩竈市一森山1−1
電話番号: 022-367-1611

鹽竈神社とは

鹽竈神社は、宮城県塩竈市一森山に鎮座する神社で、正式には「志波彦神社・鹽竈神社」と称される。志波彦神社は式内社、鹽竈神社は式外社であるが、後者は陸奥国一宮として東北鎮護の役割を担ってきた。主祭神は鹽土老翁神(しおつちおじのかみ)。古代の神話では、海幸彦・山幸彦の説話に登場し、海路を案内し、製塩法を人々に教えた神とされる。

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この神が塩を焼いたとされる竈が、塩竈市の地名の由来となった。塩竈とは本来、製塩用のかまどを意味する言葉であり、ここで作られた塩が「塩の道」を通じて内陸へと運ばれた。塩は人間の生命維持に不可欠なものであり、古代から現代に至るまで、社会の基盤を支える存在だった。サラリーマンの語源「サラリー」もラテン語の「塩」に由来するほど、塩は価値ある資源だったのだ。

鹽竈神社の創建年代は不明だが、平安時代初期の『弘仁式主税帳』には「鹽竈神を祭る料壱萬束」と記されており、当時の地方税の60分の1という破格の祭祀料を受けていたことが分かる。これは国家的に篤い信仰を受けていた証である。

また、塩竈は多賀城の鬼門に位置し、国府の守護神として都から赴任した官人たちに崇敬された。やがて武家社会に入ると、伊達家をはじめとする武将たちの信仰を集め、江戸時代には藩主自らが大神主として奉仕するほどの格式を持った。

塩竈市の名を生んだこの神社は、製塩文化の発祥地であり、宮城の文化の起点ともいえる存在だ。ここに立つことで、塩と祈りが町を形づくってきた歴史を肌で感じることができる。

参考

塩釜市観光物産協会「しおがま歳時記

右宮・左宮・別宮の意味、なんの神様?

鹽竈神社の社殿は、門をくぐると正面に左右宮、右手奥に別宮が並ぶ珍しい配置となっている。左右宮には武神である武甕槌神(たけみかづちのかみ)と経津主神(ふつぬしのかみ)が祀られ、別宮には主祭神である鹽土老翁神が祀られている。通常、主祭神は正面に祀られることが多いが、鹽竈神社では別宮が右手に「特別な社」として設けられている。

この配置には、伊達家との深い関係がある。左右宮は仙台城の方角に向けて南南西を向いており、藩主が城から遥拝できるように設計された。一方、別宮は松島湾に背を向けて北西を向いており、海上守護の神として海難を背負うような配置となっている。これは、塩竈の地が海と陸の境界にあり、信仰と政治が交差する場所であったことを示している。

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社殿は元禄期に伊達綱村公によって大規模な造営が行われ、宝永元年(1704年)に竣工した。本殿は素木造檜皮葺の三間社流造、拝殿は朱漆塗銅板葺の入母屋造という対照的な構造を持つ。これは、神職が本殿で祝詞を奏し、僧侶が拝殿で読経を行うという神仏習合の名残でもある。

また、別宮拝殿は丸柱、左右宮拝殿は角柱という違いがあり、これは元禄の造営時に既存の建物を改造・再利用したことによるものとされる。社殿14棟と石鳥居1基は国の重要文化財に指定されており、建築美としても高く評価されている。

この社殿の構造は、信仰・政治・建築が融合した塩竈独自の文化を体現している。神々の配置や建築様式に込められた意味を読み解くことで、塩竈神社が単なる神社ではなく、地域の歴史と精神を映す鏡であることが見えてくる。

参考

宮城県「指定文化財〈重要文化財〉鹽竈神社 

鹽竈神社 左右宮拝殿

所在地:〒985-0074 宮城県塩竈市一森山1

塩竈桜と季節の花々

鹽竈神社の境内には、春になると数十種類の桜が咲き誇る。中でもひときわ注目を集めるのが、天然記念物にも指定されている「塩竈桜」だ。4月下旬頃、ふんわりとした丸いかたちの淡桃色の花を咲かせるこの桜は、他の品種よりも開花が遅く、境内の春を締めくくるように咲く。

