【宮城県】仙台御筆の読み方は?値段や歴史、若林区の西川玉林堂を訪ねる

仙台御筆という言葉を初めて知ったのは、宮城野萩について調べていたときだった。宮城野萩は、宮城県や仙台市の秋を象徴する花として知られているが、その茎が筆の軸として使われてきた歴史があるという。萩の茎を使った筆、その存在を知った瞬間、胸の奥がふっとざわめいた。宮城の名産品といえば石巻市の雄勝硯が真っ先に思い浮かぶが、まさか筆まで作られていたとは知らなかった。確かに硯を作っているなら筆や和紙が生産されるのも当たり前か、と思った。

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仙台の街を歩いていると、ふと目に留まる花がある。細くしなやかな枝に、小さな蝶のような花を咲かせる「仙台萩」。秋の風に揺れるその姿は、どこか儚く、そして力強い。…

仙台御筆の伝統を守る職人は今や一人だけになってしまったという。文化が消えゆく境界線に立っているような感覚が、私を仙台御筆へと強く惹きつけた。

地域文化を歩き、土地に根付いた技や物語を記録していくことは、私にとって仕事であり、同時に生き方でもある。道具ひとつにも土地の気質が宿り、職人の手の跡が残り、時代の空気が染み込んでいる。仙台御筆もまた、仙台という土地の歴史と人々の営みが凝縮された存在だ。筆という小さな道具の中に、武家文化、学問、そして職人の誇りがどのように息づいてきたのか。その背景を知りたいという思いが、私を仙台へと向かわせた。

仙台御筆のことを調べれば調べるほど、筆が単なる書道具ではなく、仙台藩の精神文化を支える象徴だったことが見えてくる。武士が学び、町人が技を磨き、職人が受け継いできた文化の結晶。その実像を確かめるために、私は西川の玉林堂を訪ねることにした。

旅の始まりはいつも静かだが、心の奥には小さな火が灯っている。 仙台御筆がどんな表情を見せてくれるのか。その期待を胸に、私は仙台の街へ足を踏み入れた。

参考

宮城県「宮城の伝統的工芸品/仙台御筆

文化庁「【日本遺産ポータルサイト】政宗が育んだ“伊達”な文化 名産品

レファレンス協同データベース「若林区で盛んだったといわれる仙台御筆づくりについて

みやぎデジタルフォトライブラリー「No.010338 仙台御筆・宮城野萩筆

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「仙台御筆」の読み方と意味

仙台御筆(せんだいおふで)という言葉を初めて口にしたとき、どこか柔らかく、それでいて凛とした響きがあった。実はこの呼び名は古くからあったわけではなく、昭和の時代に仙台の筆が昭和天皇へ献上されたことをきっかけに「仙台御筆」と呼ばれるようになったという。それ以前は「仙台筆」と呼ばれていた。献上品として選ばれたことをきっかけに、筆に“御”の字が与えられた。その事実だけでも、この筆がどれほど丁寧に作られ、どれほど信頼されてきたかが伝わってくる。

仙台御筆の背景には、仙台藩の学問文化があると思う。江戸時代、伊達政宗は武芸だけでなく学問を強く奨励し、岩出山に日本最古の学問所である有備館や仙台城下の藩校・養賢堂といった学びの場を整備した。文武両道という言葉がそのまま当てはまるような、武士の都市たる仙台らしい文化の土壌だ。学問を重んじる都市であれば、当然ながら筆の需要は高まる。筆は武士にとって刀と同じくらい大切な“精神の道具”であり、文字を通して心を鍛えるための必需品だった。

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仙台御筆は、京都や奈良の筆文化の影響を受けつつも、仙台独自の技法を取り入れて発展した。寒冷な気候に合わせた毛の選別、穂先の仕上げ、芯の作り方。それらは仙台の職人が長い年月をかけて磨き上げてきた技である。柔らかさとコシの絶妙なバランスは、書家からも高く評価されてきた。さらには、日本の古歌に由来する「五色筆」という雅な筆まであるらしい。

