【宮城県登米市】県内一の米処で小麦の郷土料理「油麩丼」「はっと汁」をいただくin登米町・味処どん
私は地域文化ライターとして、日本各地に根ざす食と風土の関係を探り、現地の空気を吸いながら言葉にして伝える仕事をしている。制度や建築では見えてこない、暮らしの中に息づく文化のかたち──それは、食卓の一膳にこそ宿っていると信じている。今回訪れたのは、宮城県登米市。目的は、この町で生まれた郷土料理「油麩丼」を味わい、その背景にある土地の記憶と人々の営みを体感することだった。
登米市は、仙北平野に広がる穀倉地帯であり、米の収穫量は県内トップクラスを誇る。だが、登米の食文化は米だけでは語れない。小麦の栽培も盛んで、そこから生まれた「油麩」や「はっと汁」は、登米ならではの知恵と工夫が詰まった料理である。私は油麩丼発祥の店「味処もん」を訪れ、ふわふわの揚げ麩が丼つゆを吸い込む一膳を味わいながら、登米という土地の文化の奥行きを探る旅を始めた。
参考
農林水産省「油麩丼 宮城県 | うちの郷土料理」
登米市「油麩」
登米市とは
登米市は、宮城県北部に位置する穀倉地帯であり、仙北平野に広がる水田と、迫川・北上川の水運によって、江戸時代から米文化を育んできた町である。市域の大部分は平坦で、肥沃な土壌と豊かな水系に恵まれている。米の収穫量は県内トップクラスを誇り、登米は「米の町」として知られているが、実は小麦の栽培も盛んであり、米と小麦が共存する珍しい食文化圏でもある。
この風土が、登米独自の食材「油麩」や郷土料理「はっと汁」を生み出した背景には、保存性や栄養価を重視した暮らしの知恵がある。登米は、米だけでなく、小麦を活かした食文化を築いてきた町なのだ。
油麩とは──揚げ麩に宿る登米の知恵
油麩(あぶらふ)は、小麦粉に含まれるグルテンを練り上げて棒状に成形し、植物油で揚げた食材である。見た目はフランスパンのように細長く、輪切りにして使うのが一般的。登米地方では昔から親しまれてきた食材であり、煮物や味噌汁、炒め物などに幅広く使われてきた。
油麩のルーツは精進料理にある。登米地方では、お盆などに肉を使わない料理を食す風習があり、タンパク源としてグルテンを油で揚げた油麩が重宝された。油揚げと違い、豆腐由来ではなく小麦由来であるため、食感はふわふわで、煮汁をよく吸い込む。油麩は、他の食材の旨味を吸収し、料理にコクを与える力を持っている。
精進料理の油揚げが「淡泊さ」を旨とするのに対し、油麩は「コクと吸収力」に重きを置いた食材である。登米の油麩は、保存性と栄養価を兼ね備えた、土地の知恵が生んだ伝統食材なのだ。
登米の小麦文化
油麩と並んで登米の食文化を語るうえで欠かせないのが「はっと汁」である。はっととは、小麦粉を水で練り、薄く伸ばしてちぎったものを汁に入れて煮込んだ料理で、登米地方では古くから親しまれてきた郷土食である。見た目はワンタンやすいとんに似ているが、食感はもちもちとしていて、汁の旨味をしっかり吸い込む。
「はっと」の語源には諸説あるが、最も有名なのは「武士が小麦粉を使った贅沢な料理を庶民が真似して作ったところ、見咎められて『はっとせよ(禁じよ)』と言われた」という説である。つまり、庶民の工夫が生んだ料理であり、質素ながらも満足感のある食事として定着した。
上述した理由から、登米では小麦の生産も盛んであり、米が貴重だった時代には小麦粉を使った料理が日常の主食代わりとなっていた。はっと汁は、野菜や鶏肉、油麩などをたっぷり入れた具だくさんの汁物で、冬場には体を温める家庭料理として重宝されてきた。
油麩もはっとも、登米の風土と暮らしの中から生まれた「小麦文化」の象徴であり、米と並ぶもう一つの食の柱として町の食卓を支えてきた。
なぜ登米で油麩が生まれたのか──風土と暮らしの必然
登米で油麩が生まれた背景には、風土と暮らしの必然がある。まず、登米は小麦の栽培に適した土地であり、グルテンを原料とする麩の製造に向いていた。さらに、湿度の高い夏場には豆腐や油揚げの保存が難しく、代替として油麩が重宝された。
また、登米は仏教文化が根づいた地域でもあり、精進料理の食材として肉を使わない工夫が求められていた。油麩は、肉の代替としても機能し、煮物や丼物に使うことで満足感を得られる食材だった。こうした風土と文化の交差点で、油麩は登米の食卓に定着していった。
「味処もん」で油麩丼を食べる
