【宮城県白石市】「弥次郎こけし」の読み方や由来、弥次郎こけし村や全日本こけしコンクールをたずねる
こけしは、ただの郷土玩具ではない──そう思うようになったのは、宮城県白石市の弥治郎こけしに出会ってからだった。あどけない表情と、頭部に描かれた二重・三重の輪模様。まるでベレー帽をかぶったような愛らしさに、私は心を掴まれた。
弥治郎こけしは、白石市の弥治郎地区で生まれた伝統こけしのひとつ。春から秋は田畑を耕し、秋から冬は山の木を伐ってこけしを作る──そんな暮らしの中から育まれた造形文化だ。湯治客の土産物として鎌先温泉で売られ、温泉文化とともに発展してきた。宮城県には伝統こけしと言われる「鳴子こけし」や仙台市の「作並こけし」、蔵王町の「遠刈田こけし」などがある。
今回私は「弥次郎こけし」のふるさと「弥治郎こけし村」を訪ねた。展示室には昔懐かしい写真とともに、工人たちの作品が並び、2階では絵付け体験ができる。外の広場には工房が点在し、実際にこけしを作る工人の姿を間近で見ることができた。
そして、5月の連休には「全日本こけしコンクール」が開催される。全国から工人が集まり、技を競い合う日本最大のこけしの祭典。私はその熱気の中で、こけしが“人のかたち”を描く文化であることを、あらためて実感した。
弥治郎こけしは、暮らしと祈りが重なる造形だ。私はその声を聞きたくて、白石の春に身を置いた。
弥治郎こけしとは?読み方・由来・特徴
弥治郎こけし──読み方は「やじろうこけし」。宮城県白石市の弥治郎地区で生まれた伝統こけしで、鳴子、遠刈田、作並、肘折と並び「宮城伝統こけし」のひとつとして国の伝統的工芸品に指定されている。
その由来は、鎌先温泉に湯治に訪れる農民たちの土産物として、地元の人々が副業でこけしを作り始めたことにある。春から秋は農作業、秋から冬は木地挽き──そんな季節の循環の中で、こけしは暮らしの一部として育まれてきた。
弥治郎こけしの最大の特徴は、頭部に描かれた二重・三重のろくろ模様。まるでベレー帽をかぶったような愛らしさがあり、胴体にも鮮やかな色彩が施される。顔立ちは子どものようにあどけなく、見る人の心を和ませる。
胴の形にはくびれのあるもの、寸胴なものなど多様性があり、工人によって個性が際立つ。描彩には赤・黄・紫・墨などが使われ、手描きならではの温もりがある。最近では“新型こけし”と呼ばれる、より柔らかく可愛らしい表情の作品も人気を集めている。
弥治郎こけしは、湯治文化とともに育まれた“生活の造形”だ。その顔に描かれるのは、工人の記憶と土地の空気。私はその表情に、どこか懐かしい気配を感じた。
参考
しろいし旅カタログ「意外と知らないこけしの世界。宮城伝統こけし弥治郎系の魅力 」「弥治郎こけし|木地玩具の里しろいし」
所在地:〒989-0733 宮城県白石市福岡八宮弥治郎北
弥治郎こけしの魅力
弥治郎こけしの魅力は、伝統と新しさが共存する造形美にある。頭部のろくろ模様は、二重・三重の輪が重なり、まるでベレー帽をかぶったような愛らしさ。胴体には鮮やかな色彩が施され、子どものようなあどけない表情が特徴だ。
最近では、“新型こけし”と呼ばれる柔らかい顔立ちの作品が若者や女性に人気を集めている。やさしい目元、微笑む口元──それらは、見る人の心にそっと寄り添う。私はある新型こけしに惹かれ、工人に話を聞いた。「これは、孫の顔を思い浮かべながら描きました」と語るその声に、こけしが“人のかたち”であることを実感した。
弥治郎こけしは、湯治文化とともに育まれた生活の造形でもある。季節の循環の中で作られ、旅人の手に渡る──その流れの中に、こけしの役割がある。飾るだけでなく、暮らしの中に置いておきたくなる存在だ。
伝統を守りながら、新しい表現に挑む工人たちの姿勢も、弥治郎こけしの魅力のひとつ。技術だけでなく、感情と記憶をこけしに込めるその手仕事には、静かな力が宿っている。
弥治郎こけし村を訪ねる
白石市の弥治郎地区にある「弥治郎こけし村」は、こけしのふるさとを体感できる場所だ。私は春の晴れ間を縫ってこの村を訪れた。山あいの静かな集落に、こけしの息吹が今も生きている。
