【宮城県塩釜市】鹽竈神社どんと祭(松明祭)をたずねる
1月14日、冬の夜空を焦がす炎を目指して、私は宮城県塩竈市の鹽竈神社どんと祭(松明祭)へ足を運んだ。境内の第2駐車場に設けられた祭場には、正月飾りや古い神札を納めた山が積み上げられ、午後3時の点火とともに赤々と燃え盛る大焚火へと姿を変える。その炎にあたりながら、参拝者は一年の無病息災・商売繁盛・家内安全を祈る。夜になると、白鉢巻きにさらし姿の若者たちが御神火を目指して参拝する「裸参り」が始まり、境内は熱気と祈りに包まれる。
炎の迫力は圧巻で、ただの火祭りではなく、地域の人々が年神様を送り、心を新たにする神事であることを実感した。煙が天へ昇る様子を見つめながら、古来から続く「年神様が小正月に帰る」という信仰が今も息づいていることに感慨を覚える。屋台の灯りや参拝者の列も祭りの雰囲気を盛り上げ、寒さを忘れるほどの熱気に包まれた夜だった。
参考
宮城まるごと探訪「鹽竈神社 松明祭(どんと祭) '25.1.14(火)」
鹽竈神社「松明祭(どんと祭)のご案内|行事のご案内」
塩釜市観光物産協会「鹽竈神社 松明祭(どんと祭) - イベントカレンダー」
鹽竈神社とは
鹽竈神社は、宮城県塩竈市一森山に鎮座する陸奥国一之宮であり、古くから「東北鎮護の神社」として朝廷や武将、庶民の崇敬を集めてきた。隣接する志波彦神社とともに広大な境内を有し、桜や多羅葉など文化的資産も豊かである。
創建は古代にさかのぼり、海の守護神としての信仰を背景に、東北地方の要衝である塩竈の地に祀られた。平安期には国府多賀城との関わりが深く、奥州の政治・文化の中心地として重要な役割を果たした。江戸時代には仙台藩主伊達家の厚い庇護を受け、社殿の造営や祭礼の整備が進められた。
現在も鹽竈神社は、東北を代表する神社として多くの参拝者を迎え、特にどんと祭や鹽竈桜の季節には全国から人々が訪れる。歴史と信仰が重なり合う場所であり、宮城の文化を象徴する存在である。
鹽竈神社
所在地:〒985-8510 宮城県塩竈市一森山1−1
鹽竈神社のどんと祭はいつ?
鹽竈神社のどんと祭(松明祭)は、毎年1月14日に開催されるのが通例のようだ。午後3時に点火される大焚火は、境内第2駐車場に設けられた祭場で行われ、古い神札やお守り、松飾りなどを納めてお焚き上げする。炎にあたることで一年の無病息災・商売繁盛・家内安全を祈願する神事である。
祭りの見どころは、夜に行われる「裸参り」。白鉢巻きにさらし姿の若者たちが御神火を目指して参拝する姿は勇壮で、参拝者の祈りと熱気が一体となる。境内には屋台も並び、参拝者の列が途切れることなく続く。
この祭りは、正月に迎えた年神様を小正月に送り返す「焼納神事」の一環であり、宮城県内各地の神社でも同様の行事が行われる。鹽竈神社のどんと祭はその中でも規模が大きく、地域を代表する冬の風物詩となっている。
参考
鹽竈神社「開催行事一覧|行事のご案内」
鹽竈神社第二駐車場(砂利敷)
所在地:〒985-0074 宮城県塩竈市宮町7−7
どんと祭りは宮城だけ?
