【宮城県塩釜市】塩竈銘菓『しほがま』の魅力と歌枕文化|丹六園で味わう宮城の雅
宮城県塩竈市。港町としての歴史を持ち、鹽竈神社を中心に古代から都文化の影響を受けてきたこの地には、風土と信仰が織りなす銘菓がある。その名は「しほがま(志ほがま)」。しっとりとした軟落雁で、藻塩や青じそを練り込んだものもあり、見た目の美しさと口どけの上品さが印象的だ。
この菓子の名は、藤原清輔の和歌「しほがまのうらふくかぜに霧はれてやそ島かけてすめる月かげ」に由来するとも言われている。もしそうなら、文化的素養の高さに驚かされる。塩竈は「東の京都」とも称された多賀城の隣町であり、古代から雅な文化が根づいていた地域だ。鹽竈(しおがま)神社は東北最古級の神社であり、都の文化と信仰が交差する場所でもある。
今回訪れたのは、享保五年(1720年)創業の老舗「丹六園」。塩竈神社の門前に佇むこの店は、茶器と和菓子を扱う趣ある空間で、銘菓「志ほがま」を製造・販売している。天然記念物の鹽竈桜をかたどった意匠は、贈答品としても人気が高く、地元の人々に「丹六さん」と親しまれている。
しほがまは、ただの落雁ではない。それは、塩竈という土地の記憶と美意識が凝縮された“食べる文化財”なのだ。
参考
塩釜市観光物産協会「スイーツ - 買う」
元祖仙台駄菓子本舗熊谷屋「しほがま」
「しほがま(志ほがま)」とは?
「しほがま(志ほがま)」は、宮城県塩竈市を中心に伝わる郷土菓子で、軟落雁(なんらくがん)に分類される。もち米粉に藻塩や砂糖を練り込み、しっとりとした口どけに仕上げたもので、青じそを加えたものもある。見た目は白く、鹽竈神社の見どころである「鹽竈桜」をかたどった意匠が施されており、贈答品としても人気が高い。
この菓子は、仙台駄菓子の一種としても知られ、塩竈だけでなく仙台市内の和菓子店でも製造されている。だが、発祥は塩竈と言われており、江戸時代の名産品「南京糖(藻塩糖)」が原型とされている。仙台藩主が鹽竈神社参詣の際にお茶うけとして献上した記録も残っており、格式ある銘菓としての歴史を持つ。
丹六園では、志ほがまを「志ほが満」として販売しており、サイズは小・特小などがあり、価格も手頃。口コミでは「優しい甘さ」「上品な味」「割るのがもったいないほど美しい」と評されており、落雁が苦手な人でも「これは美味しい」と感じるほどの完成度だ。
港町・塩竈で生まれたこの落雁は、塩と交易の記憶を宿しながら、今も人々の暮らしに寄り添っている。
参考
塩竈商工会議所「丹六園の歴史」
しほがまの由来と歴史
「しほがま」という名の由来には、和歌と神話が交錯する。千載和歌集に収められた藤原清輔の歌
しほがまのうらふくかぜに霧はれてやそ島かけてすめる月かげ
は、塩竈の浦を詠んだものとされ、銘菓の名にこの歌が重ねられた可能性がある。もしそうなら、しほがまは単なる菓子ではなく、文学的・文化的な象徴でもある。
丹六園の歴史は享保五年(1720年)に始まり、初代・六右衛門が海産物問屋として創業。その後、廻船業を営み、江戸や三陸との交易を通じて塩竈を代表する商家となった。戦後は鹽竈神社の参拝客を相手に茶器と銘菓を扱う店へと転じ、現在も「丹六さん」として親しまれている。
志ほがまの製法は、戦後の昭和25年に十代目六右衛門が古記録をもとに復元したもの。藻塩糖を原型とし、鹽竈神社参詣の際に献上された記録もあるという。塩竈の地誌『奥鹽地名集』には、越後屋喜三郎が製造していたと記されているらしく、地域に根づいた銘菓であることがわかる。
丹六園の建物は大正3年築。江戸時代の建材を再利用し、塩竈町屋建築の特徴である出桁造りが見られる。平成26年には国の登録有形文化財に指定され、向かいの佐浦酒造や隣の太田與八郎商店とともに、塩竈の景観を形成している。
参考
文化遺産オンライン「丹六園店舗兼主屋 - 文化遺産オンライン」
塩釜市「神社とその文化」
藤原清輔の歌「しほがまのうらふくかぜに霧はれてやそ島かけてすめる月かげ」解説
「しほがまのうらふくかぜに霧はれてやそ島かけてすめる月かげ」——これは、千載和歌集に収められた藤原清輔の一首である。訳すなら、「塩竈の浦に吹く風が霧を晴らし、八十島にかかる澄んだ月の光が広がっている」といった情景だろうか。
この歌には、塩竈の海辺に立ちのぼる霧と、それを払う風、そしてその先に広がる多島海と月光という、幻想的で静謐な風景が描かれている。古代の人々が塩竈をどれほど美しい場所と見なしていたかが伝わってくる。
