【宮城県登米市】難読地名「平筒沼」の読み方・語源由来・伝説を追うin米山町
平筒沼の読み方
「びょうどうぬま」と読むらしい──地図を眺めていてふと目に留まったその名、「平筒沼」。初見では読めず、意味も掴みにくい。だがその響きには、静かな水面の奥に何かが潜んでいるような気配があった。地名に惹かれて歩くのは、私の旅のかたちだ。土地の名が語る記憶を辿るため、私は登米市米山町の「平筒沼ふれあい公園」へ向かった。
公園に着くと、鬱蒼としたブナやナラの林に囲まれた静かな沼が広がっていた。周囲約5キロ、かつては吉田村・西野村・中津山村の用水源として使われていたという。水面は風に揺れ、鳥の声が遠くに響いていた。沼のほとりには遊歩道が整備されているが、どこか人の気配が薄く、静けさが支配していた。
私は沼の縁に立ち、地名の由来と、地元に伝わる不思議な話を思い出していた。
平筒沼ふれあい公園
所在地:〒987-0311 宮城県登米市米山町字 桜岡貝待井 581-2
電話番号:0220554007
参考:平筒沼(ビョウドウヌマ)ふれあい公園 - 登米市 - 宮城まるごと探訪、(右)四季折々、豊かな自然が - 楽しめる平筒沼。、平筒沼農村文化自然学習館
平筒という地名の由来──音と漢字に込められた意味
「平筒沼」という地名の由来は、文献に明確な語源が残されているわけではない。だが、「筒」という字は古代において水路や用水を意味することがあり、沼がかつて複数の村の用水源として機能していたことと符合する。「平」は、地形的に平坦な水源地であることを示している可能性がある。
音の「びょうどう」は漢音読みで、格式ある響きを持つ。上筒沼(善王寺沼)と対をなす存在として「平筒沼」が記されていることから、上下の水系を表す呼称だったとも考えられる。つまり、「平筒沼」は「平地にある筒状の水源地」という意味合いを持ち、機能的な地名として成立した可能性が高い。
だが、地元ではこの沼に対して畏れの感情が強く、漢字の意味以上に「びょうどう」という響きが、静けさと深さ、そして何かが潜んでいるような気配を帯びているように感じられる。地名は、土地の人々が抱いてきた感覚の器でもある。
平筒沼の伝説①─ウワバミが棲むという噂
この沼には、今も語り継がれる奇妙な話がある。地元の人々はそれを「うわばみの話」と呼ぶ。昔、沼の近くに「うわばみ屋敷」と呼ばれる小高い丘があり、そこに住んでいた木挽きが、ある日巨大な松のようなものに道を塞がれた。跳び越えようとした瞬間、それが冷たく、妙に弾力があることに気づいた。
「こいつぁ、木じゃねえ……ウワバミだ!」
木挽きは焼きたてのノコギリで胴体に刃を引いた。真っ赤な血が噴き出し、鱗が剥がれ落ち、ウワバミは地響きを立てながら沼へと逃げ込んだ。その後、木挽きは黒いもやに追われ、保手の灰塚神社まで逃げ込んだ。庚申様の後ろに隠れると、もやは神社の周囲を漂ったのち、消えたという。
ウワバミは毒に侵され、山中で息絶えた。その沢は「ブス沢(毒沢)」と呼ばれ、誰も水を飲まなくなった。現在では「笑沢(えみさわ)」と改称されているが、昔の人々はその水を恐れた。木挽きの一族は「もっけ病み」にかかり、やがて絶えたという。「もっけ病み」とは、東北地方に伝わる言葉で、「もっけ(思いがけないもの)」に触れてしまったことで起こる霊的な障りを指す。
この話は、自然に対する敬意を欠いた行為がもたらす報いを象徴している。沼という存在が単なる水源ではなく、霊的な境界であることを伝えている。
参考
平筒沼の伝説②弁財天と赤蛇と僧侶
平筒沼の東端には、小さな島が浮かんでいる。地元では「弁天島」と呼ばれ、かつて金華山金密寺があったと伝えられている。私は遊歩道を歩きながら、その島を遠目に眺めた。木々に覆われ、静かに水面に浮かぶその姿は、どこか異界のような気配を帯びていた。