塩竈桜は、花弁が多く、花の形が丸くまとまっているのが特徴で、どこか神社の厳かな雰囲気に寄り添うような柔らかさを持っている。境内にはソメイヨシノをはじめ、枝垂れ桜や八重桜なども植えられており、春には花の名所として多くの参拝者や観光客が訪れる。

冬の静けさもまた魅力だが、春の鹽竈神社はまるで別世界のように華やかになる。楼門をくぐると、朱塗りの社殿と桜の淡い色が絶妙に調和し、写真を撮る手が止まらなくなる。桜の下でおみくじを結ぶ人、ベンチに腰掛けて甘酒を味わう人、境内をゆっくりと歩く人々の姿が、春の神社を穏やかに彩る。

桜の季節には、神社の敷地内で花見を楽しむこともできる。とはいえ、宴会ではなく、静かに花を眺めながら神前に手を合わせるような、心を整える時間が流れている。塩竈桜は、ただの花ではない。神社の歴史とともに生きてきた、祈りの象徴でもある。

春に訪れるなら、ぜひ塩竈桜の開花時期を狙ってみてほしい。花の命は短いが、その一瞬に込められた美しさは、塩竈という町の文化の深さを教えてくれる。桜が咲くことで、神社はより神聖な空間となり、訪れる者の心を静かに揺さぶるのだ。

志波彦神社と御釜神社

鹽竈神社の境内には、もう一つの重要な神社がある。朱塗りの門をくぐった先に鎮座する「志波彦神社(しわひこじんじゃ)」だ。志波彦大神を祀るこの神社は、式内社・名神大社として古代からの格式を持ち、明治時代に現在の地へ遷座された。鹽竈神社と並び立つことで、二社一体の信仰空間を形成している。

志波彦神社は、農耕・殖産・開拓の神として知られ、特に安産祈願や商売繁盛のご利益があるとされる。境内には「うまくいく御守」などユニークなお守りも並び、女性や若い参拝者にも人気が高い。季節の花々が咲き誇る庭園も美しく、門前からは塩竈の町と松島湾を見下ろすことができる。

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塩竈市一森山──鹽竈神社の本殿を参拝したあと、境内の奥へと進むと、ひときわ鮮やかな朱黒の社殿が目に飛び込んでくる。これが「志波彦神社(しわひこじんじゃ)」である…

志波彦神社

所在地:〒985-0074 宮城県塩竈市一森山1−1

一方、鹽竈神社の境外末社として特別な位置づけにあるのが「御釜神社(おかまじんじゃ)」である。塩竈市本町に鎮座し、鹽土老翁神を祀るこの神社には、日本三奇の一つとされる「四口の神釜」が安置されている。神釜の水は溢れることも枯れることもなく、古来より水の色が変わることで吉凶を告げると信じられてきた。

御釜神社では、毎年7月に「藻塩焼神事」が行われる。ホンダワラという海藻を用いて古代の製塩法を再現するこの神事は、宮城県の無形民俗文化財にも指定されている。藻塩は鹽竈神社の例祭にも供えられ、塩と祈りの文化を今に伝える重要な儀式となっている。

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志波彦神社と御釜神社は、それぞれ異なる神を祀りながらも、塩竈という町の信仰を支える両輪のような存在だ。境内外に広がる信仰のネットワークは、塩竈が単なる港町ではなく、祈りと文化が交差する聖地であることを教えてくれる。

御釜神社

所在地:〒985-0052 宮城県塩竈市本町6−1

松島湾を望む境内で銘菓を味わう

私が鹽竈神社を訪ねたのは、冬の晴れた日だった。JR本塩釜駅から表坂を登り、杉木立の中を抜けて楼門をくぐると、朱塗りの社殿が静かに迎えてくれた。境内は広く、空気は澄み渡り、遠くには松島湾の青がちらりと見える。

参拝の前に、門前の老舗菓子舗「丹六園」に立ち寄った。ここで販売されている銘菓「しほがま」は、塩釜で作られた藻塩を使った落雁で、鹽竈神社の神事にも通じる味わいがある。私は一包みを手に取り、境内のベンチに腰掛けて、松島湾を眺めながらゆっくりと味わった。

