【宮城県蔵王町】難読地名「遠刈田」の読み方・語源由来を訪ねるin遠刈田温泉
地名は、土地の記憶を編み込んだ器だ。私は地域文化を記録する仕事をしている。各地の伝統産業や民俗、地名の由来を掘り下げ、現地の空気を感じながら文章にする──それが私の旅のかたちだ。
今回訪れたのは、宮城県蔵王町にある「遠刈田(とおがった)」という地名。初見では読めないこの難読地名に、私は強く惹かれた。漢字の組み合わせも独特だが、音の響きがどこか古代語のようで、土地の深層に眠る記憶を呼び起こすような感覚があった。
遠刈田は、蔵王連峰の麓に広がる温泉地としても知られている。遠刈田温泉は、開湯400年以上の歴史を持ち、湯治場として藩政期から人々の癒しの場となってきた。泉温は約70℃前後、泉質はおもに硫酸塩・塩化物泉で、神経痛・筋肉痛・冷え性などに効能があるとされる。共同浴場「神の湯」や、古くから続く旅館「三治郎」などが今もその湯文化を守っている。
だが私が今回注目したのは、温泉ではなく「地名」そのもの。なぜ「遠刈田」と書いて「とおがった」と読むのか──その由来を探るため、私は秋の風が吹く蔵王町へと向かった。
参考
蔵王町温泉教会「遠刈田温泉|蔵王の魅力
蔵王町農泊協議会「遠刈田温泉(とおがったおんせん) -」
蔵王温泉神の湯「遠刈田温泉|神の湯・壽の湯」
所在地:宮城県刈田郡蔵王町
遠刈田の読み方・意味──「とおがった」という音の不思議
「遠刈田」と書いて「とおがった」と読む。漢字の意味からすれば、「遠くの刈田」、つまり遠方にある稲刈りの田んぼという解釈もできる。だが、実際の地形や歴史を見てみると、それだけでは説明しきれない複雑さがある。
まず「刈田」という言葉は、宮城県内に複数存在する地名であり、白石市にも「刈田郡」がある。これは古代の行政区画に由来するもので、「刈田」は「狩りをする田」あるいは「開墾された田」を意味するとも言われている。つまり、山裾の原野を切り拓いて田にした土地──その記憶が「刈田」という言葉に込められている。
では「遠」は何を意味するのか。蔵王連峰の麓に位置する遠刈田は、かつて白石城下から見て山奥にある湯治場だった。白石藩の領民が湯治に向かう際、「遠くの刈田の湯」と呼んだことが地名の由来になったという説もある。つまり「遠刈田」は、城下から見た距離感と、開墾地としての記憶が重なった地名なのだ。
遠刈田の語源・由来
「遠刈田(とおがった)」という地名は、初見では読みにくいが、地元では古くから自然に使われてきた呼び名だという。ある地元の方は「昔から『とおがった』って呼んでたよ。漢字は後からついたんじゃないかね」と語ってくれた。つまり、地名の「音」が先にあり、後から意味を補うように漢字が当てられた可能性がある。
こうした地名の成り立ちは、東北地方に広く見られる現象で、アイヌ語や古代語の地名に漢字を当てはめた例とも通じるとされる。「とおがった」という音は標準語の語感からは少し外れており、方言的な響きを持つ。特に「がった」は、東北の言葉で「場所」や「地形」を表す語尾として使われることがあり、「なががった(長がった)」=長い場所、「ひろがった」=広い場所、などの用例がある。
この「がった」は、古代日本語の「かた(方・形)」が変化したものではないかという説もあり、地形や空間を表す言葉として定着していた可能性がある。そう考えると、「とおがった」は「遠い場所」「遠くの地形」といった意味を持つ言葉だったのかもしれない。
そこに「刈田」という漢字が当てられたことで、地名としての意味が補強されたとも考えられる。「刈田」は、開墾された田、あるいは狩猟地としての田を意味する言葉であり、蔵王山麓の原野を切り拓いた土地の記憶が込められている。白石城下から見て山奥にある湯治場だったことから、「遠くの刈田の湯」と呼ばれたという説もある。