この島には、今も語り継がれる不思議な話がある。昔、一人の僧がこの島に住み、シキミの葉に一字ずつ経文を書いて本尊としていたという。僧は常に一匹の赤蛇を離さず、まるで伴侶のように可愛がっていた。
ある嵐の夜、僧は突然死んでしまう。通夜が開かれたとき、縁者と名乗る婦人が現れ、焼香を済ませると突風が灯を消し、婦人は赤色の大蛇に姿を変えて僧の亡骸をくわえ、荒れ狂う沼へと身を投じた。
夜が明ける頃、沼の中央から一条の竜巻が舞い上がり、赤白二匹の竜がハスの花飾りのついた灯籠を捧げて昇天していく姿が見えたという。以来、平筒沼はどんな日照りが続いても水が枯れることがない──そう語り継がれている。
この話は、弁財天信仰と水神信仰が重なったものだろう。赤蛇は弁財天の使いともされ、水と財・芸能を司る神の霊性が、この沼に宿っていることを示している。水が枯れないということは、周辺の田畑への水の供給ができるということで、農家にとっては弁財天はまさに水の神様だっただろう。僧と蛇、灯籠と竜──それらは、水辺に潜む祈りと霊性の象徴だった。
〒987-0351 宮城県登米市豊里町久寿田64−1
米山町の沼地と伊達政宗の開拓史
米山町は、江戸初期に伊達政宗によって開拓された地域である。政宗は北上川流域の湿地帯を遊水地として整備し、沼地を水田へと変える大規模な治水事業を行った。米山町はその一環として拓かれた土地であり、現在も沼地や用水路が多く残っている。
この背景があるからこそ、米山町には沼にまつわる話が多く残っている。平筒沼のような水源地は、生活の基盤であると同時に、霊的な境界でもあった。水を得ることは命を得ること──だが、同時に水は人を呑み込む力も持っている。そうした二面性が、沼の伝説として語り継がれてきたのだろう。
政宗の開拓によって人が沼に入り、自然を制御しようとした時代。その記憶の裏側に、平筒沼のような場所が静かに息づいている。地名と伝説は、その土地が歩んできた歴史と、人々の感覚の織り目を今に伝えている。
まとめ
平筒沼──「びょうどうぬま」と読むこの地名は、宮城県登米市米山町の南東部に位置する静かな水辺である。鬱蒼とした森林に囲まれ、水深が深く、かつては吉田村・西野村・中津山村の用水源として利用されていた。地名の由来は明確ではないが、「筒」が水路や用水を意味し、「平」が地形を表すとすれば、「平地にある筒状の水源地」という機能的な意味が込められていた可能性がある。漢音読みの「びょうどう」という響きには、格式と静けさ、そして霊的な深みが感じられる。
この沼には、地元に伝わる奇妙な言い伝えがある。ウワバミに遭遇した木挽きの話、毒沢と呼ばれた沢、もっけ病みにかかった一族──それらは、自然に対する畏れと境界意識を伝える物語である。「もっけ病み」とは、東北地方に伝わる霊的な障りの概念であり、見てはならないもの、触れてはならないものに関わったことで起こる不幸を指す。この伝説は、沼が単なる水源ではなく、霊的な境界であることを静かに語っている。
さらに、沼の東端に浮かぶ弁天島には、赤蛇と僧の奇譚が残されている。弁財天の使いとされる蛇が僧の亡骸をくわえて沼に身を投じ、灯籠を捧げて昇天したという話は、水神信仰と弁財天信仰が重なった霊的な記憶を今に伝えている。
米山町が伊達政宗によって開拓された土地であることも、この沼の記憶に深く関わっている。政宗は北上川流域の湿地帯を遊水地として整備し、沼地を水田へと変える大規模な治水事業を行った。その記憶の裏側に、平筒沼のような場所が静かに息づいている。
私は平筒沼ふれあい公園の水辺に立ち、風に揺れる水面を見つめながら、地名が語る物語に耳を澄ませた。難読の地名に込められた祈り──それは、土地の人々が静かに守り続けてきた記憶の織り目だった。