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口に含むと、藻塩のやさしい塩味が広がり、甘さの奥に海の香りが漂う。冬の冷たい風が頬を撫でる中、静かな境内でこの銘菓を食べる時間は、まるで神社の祈りに包まれているようだった。観光地に来たというより、文化の深みに触れている感覚があった。

境内には、季節の花々が咲く庭園や、撫で牛、ユニークな狛犬など、歩いていて楽しい発見がいくつもある。志波彦神社の門前からは塩竈の町と海が見下ろせ、春から秋にかけては色とりどりの花が彩るという。

この日、私は甘酒もいただき、体の芯から温まった。鹽竈神社は、ただのパワースポットではない。塩と祈り、歴史と食、景色と季節が交差する場所であり、訪れる者に静かな感動を与えてくれる。

銘菓「しほがま」を味わいながら松島湾を眺める時間は、塩竈という町の文化を五感で感じるひとときだった。ここから宮城の文化が始まった──そう思える場所だった。

祭事と年中行事

鹽竈神社では、年間を通じて多彩な祭事が行われている。中でも最も有名なのが、毎年1月14日に行われる鹽竈神社「どんと祭(松明祭)」だ。境内の広場に積み上げられた正月飾りや古い神札が大焚火となり、参拝者はその炎にあたりながら一年の無病息災を祈る。夜には白鉢巻きにさらし姿の若者たちが「裸参り」を行い、御神火を目指して勇壮に境内を駆け抜ける。塩竈の冬を象徴する祭りであり、地域の信仰が今も息づいていることを実感できる。

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宮城県塩竈市の鹽竈神社どんと祭(松明祭)は、毎年1月14日に開催される冬の伝統行事。古い神札やお守り、松飾りを焚き上げ、御神火にあたりながら一年の無病息災・商売繁…

夏には「塩竈みなと祭」が開催される。鹽竈神社と志波彦神社の神輿が市内を練り歩き、御座船を中心に約100隻の船が松島湾を巡幸する壮観な祭りだ。海の神を祀る塩竈ならではの海上神事であり、港町の誇りを感じさせる。神輿が海を渡る光景は、まさに塩と祈りの文化が交差する瞬間である。

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また、春には天然記念物「塩竈桜」が咲き誇り、境内は花の名所として賑わう。秋には菊花展が開催され、境内が色とりどりの菊で彩られる。季節ごとに表情を変える神社は、訪れるたびに新たな魅力を見せてくれる。

さらに、7月には御釜神社で「藻塩焼神事」が行われる。ホンダワラを用いた古代製塩法を再現するこの神事は、鹽竈神社の例祭にもつながる重要な儀式であり、塩竈の地名の由来を体感できる貴重な機会だ。

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宮城県塩竈市には、藻塩を使った商品が数多く並ぶ。藻塩せんべい、藻塩ジェラート、藻塩チョコレート──そのどれもが、塩竈という町が「塩」に特別な意味を込めていること…

これらの祭事は、単なるイベントではない。地域の人々が代々守り続けてきた祈りのかたちであり、塩竈という町の文化の根幹をなすものだ。鹽竈神社を訪れるなら、ぜひ祭事の時期に合わせて足を運び、塩と祈りの文化を肌で感じてほしい。

和歌山の鹽竈神社との関係

宮城県塩竈市の鹽竈神社は「日本製塩発祥の地」として知られるが、実は全国に「鹽竈神社」と名のつく神社が点在している。その中でも特筆すべき存在が、和歌山県和歌浦に鎮座する鹽竈神社(しおがまじんじゃ)だ。両社は地理的にも文化的にも遠く離れているが、共通して祀る神と信仰の背景には深い繋がりがある。

和歌山の鹽竈神社の主祭神は鹽槌翁尊(しおづちのおじのみこと)。宮城の鹽竈神社で祀られる鹽土老翁神(しおつちおじのかみ)と同一神とされ、古事記の「海幸彦・山幸彦」神話に登場する海の神である。山幸彦に海神の宮への道を教え、後に豊玉姫との間に御子を授かるという物語は、安産・子授けの神としての信仰の源となっている。

和歌山の鹽竈神社は、かつて玉津島神社の祓所であり、「輿の窟(こしのいわや)」と呼ばれる岩穴に鎮座していた。この地は古代から製塩が盛んに行われ、大正期まで続いたという。鹽槌翁尊は全国13箇所で製塩法を伝えたとされ、和歌浦はその9箇所目、宮城の塩竈は13箇所目であり、尊が亡くなった地として「果ての鹽竈」と呼ばれている。

この伝承は、製塩文化が海沿いの各地に連鎖的に広がっていったことを示している。

参考

玉津島神社・鹽竈神社|公式サイト

アクセス方法、階段は何段ある?