登米市登米町にある「味処もん」は、油麩丼の発祥の店として知られている。約100年続く旅館「海老紋」が営む食事処であり、店内は4卓のみの座敷席というこぢんまりとした空間。私は昼時に訪れ、「油麩丼とはっと汁のセット」を注文した。
油麩丼は、輪切りにした油麩をネギ、椎茸、人参とともに卵でとじ、ご飯の上に乗せた丼物である。見た目はまるでカツ丼のようだが、食べてみるとまったく異なる食感と味わいが広がる。油麩はふわふわで、丼つゆをたっぷり吸い込んでおり、噛むほどに旨味が染み出す。卵とじのまろやかさが全体を包み込み、紅生姜がアクセントとなって味を引き締める。
はっと汁は、小麦粉を練って作った厚めのワンタンのような郷土料理で、澄んだスープに鶏肉、白菜、人参、油麩などがたっぷり入っている。ツルツルとした口当たりとモチモチの食感が心地よく、野菜の甘みと鶏の出汁が調和していた。もちろん一緒に「はっと汁」をいただいた。宮城一の米どころである登米で小麦文化を味わうのは不思議な気持ちになるが、味は一級、美味しい。これは登米伊達家が”ご法度”するのも納得いく。
女将は「肉が食べられない人のために、カツ丼の代わりに油麩で作ったのが始まりなんです」と語ってくれた。その言葉には、食材への敬意と、登米の食文化を守る誇りが込められていた。
所在地:〒987-0702 宮城県登米市登米町寺池桜小路91−1
電話番号:0220523161
参考:油麩丼 | 特選スポット|観光・旅行情報サイト 宮城まるごと探訪
承知した。以下に、登米の油麩に関する「レシピ」と「よくある質問」を、それぞれ約400字で「である調」に整えて記述する。
油麩丼のレシピ
油麩丼は、登米市の郷土食材である油麩を活かした代表的な丼料理である。油麩は煮汁をよく吸う性質を持ち、卵とじとの相性が極めて良い。以下に基本的な調理法を記す。
材料(二人分):油麩(輪切り)8〜10枚、卵2個、玉ねぎ1/2個(薄切り)、だし汁200ml、醤油大さじ2、みりん大さじ2、砂糖小さじ1、ご飯2膳分、紅生姜・刻みネギ(お好みで)
手順:①鍋にだし汁、醤油、みりん、砂糖を入れて火にかけ、玉ねぎを加えて煮る。②玉ねぎがしんなりしたら油麩を加え、弱火で煮汁を吸わせるように3〜5分煮る。③溶き卵を回しかけ、蓋をして半熟になるまで加熱する。④丼にご飯を盛り、③を乗せて紅生姜やネギを添える。
油麩は肉を使わずとも満足感を得られる食材であり、精進料理の代替としても優れている。登米の風土が生んだ、滋味深い一膳である。
油麩に関するよくある質問
油麩は登米市を中心に親しまれてきた郷土食材である。以下に、油麩に関してよく寄せられる質問とその回答を記す。
Q:油麩はどこで購入できるか?
A:登米市内のスーパー、道の駅、土産物店で広く流通している。県外では東北物産展や一部の自然食品店、通信販売でも入手可能である。
Q:油麩と一般的な麩の違いは何か?
A:油麩は小麦グルテンを棒状に成形し、植物油で揚げたものである。焼き麩や生麩とは製法・食感ともに異なり、煮汁を吸ってふわふわになるのが特徴である。
Q:保存方法は?
A:常温保存が可能であるが、湿気を避けて密閉容器に入れると風味が長持ちする。冷凍保存も可能であるが、解凍後は煮物などに用いるのが望ましい。
Q:精進料理との関係は?
A:肉を使えない精進料理の代替タンパク源として登米地方で重宝された。油麩丼は、カツ丼の代替として考案された精進風の丼料理とも言われている。
まとめ
登米市で油麩丼とはっと汁を味わうということは、単なる食体験ではない。それは、土地の風土と人々の知恵が凝縮された文化を口にすることでもある。小麦から生まれた油麩は、保存性と栄養価を兼ね備え、精進料理の文脈の中で育まれてきた。それが丼物として昇華されたのは、登米の暮らしと食文化が融合した結果である。はっと汁もまた、小麦文化の象徴であり、米が貴重だった時代に庶民の工夫で生まれた満足感のある料理だった。
「味処もん」で食べた油麩丼は、ふわふわの食感と染み込んだ旨味が印象的で、まさに土地の味が宿る一膳だった。はっと汁とともに味わうことで、登米の食文化の厚みを実感することができた。登米は、米と水と人が織りなす町であり、油麩丼とはっと汁はその記憶を語る料理である。私はこれからも、こうした「食の語り部」に耳を澄ませながら、地域文化の奥深さを丁寧に伝えていきたい。