【宮城県涌谷町】1000年続く「箟峯寺」の正月行事をたずねるin御弓神事・坂上田村麻呂

地域文化とは、単なる過去の遺産ではなく、その土地に生きる人々が、より良い暮らしを願い、知恵と工夫を重ねて築き上げてきた生活の礎である。風習や祭礼、工芸品に込められた意味は、現代に生きる我々にとっても、豊かに生きるためのヒントとなる。宮城県涌谷町にある箟峯寺(こんぽうじ)で行われる正月行事「白山祭」は、そうした地域文化の象徴であり、数百年にわたり人々の祈りと信仰が受け継がれてきた貴重な伝統である。

この祭りは、農耕文化と密接に結びついた神仏習合の儀式であり、地域の人々が自然と向き合い、災厄を避け、豊穣を願う心が形となって現れている。私はこの冬、箟峯寺を訪れ、古式ゆかしい正月行事に触れることで、地域文化が持つ力と美しさを改めて実感した。祈りの場に身を置くことで、先人たちの願いを受け取り、地域に根ざす誇りと敬意を新たにすることができたのである。

参考

涌谷町「箟岳・白山祭(県重要無形文化財)

宮城県「箟峯寺の正月行事 - 指定文化財 - 宮城県

世界農業遺産大崎耕土「涌谷エリア

【宮城県涌谷町】難読地名「箟岳」の読み方・由来語源をたどる旅in無夷山箟峯寺・おくのほそ道 展望台

宮城県涌谷町の箟岳(ののだけ)は、坂上田村麻呂の征夷伝承と砂金産出の歴史が交差する地名。矢竹に枝葉が生えたという祈念譚や「無夷山」の山号が語るように、蝦夷との…

箟峯寺とは

箟峯寺は、宮城県涌谷町の箟岳丘陵に位置する天台宗の寺院であり、山号を「無夷山(むいさん)」と称する。この「無夷」とは、かつてこの地が蝦夷との戦いの舞台であり、征夷将軍・坂上田村麻呂が蝦夷を討ち平定したことに由来するとされている。寺の創建は大同2年(807年)であり、田村麻呂が京都清水寺の十一面観音を勧請し、僧・延鎮を開山として建立したと伝えられている。

箟峯寺が位置する箟岳丘陵は、日本で初めて砂金が採れた地としても知られており、奈良の大仏建立に際して献上されたという歴史を持つ。天皇が年号を改めるほどの出来事であったことからも、その重要性がうかがえる。寺は奥州三十三観音第九番札所としても知られ、奥州三観音の一つに数えられる。本尊の十一面観音像は秘仏であり、三十三年に一度だけご開帳される。次回のご開帳は平成53年(2041年)とされている。

境内には「微笑み仁王」と呼ばれる仁王像が安置されており、その柔和な表情は訪れる人々の心を和ませる。また、田村麻呂一千年供養塔が静かに佇み、文化七年(1810年)に建立されたこの板碑は、田村麻呂の没後一千年を記念して建てられたものであり、寺の歴史と地域の人々の敬意が刻まれている。箟峯寺は、自然と歴史、信仰が融合した聖地であり、地域文化の中心として今も人々の心を支えている。

所在地: 〒987-0285 宮城県遠田郡涌谷町箟岳神楽岡1

電話番号: 0229-45-2251

参考:涌谷町「箟峯寺

箟峯寺の正月行事とは

箟峯寺の正月行事は、大晦日から始まり、1月8日までの「修正会」、そして1月17日から26日までの「かいほうかい」など、古式に則った一連の儀式から成り立っている。これらの行事は、白山社を中心に当屋制のもとで執り行われ、地域の農民たちの信仰と深く結びついている。白山社は宝亀元年(770年)に創立され、同6年(776年)には大伴駿河麻呂によって建立されたと伝えられている。

中でも注目すべきは、1月第4日曜日に行われる「御弓神事(おゆみしんじ)」である。稚児が6本ずつ計12本の矢を射り、その年の天候を占うというこの神事は、神仏習合の名残を色濃く残す儀式であり、天台宗の僧によって執り行われる。矢の当たり方によって豊作や災厄を占うこの神事は、農民の暮らしに直結する祈りのかたちであり、地域の人々の願いが込められている。