1階の展示室には、こけしの歴史を伝える写真と資料が並び、温度や紫外線に配慮された空間で、工人たちの作品が丁寧に展示されている。2階では絵付け体験ができ、赤・黄・紫・墨を使って自分だけのこけしを描くことができる。私は筆を持ちながら、こけしの顔に“自分の気持ち”が映っていくような感覚を覚えた。
外の広場には工房が点在し、工人たちが実際にこけしを作る様子を間近で見ることができる。ろくろを回す音、木の香り、筆の運び──そのすべてが、こけしという造形に命を吹き込んでいた。工人のひとりが「こけしは人を描くものです」と語ってくれた言葉が、今も心に残っている。
売店では、工人ごとの作品が並び、手拭いやキーホルダーなどの雑貨も充実している。喫茶スペースで一息つきながら、私は手にしたこけしを眺めていた。その顔には、工人の手仕事と土地の記憶が宿っていた。
弥治郎こけし村は、こけしの“暮らし”に触れる場所だ。展示でも体験でもなく、そこにあるのは“人と人”のつながり。私はその温もりに触れたくて、またこの村を訪ねたくなるのだ。
所在地: 〒989-0733 宮城県白石市福岡八宮弥治郎北72−1
電話番号: 0224-26-3993
参考
しろいし旅カタログ「弥治郎こけし村」
しろいし観光ナビ「弥治郎こけし村」
木地師の祖を祀る小野宮惟喬親王神社
弥治郎こけし村の敷地の一角に、静かに佇む神社がある。名を「小野宮惟喬親王神社」。地元では“こけし神社”とも呼ばれ、こけし文化の精神的な拠り所として親しまれている。神社の案内板によると弥次郎こけし組合が勧請したものらしく、下記のように説明あった。
惟喬親王(これたかしんのう)は、平安時代前期に文徳天皇の第一皇子として生まれた人物。皇位には就かず、都を離れて木地挽きの技術を考案したと伝えられている。そのため、木地業を司る神として全国の木地師たちから深く信仰され、各地に惟喬親王を祀る神社が存在する。
弥治郎集落では、昭和34年に滋賀県蛭谷の総本社から分霊を迎え、南の地に神社を建立した。私が初めて蛭谷を訪れたのは数年前。木地民藝資料館で鳴子や遠刈田、そして弥治郎のこけしが展示されているのを見て、木地師の技術がこけしに受け継がれていることを実感した。その記憶が、弥治郎の神社に立った瞬間、静かに蘇った。
平成15年、弥治郎こけし村の開村10周年を記念して、神社は現在の場所に移転され、拝殿が改築された。全国のこけし愛好家から浄財が寄せられ、翌年の1月2日にはこけし初挽きの行事に先立って落成式が行われた。それ以来、毎年この神前でこけし初挽きが催されている。
神社の案内板には、惟喬親王の由来とこけしとの関係が丁寧に記されていた。木地師の祖を祀るこの場所は、こけしが単なる民芸品ではなく、技術と祈りの重なりから生まれた文化であることを静かに語っている。
参考
小野宮惟喬親王神社案内板
弥治郎こけし工人とは?作家一覧
弥治郎こけしを作る人々は「職人」ではなく「工人(こうじん)」と呼ばれる。私はこの言葉の違いに、こけし文化の根幹があるように感じている。
職人が技術を極める個人を指すのに対し、工人は暮らしの中で技術を継承し、地域とともに生きる存在だ。弥治郎こけし工人は、春から秋は畑を耕し、秋から冬は山から木を伐り、ろくろを回してこけしを作る──そんな季節の循環の中で、家業として技術を受け継いできた。
工人の手元には、木の目を読む感覚と、筆の運びに宿る感情がある。ある工人は「こけしは人を描くものです」と語ってくれた。顔の表情、胴の模様──それらは単なる装飾ではなく、工人の記憶と土地の空気が映されたものなのだ。
工人という言葉には、技術者であり語り部であり、地域の記憶をつなぐ人という意味が込められている。弥治郎こけし工人は、技術だけでなく、暮らしと祈りをこけしに込めている。
私は工房でろくろの音を聞きながら、こけしが“語りの造形”であることを実感した。工人の手仕事には、土地の記憶と人の感情が静かに息づいている。