「どんと祭」という呼び名は宮城特有であるが、行事そのものは全国に広がる焼納神事の一形態である。小正月に正月飾りや古い神札を焚き上げ、年神様を天へ送るという信仰は各地に残っており、関西や関東では「どんど焼き」「左義長」などと呼ばれるようだ。つまり「どんと祭」は宮城県発祥と言ってよいだろう。
宮城のどんと祭の特徴は、大規模な焚火と裸参りにある。炎に直接あたりながら祈ることで一年の健康を願う習わしは、東北の冬の厳しさと人々の信仰心が結びついた独自の文化といえる。どんと祭の発祥とも言われている仙台市内の大崎八幡宮や仙台最古の多賀神社でも同様の祭りが行われるが、鹽竈神社のどんと祭は規模と歴史の面で特に知られている。
焼納神事は全国に存在するが、「どんと祭」という呼び名と裸参りを伴う大焚火は宮城ならではの風景であり、地域文化の誇りとして受け継がれている。
焚き上げに入れてよいもの・悪いもの
どんと祭では、古い神札やお守り、破魔矢、絵馬、熊手、松飾りなどを納めて焚き上げることができる。これらは神事に関わる品であり、炎によって浄化され、年神様を天へ送る役割を果たす。
一方で、ダルマ、人形、写真、陶器、鏡餅、ビニールやプラスチック類、燃えないものは納めることができない。特にビニールやプラスチックはダイオキシン発生防止のため外す必要がある。神事の意味を守るためにも、納める品の確認は欠かせない。
実際に行ってきた!鹽竈神社どんと祭り体験記
1月14日、冬の澄んだ空気の中、私は宮城県塩竈市の鹽竈神社どんと祭(松明祭)を訪ねた。境内の第2駐車場に積み上げられた正月飾りや古い神札が、午後3時の点火とともに大焚火へと変わり、炎は夜空を焦がすほどに燃え盛った。近づくと顔に熱が押し寄せ、寒さを忘れるほどの迫力で、参拝者はその炎にあたりながら一年の無病息災や商売繁盛を祈っていた。
夜になると、白鉢巻きにさらし姿の若者たちが御神火を目指して参拝する「裸参り」が始まった。掛け声とともに境内を駆け抜ける姿は勇壮で、見守る人々も自然と手を合わせる。炎と煙に包まれながら、年神様を天へ送り、一年の始まりを清めるという信仰が今も息づいていることを実感した。
鹽竈神社は創建が古く、宮城県でも最古級の神社であり、塩竈市の町名の由来にもなっている。境内に立つと、町そのものが神社とともに歩んできた歴史を感じ、感慨深い思いに包まれた。参拝の後には、事前に買っておいた鹽竈銘菓・丹六園の「しほがま」を味わった。ほんのりとした甘さと塩の風味が、祭りの余韻をさらに深めてくれる。
また、鹽竈神社には「どんと祭」以外にも数々の伝統行事がある。日本三大荒神輿の一つとされる帆手祭、日本唯一の塩の神事である藻塩焼神事、そして夏の塩竈みなと祭り。これらの祭事は、地域に根ざした文化そのものであり、塩竈市の誇りを形づくっている。ある人が「グローバルには文化はない。文化は地域にしか存在しない」と語っていたことを思い出す。確かに、地域に文化があるからこそ地域が成り立ち、人々の暮らしが支えられている。炎の熱気に包まれながら、私は「文化があるからこそ塩竈市なのだ」と強く感じた。
鹽竈神社のアクセス・駐車場情報
所在地: 宮城県塩竈市一森山1-1
交通アクセス:
- JR仙石線「本塩釜駅」から徒歩約10分
- JR東北本線「塩釜駅」から徒歩約20分
- 車:仙台市内から約45分、三陸自動車道利府中ICから約10分
駐車場: 境内東側から北側にかけて参拝者専用無料駐車場が4か所(第1・第2・第3・バス用)あり、約300台収容可能。ただし祭り当日は交通規制があるため、公共交通機関の利用が推奨される。また第2駐車場が会場となるため車両の混雑も予想されるだろう。
まとめ
鹽竈神社のどんと祭を訪ねた旅は、単なる冬の祭りの体験ではなく、地域文化の本質に触れる時間となった。大焚火の炎にあたりながら祈る人々の姿、裸参りの若者たちの勇壮な行進、そして御神火の煙に込められた「年神様を天へ送る」という信仰。これらはすべて、塩竈市の人々が古代から守り続けてきた文化の記憶である。
鹽竈神社は宮城県最古級の神社であり、町の名前の由来にもなっている。つまり、神社の存在そのものが塩竈市のアイデンティティを形づくっているのだ。境内に立つと、町と神社が一体となって歩んできた歴史を感じ、文化が地域を支えるという言葉の意味を実感する。
さらに、塩竈には「どんと祭」以外にも多くの伝統行事がある。日本三大荒神輿の一つとされる帆手祭は、320年以上続く勇壮な神輿渡御であり、町の誇りを象徴する。日本唯一の塩の神事である藻塩焼神事は、海と人々の暮らしを結びつける祭礼であり、塩竈の名にふさわしい文化を伝えている。そして夏の塩竈みなと祭りは、港町としての歴史と海の恵みを祝う祭りである。これらの行事は、地域にしか存在しない文化の厚みを示している。
「グローバルには文化はない。文化は地域にしか存在しない」という言葉を思い返すと、まさに塩竈市の姿がその証明であると感じる。文化があるからこそ地域が成り立ち、地域があるからこそ人々の暮らしが続いていく。どんと祭の炎を見つめながら、私は塩竈市が文化によって支えられ、未来へと受け継がれていく町であることを確信した。
鹽竈神社どんと祭は、宮城の冬を象徴する祭りであると同時に、地域文化の誇りを体感できる場である。訪れる者にとって、それは一年の始まりを清めるだけでなく、地域文化の意味を深く考えるきっかけとなる。文化があるからこそ塩竈市なのだ――その思いを胸に、私は炎の余韻を抱きながら帰路についた。