「仙台御筆」という読み方を知るだけで、その背後に広がる文化の深さが見えてくる。

参考

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五色筆とは

仙台御筆を語るうえで欠かせない存在が「五色筆(ごしきふで)」だ。 五色筆とは、宮城県に伝わる古歌に詠まれた五つの草木である宮城野萩(みやぎのはぎ)、末の松山の松、実方中将(さねかたちゅうじょう)の墓付近に生える片葉の薄(かたはのすすき)、野田の玉川の三角葭(さんかくあし)、名取川の蓼(たで)──を筆軸として考案された、野趣豊かな毛筆のことを指す。仙台御筆といえばこの五色筆だ、と言う人もいるほど、仙台の筆文化を象徴する存在である。

とくに人気が高かったのは、宮城野萩を軸にした「萩筆」だろう。萩は仙台の風景を象徴する植物であり、秋の宮城野を彩る花として古くから歌に詠まれてきた。現在では、仙台銘菓「萩の月」が有名だ。その萩の茎を軸にした筆は、軽く、手に馴染み、どこか素朴で温かい。昭和の時代には仙台土産として大変人気があり、旅人がこぞって買い求めたという。

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五色筆を考案したのは、仙台藩の筆結御職人(ふでゆいおんしょくにん)である小村家だ。筆結御職人とは、藩に仕える公式の筆職人のことで、武士の学問文化を支える重要な役職だった。小村家五世は、宮城野萩の筆を仙台藩五代当主・伊達吉村公に献上したと伝わっており、その逸話は五色筆の格式を物語っている。

仙台御筆の歴史

仙台御筆の歴史を遡ると、その始まりは仙台藩の成立と深く結びついているという。伊達政宗が仙台に城(青葉城)を築いた17世紀初頭、政宗は武芸と同じほど学問を重んじ、藩内には大崎市岩出山有備館仙台城下の藩校・養賢堂といった学びの場が整えられた。質実剛健という言葉がそのまま当てはまるような、仙台らしい文化の基盤である。学問が奨励されれば、当然ながら筆の需要は高まる。武士にとって筆は、文字を書くための道具である以上に、心を整え、己を鍛えるための“精神の器”だった。

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仙台の筆づくりには、二つの大きな流れがある。ひとつは、政宗が京都の禁裏御所に懇願し、京都から1流の筆師を招き、藩のお抱え筆匠として技術を継承させた系譜。もうひとつは、仙台市若林区にある、かつて足軽町と呼ばれた三百人町や連坊小路といったエリアで、町ぐるみの筆生産が行われていた系譜だ。若林区は今も仙台市民の間で「古い町」「伝統産業の町」として知られ、仙台御筆の卸を担った西川玉林堂、大友毛筆店、仙台味噌や和菓子、仙台箪笥の老舗など、文化の層がそのまま町並みに刻まれている。

戦前の最盛期には、仙台にはなんと五百人もの筆匠がいたという。軸に使う竹が店先や家先で乾かされている光景は、当時の仙台では日常の風景だった。筆づくりが生活の一部であり、町の呼吸そのものだったのだ。

仙台筆は寿命が長く、弾力があり、墨持ちが良く、線の密度が出る──そうした品質の高さから全国的な評価を受けてきた。京都や奈良の筆文化を受け継ぎながらも、仙台の気候や武家文化に合わせて独自の進化を遂げた結果である。

参考

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仙台御筆「西川玉林堂」を訪ねる

仙台御筆の本拠地ともいえる若林区。その一角に、今も静かに暖簾を掲げる筆の卸売店・西川玉林堂がある。店に足を踏み入れた瞬間、空気がふっと柔らかくなった。棚には筆が整然と並び、硯や和紙、熊野筆をはじめ全国の筆が所狭しと並んでいる。古い町の空気と、道具の匂いが混ざり合う、なんとも心地よい空間だった。