弥治郎こけし工人は弥治郎こけし村ホームページ作家一覧ページに記載されている。
全日本こけしコンクールをたずねる
毎年5月の連休、白石市では「全日本こけしコンクール」が開催される。私は2025年の第67回大会に足を運んだ。会場はホワイトキューブ。全国から工人が集まり、伝統こけし・創作こけし・新型こけしが一堂に並ぶ、日本最大のこけしの祭典だ。
会場に入ると、まず目を奪われたのは、弥治郎系の華やかなろくろ模様。工人たちが実演を行い、ろくろを回しながら描彩する姿を間近で見ることができた。筆の運び、木の香り、集中する表情──そのすべてが、こけしに命を吹き込んでいた。
展示された作品には、伝統の技を守るもの、新しい表現に挑戦するもの、そして工人の個性がにじむものがあった。審査員の講評を聞きながら、こけしが“技術”だけでなく“感情”を競うものだと感じた。
同時開催された「地場産品まつり」では、白石市や近隣の名産品が並び、こけしと地域文化が一体となった空気が漂っていた。私は地元の漬物と、ある工人のこけしを手に取り、旅の記憶を持ち帰った。
全日本こけしコンクールは、こけしの“今”を知る場所だ。伝統と革新が交差するこの祭典には、工人たちの技と心が集まっていた。
参考
宮城県「第67回全日本こけしコンクール・第30回白石市地場産品まつり」
白石市文化体育活動センター・ホワイトキューブ
所在地:〒989-0218 宮城県白石市鷹巣東2丁目1−1
電話番号:0224221290
通販オンラインショップと購入方法
弥治郎こけしに出会ったあと、やはり「家に迎えたい」と思う人は多いだろう。私もそのひとりだった。こけしは、工人の手仕事と土地の空気が宿る“語りの造形”だ。だからこそ、購入の仕方にも少しだけ心を配りたい。
もっとも確実なのは「弥治郎こけし村」の売店。工人ごとの作品が並び、伝統こけしから新型こけしまで幅広く揃っている。キーホルダーや手拭いなどの雑貨も充実しており、こけしのある暮らしを楽しめる。
オンラインショップも便利だ。弥治郎こけし村のECサイトでは、工人別にカテゴリが分かれており、作品の特徴や価格帯も明記されている。人気工人の作品はすぐに売り切れることもあるため、販売開始日をチェックしておくとよい。
また、こけし村の工房で直接購入することも可能だ。工人が制作中であれば、ろくろ挽きの様子を見学し、その場で作品を選ぶことができる。工人との対話を通じて、こけしの背景を知ることができるのも魅力のひとつ。
こけしを買うということは、誰かの手仕事と記憶を迎え入れること。だからこそ、どこで、誰から買うか──その選択もまた、旅の一部なのだ。
参考
弥治郎こけし村のオンラインショップ
まとめ
弥治郎こけしを訪ねた旅は、私にとって“人のかたち”を探す旅だった。こけしは、工人の手仕事と土地の空気が宿る、文化のかたちであり、記憶の器だ。
弥治郎こけし村では、展示室でこけしの歴史を辿り、絵付け体験で自分の感情を筆に乗せ、工房では工人の技と語りに触れた。そのすべてが、こけしという造形に命を吹き込む瞬間だった。
全日本こけしコンクールでは、全国から集まった工人たちが技を競い合い、こけしの“今”を見せてくれた。伝統と革新が交差するその空間には、こけしが生き続ける理由があった。
弥治郎こけしの魅力は、あどけない表情と華やかなろくろ模様だけではない。それは、工人の記憶と感情が映された“肖像”であり、湯治文化とともに育まれた生活の造形でもある。こけしは、飾るものではなく、暮らしの中に置いておきたくなる存在だ。
通販や売店で手に入れることもできるが、やはり現地で出会うこけしには、特別な空気がある。誰が作ったのか、どんな思いで描かれたのか──その背景を知ることで、こけしは単なる“物”ではなく、“誰か”になる。
白石市の弥治郎こけしは、地域文化としての深みと、工人の手のぬくもりを今に伝えている。こけしと暮らすということは、誰かの記憶とともに暮らすこと。静かに、やさしく、日々の中に寄り添ってくれる存在だ。
私はその温もりに触れたくて、またこの里を訪ねたくなるのだ。