また、遠刈田温泉の開湯にまつわる伝承として、「金売橘次(かねうりのたちばなつぐじ)」が霊泉を発見したという話も伝えられている。橘次は源義経の奥州下向に同行した金商人で、蔵王山麓を旅する中で湯煙を見つけ、湯を掘り当てたとされる。これが遠刈田温泉の始まりだという説もあるが、あくまで伝承の域を出ない。
遠刈田という地名には、距離感、地形、開墾の記憶、そして湯の伝承が重なっているように思える。
遠刈田を歩く
私は遠刈田温泉街を歩いた。蔵王町の中心部から車で数分、蔵王連峰の裾野に広がるこの湯の町は、観光地として整備されてはいるが、どこか素朴な空気が残っている。旅館が立ち並ぶ通りには、足湯や共同浴場が点在し、湯の香りが風に乗って漂ってくる。
まず訪れたのは「神の湯」。地元の人々が日常的に利用する共同浴場で、湯船の縁に腰かけると、湯治場としての歴史が肌に染み込んでくるようだった。湯は無色透明で、肌触りが柔らかく、じんわりと体を温めてくれる。湯口から流れる音を聞きながら、私は地名が語る「開墾地」や「山奥の湯治場」という記憶を風景に重ねていた。
遠刈田温泉 神の湯
所在地:〒989-0912 宮城県刈田郡蔵王町遠刈田温泉仲町32
通りを歩くと、古くから続く旅館「三治郎」の看板が見えてくる。創業は明治期、湯治文化を今に伝える宿として知られている。館内には蔵王の自然を望む露天風呂があり、湯に浸かりながら山の気配を感じることができる。宿の方に話を聞くと、「遠刈田は、昔から湯治の町。地名も、湯と人の記憶が重なってできたんでしょうね」と語ってくれた。
かっぱの宿 旅館三治郎 日帰り入浴【湯の里】
所在地:〒989-0913 宮城県刈田郡蔵王町遠刈田温泉本町3
さらに足を延ばして「蔵王町観光案内所」へ。地名の由来に関する資料は少ないが、遠刈田温泉の歴史を伝える展示があり、江戸期には白石藩の湯治場として藩士や庶民が利用していたことが記されていた。元禄年間にはすでに温泉宿が存在していたという。
私は湯の町を歩きながら、地名が語る風景と生活の痕跡に静かに触れた。湯の香り、山の気配、そして「とおがった」という音の余韻──それらが重なり合い、地名が単なる記号ではなく、土地の記憶を編み込んだ詩のように感じられた。
まとめ
遠刈田(とおがった)という地名は、ただの地理的ラベルではなく、土地の記憶を編み込んだ器のような存在だ。蔵王連峰の麓に広がるこの湯の町は、開湯400年以上の歴史を持つ遠刈田温泉を中心に、湯治場として人々の暮らしと癒しを支えてきた。泉温は約60℃、泉質は単純温泉で、神経痛や冷え性などに効能があるとされ、今も共同浴場「神の湯」や老舗旅館「三治郎」などがその文化を守り続けている。
地名の語源については諸説ある。白石城下から見て山奥にある湯治場だったことから「遠くの刈田」と呼ばれたという説、方言的な語尾「がった」が地形や場所を表す言葉として使われていたという言語的背景、さらには金売橘次が霊泉を発見したという伝承まで──距離、地形、開墾、信仰、物語が重なり合い、地名として定着していった可能性がある。
地元の方の「昔から『とおがった』って呼んでたよ。漢字は後からついたんじゃないかね」という言葉が印象的だった。音が先にあり、漢字が後から意味を補う──それは東北の地名に多く見られる現象であり、遠刈田もそのひとつなのかもしれない。
私は湯の町を歩きながら、地名が語る風景と生活の痕跡に静かに触れた。湯の香り、山の気配、そして「とおがった」という音の余韻──それらが重なり合い、地名が単なる記号ではなく、土地の記憶を編み込んだ詩のように感じられた。遠刈田──その名には、開墾と湯治、距離と地形、そして人々の暮らしの記憶が静かに息づいている。