「しほがま」という菓子の名がこの歌に由来するとすれば、それは単なる地名ではなく、風景と詩情を宿した言葉である。
参考
国際日本文化研究センター「和歌データベース - 千載集」
塩釜市「7 用語集 - ア行」
丹六園で「志ほがま」を買う
塩竈神社の参道を下り、石畳の坂道を歩いていくと、趣のある木造の店が現れる。丹六園——享保五年創業、300年以上の歴史を持つ老舗である。店構えは茶器店のようだが、奥には銘菓「志ほがま」が静かに並んでいる。
私は日曜の朝、開店直後に訪れた。すでに数人の客がいて、皆「志ほがま」を目当てに来ている様子だった。店内には鹽竈桜をかたどった意匠の箱が並び、贈答用にもぴったりの風格がある。私は青じそ入りの「志ほが満(しほがま)」を購入。手に取ると、しっとりとした質感と、ほのかな香りが漂ってくる。
店主は穏やかな笑顔で「これは割って食べるんですよ。裏に切れ目がありますから」と教えてくれた。箱を開けると、確かに裏面にガイドがあり、手で割るときれいに四等分できる。その所作すら、どこか雅だった。
口に運ぶと、藻塩のまろやかな塩味と、青じその爽やかさがふわりと広がる。甘さは控えめで、落雁特有の粉っぽさはなく、しっとりとした口どけ。口コミで「落雁が苦手でもこれは美味しい」と評されるのも納得だった。
丹六園の建物は大正3年築。江戸時代の建材を再利用し、塩竈町屋建築の出桁造りが見られる。平成26年には国の登録有形文化財にも指定されており、向かいの浦霞で有名な佐浦酒造や太田與八郎商店とともに、塩竈の歴史的景観を形成している。
丹六園
所在地: 〒985-0051 宮城県塩竈市宮町3−12
電話番号: 022-362-0978
しほがまの民俗学的魅力
「しほがま」は、港町・塩竈で生まれた落雁である。通常、落雁は内陸の仏事や茶席で用いられることが多いが、塩竈では藻塩や青じそを用いた独自の製法が確立され、贈答菓子として発展した。
この土地は、古代から塩の製造と交易で栄え、鹽竈神社を中心に信仰と文化が交差する場所だった。江戸時代には海産物問屋が並び、仙台城下へと「肴の道」が続いていた。丹六園の初代・六右衛門も、海産物を扱う問屋から始まり、廻船業を経て、菓子舗へと転じた。
「しほがま」は、そうした交易と信仰の記憶を宿した菓子である。藻塩は海の恵み、青じそは土地の香り。鹽竈桜の意匠は、神社と季節の美を象徴する。民俗学的に見れば、これは「土地の記憶をかたちにした菓子」と言えるだろう。
港町で落雁が生まれたという事実は、塩竈が単なる漁港ではなく、文化の港でもあったことを物語っている。
まとめ
しほがま——それは、塩竈の風土と文化が凝縮された銘菓である。藻塩のまろやかさ、青じその香り、鹽竈桜をかたどった意匠。その一粒には、海と信仰と雅が静かに宿っている。
この菓子の名が、藤原清輔の和歌「しほがまのうらふくかぜに霧はれてやそ島かけてすめる月かげ」に由来するとすれば、それは単なる地名ではなく、風景と詩情を映す文化的記号だ。塩竈は「東の京都」とも称された多賀城の隣町であり、古代から都文化の影響を受けてきた土地。その空気が、しほがまの雅な造形と味わいに息づいている。
丹六園で買った「志ほがま」は、包装を開け、手で割り、口に運ぶ——その一連の所作が、塩竈の記憶を辿る儀式のようだった。しっとりとした口どけの中に、港町の交易、鹽竈神社の信仰、そして人々の美意識が溶け込んでいた。
民俗学的に見ても、港町で落雁が生まれたという事実は興味深い。塩と海産物の交易が盛んだった塩竈で、藻塩を使った菓子が生まれ、信仰と贈答文化に根づいていった。しほがまは、まさに“食べる文化財”であり、土地の記憶を味わう器でもある。
そして、宮城県には「歌枕」が多く残されている。大崎市古川の緒絶橋は、平安時代の和歌に詠まれた地名であり、橋平酒造はその名を冠した日本酒「をだえの橋」や「玉の緒」を販売している。塩竈の佐浦酒造が醸す「浦霞」も、藤原清輔の歌にちなんだ銘柄だ。さらに、陸奥国分寺の歌枕「木下」ではかつて馬市が開かれており、その記憶を民藝玩具「木下駒」として今に伝えている。
こうした文化的に面白いものが、市民の手によって自然に生まれていることに、私は深い感銘を受けた。制度や建築だけでなく、暮らしの中に文化が息づいている——それが宮城の魅力であり、文化的素養の高さを物語っている。
しほがまを味わうことは、宮城の風土と人々の美意識に触れることでもある。雅な一粒に込められた記憶は、今も静かに語りかけてくる。