鹽竈神社は、宮城県塩竈市一森山の高台に位置しており、松島湾を望む絶好のロケーションにある。アクセスは公共交通機関でも車でも可能で、旅のスタイルに応じて選べるのが嬉しい。

仙台から電車で訪れる場合は、JR仙石線「本塩釜駅」から徒歩約15分。駅を出て表坂方面へ向かうと、杉木立に包まれた長い石段が現れる。表坂の階段は202段あり、登り切ると楼門が迎えてくれる。体力に自信がある方は、ぜひこの参道を歩いてみてほしい。神社へ向かう道のりそのものが、心を整える時間となる。

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地名とは、土地の記憶を編み込んだ言葉だ。私は地域文化を記録する仕事をしている。地名の由来や語源、伝承、神社仏閣の祭神、地形や産業の背景を掘り下げ、現地の空気を…

一方、歩くのが難しい方や家族連れには、車でのアクセスも便利。三陸自動車道「利府中IC」から約10分で到着でき、神社の第一駐車場まで車で乗り入れることが可能だ。駐車場は無料で、境内のすぐ近くにあるため、足腰に不安がある方でも安心して参拝できる。

境内にはベンチや休憩所もあり、季節の花々を眺めながらゆっくりと過ごすことができる。門前には丹六園などの老舗菓子舗もあり、銘菓「しほがま」や甘酒などを楽しむこともできる。参拝の前後に立ち寄れば、塩竈の味覚と文化を一度に味わえる。

また、鹽竈神社の周辺には志波彦神社や御釜神社などの関連社も点在しており、信仰の広がりを感じながら散策するのもおすすめだ。塩竈の町はコンパクトながらも文化の密度が高く、歩いて巡ることでその魅力がより深く伝わってくる。

まとめ

鹽竈神社を訪ねた旅は、単なる神社参拝ではなく、塩竈という町の文化の深層に触れる時間となった。主祭神である鹽土老翁神が製塩法を伝えたという神話、塩竈市の地名の由来、そして塩が人間の命を支える資源であるという事実。これらが重なり合い、塩竈という町が「塩と祈り」で成り立っていることを実感した。

社殿の配置や建築様式には、伊達家の信仰と政治的意図が込められており、左右宮が仙台城の方角を向き、別宮が海に背を向けるという構造は、信仰と地政の交差点としての塩竈を象徴している。国の重要文化財に指定された社殿群は、建築美としても見応えがあり、歴史の重みを感じさせる。

境内には天然記念物の塩竈桜が咲き、春には花の名所として賑わう。冬の静けさもまた魅力であり、門前の丹六園で購入した銘菓「しほがま」をベンチで味わいながら松島湾を眺める時間は、旅の中でも特別なひとときだった。

祭事もまた、この神社の魅力を語る上で欠かせない。鹽竈神社どんと祭の炎、塩竈みなと祭の御座船、藻塩焼神事の古代製塩──すべてが塩竈の文化を今に伝える祈りのかたちである。これらの祭事は、地域の人々が代々守り続けてきたものであり、塩竈という町の誇りそのものだ。

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塩竈みなと祭は、宮城県塩竈市で毎年開催される日本三大船祭りのひとつ。鹽竈神社と志波彦神社の神輿を乗せた御座船「鳳凰丸」「龍鳳丸」が松島湾を巡幸し、約100隻の供奉…

鹽竈神社は、宮城文化の起点であり、塩竈市のアイデンティティを形づくる場所だ。ここに立つことで、塩と祈りが町を支えてきた歴史を肌で感じることができる。陸奥一宮としての格式と、地域に根ざした信仰の厚み──その両方を併せ持つこの神社は、未来へと受け継ぐべき文化遺産である。

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