この祭りは、単なる宗教儀式ではなく、地域の生活と密接に関わる文化的な営みである。数百年にわたり受け継がれてきたこの行事は、地域の人々が自然と向き合い、共に生きるための知恵と工夫を象徴している。白山祭は、地域文化の力を感じさせる貴重な伝統であり、今後も継承されるべきものである。

坂上田村麻呂の矢竹伝説と弓神事

御弓神事には、坂上田村麻呂にまつわる民話が影響していると考えている。伝説によれば、田村麻呂が箟岳から加美町の薬莱山に向かって矢竹を放ったが、遠すぎて届かなかったという逸話がある。この物語は、箟峯寺の弓神事に通じる「矢を放つ」という行為の象徴性を強く感じさせるものであり、歴史と祈りが交差する瞬間を表している。

加美町・登米市・栗原市を含む大崎平野一帯は、かつて大和朝廷と蝦夷の壮絶な戦争が繰り広げられた地であり、田村麻呂の足跡が各地に残されている。地名にもその痕跡が色濃く残り、「鬼橋」「砥落」「十二山」など、田村麻呂伝説に由来する地名が今も語り継がれている。これらの地名は、地域の歴史と文化を物語る重要な手がかりであり、地域文化の深さを示している。

田村麻呂の伝説は、単なる物語ではなく、地域の人々が歴史を語り継ぎ、誇りを持って生きるための精神的な支柱である。弓神事に込められた願いは、過去の戦いの記憶と、未来への祈りが重なり合うものであり、地域文化の力を象徴している。箟峯寺の弓神事は、歴史と信仰、生活が融合した文化的な営みであり、今後も大切に守られるべきものである。

参考

登米市「坂上田村麻呂と大武丸絵馬

箟峯寺の正月行事・御弓神事をたずねる

令和六年一月の第4日曜日、私は涌谷町の箟峯寺にて執り行われる「御弓神事(おゆみしんじ)」を実際に見学した。朝の冷気が張り詰める中、山門をくぐると、すでに多くの参拝者が集まり、境内には厳かな空気が漂っていた。白山社の前には祭壇が設けられ、僧侶たちが静かに準備を進めていた。神事は天台宗の僧によって執り行われるが、神仏習合の形式を色濃く残しており、仏教と神道が一体となった独特の雰囲気があった。

やがて、稚児装束に身を包んだ子どもたちが登場し、参列者の視線が一斉に注がれる。彼らは緊張した面持ちで弓を構え、白山社の方向へと矢を放つ。一本一本の矢が放たれるたびに、参拝者の間から小さな歓声や拍手が起こり、まるでその年の運勢がその瞬間に決まるかのような緊張感があった。矢の当たり具合によって、その年の天候や豊作が占われるというこの神事は、地域の農業と密接に関わっており、生活に根ざした祈りのかたちである。

神事の後には、参拝者が白山社にて手を合わせ、家内安全や五穀豊穣を願う姿が見られた。地元の方々に話を聞くと、「この神事が終わると、ようやく一年が始まる気がする」と語る人もいた。御弓神事は単なる儀式ではなく、地域の人々の心の節目であり、信仰と生活が交差する場であることを強く感じた。寒さの中にも温もりがあり、祈りの矢が空を切る音は、千年の時を超えて今もなお響いている。

まとめ

箟峯寺の正月行事を通じて、私は地域文化がいかに人々の生活に根ざし、精神的な支柱となっているかを実感した。御弓神事に込められた願いは、単なる占いではなく、自然と共に生きるための知恵であり、災厄を避け、豊穣を願う人々の切実な祈りである。こうした文化は、時代が変わってもなお、地域の人々によって守られ、継承されている。

地域文化を継承することは、過去の人々の願いを受け取り、未来へとつなぐ行為である。それは、地域に住む自分自身の誇りを育み、郷土への愛情を深めることにもつながる。箟峯寺の正月行事は、そうした文化の力を象徴するものであり、今後も多くの人々に伝えられていくべき貴重な遺産である。

地域文化は、生活を豊かにする知恵と工夫の集積であり、それを守り続ける人々の姿勢には深い敬意を抱かざるを得ない。箟峯寺の正月行事を訪れたことで、私はその土地に根ざす文化の尊さを改めて認識し、自らの暮らしにも新たな視点を得ることができた。地域文化を知り、継承することは、未来をより良く生きるための力となるのである。

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