迎えてくれたおかみさんは、驚くほど博識な方だった。仙台御筆について尋ねると、どんな質問にも迷いなく答えてくれる。しかも一を聞けば十を返してくれるような、惜しみない語り口だ。仙台御筆の歴史、職人の系譜、素材の違い──話を聞いているうちに、まるで自分が長年の常連客になったような錯覚さえ覚えた。

「五色筆はもう作られていないんですよ」とおかみさんは静かに教えてくれた。 そして、仙台御筆を作る職人は今や大友毛筆店の大友さん一人だけになってしまったことも。大友さんの筆を卸しているのも、今では西川玉林堂くらいだという。仙台御筆が全国的に評価され、今でも遠方からわざわざ買い付けに来る人が絶えないという話を聞き、胸の奥がじんと熱くなった。

店に並ぶ筆の軸は、今では竹が主流で、プラスチック軸のものもある。軸には西川玉林堂の店名が刻まれることもあれば、店が名付けた筆名が入ることもあるという。一本一本に物語が宿っているようで、眺めているだけで時間を忘れた。

気づけば外は夕暮れだった。 おかみさんの話があまりに面白く、帰るのが惜しいほどだった。 こんな感覚を味わえる店は、現代では本当に貴重だと思う。

店を出て、古い町並みを歩きながら仙台の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。 私は仙台御筆を二本買った。これから書をたしなみたいと思ったし、またこの店でおかみさんと筆の話をしたいと思った。

㈲西川玉林堂

所在地: 〒984-0073 宮城県仙台市若林区荒町201
電話番号: 022-223-8217

まとめ

仙台御筆を追いかけた今回の旅は、単なる工芸品探訪ではなかった。宮城野萩の茎が筆の軸として使われてきたことを知った瞬間に芽生えた小さな驚きは、仙台という土地が育んできた文化の奥行きへと私を導いてくれた。雄勝硯のような名産品がある土地なら、筆や和紙が生まれるのも自然なことなのかもしれない。しかし、実際にその現場に足を運び、職人の言葉を聞き、道具に触れることでしか見えてこない世界がある。

仙台御筆は、武士の学問文化と町人の技が交差して生まれた“精神の道具”だ。伊達政宗が学問を奨励し、有備館や養賢堂といった学びの場を整えたことが、筆文化の土壌をつくった。京都から筆師を招いた系譜と、若林区で町ぐるみの筆づくりが行われていた系譜──その二つが重なり合い、仙台はかつて筆の都として栄えた。戦前には五百人もの筆匠がいたという事実は、今では想像もつかないほどの活気を物語っている。

しかし現在、仙台御筆を作る職人は大友毛筆店の大友さん一人だけになってしまった。五色筆ももう作られていない。文化が消えゆく境界線に立っているという現実は、胸が締めつけられるほど重い。それでも、西川玉林堂の店内には、仙台御筆の息づかいが確かに残っていた。おかみさんの語りは、単なる説明ではなく、文化を未来へ手渡そうとする意志そのものだった。

筆を二本買い、古い町並みを歩きながら、私は思った。 文化は“残すべきもの”ではなく、“触れた人が次へ渡していくもの”なのだと。

仙台御筆は、仙台という土地の記憶をすくい上げる器であり、書く人の心を映す鏡でもある。 この筆を手に取るたびに、私は仙台の風景と職人の息づかいを思い出すだろう。

そしてまたいつか、若林区のあの店を訪れ、おかみさんと筆の話をしたい。 仙台御筆の物語は、まだ終わっていない。 それを未来へつなぐ小さな役割を、私自身も担っていきたいと思う。

投稿者プロ フィール

東夷庵
東夷庵
地域伝統文化ディレクター
宮城県出身。京都にて老舗和菓子屋に勤める傍ら、茶道・華道の家元や伝統工芸の職人に師事。
地域観光や伝統文化のPR業務に従事。

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