【宮城県名取市】難読地名「閖上」の読み方語源由来をたずねるin大年寺山門・閖上神社

宮城県名取市の沿岸部に位置する「閖上(ゆりあげ)」は、漁港と朝市で知られる港町だ。名取川の河口に広がるこの地は、古くから海とともに生きる町として栄えてきた。だが「閖上」という地名は、読み方も漢字も一見して難解であり、初めて訪れる者にとっては不思議な響きを持つ。

この地名には、仙台藩主・伊達綱村が命名したという由来がある。江戸時代、黄檗宗の大年寺の落慶法要に参列した綱村が、山門から東方に波打つ浜を望み、「ゆりあげ浜」と呼ばれていることを知った。だが「ゆりあげ」を表す漢字がないと聞き、綱村は「門の中に水」として「閖」の字を創作したという。この「閖」は仙台藩専用の文字であり、地名と風景が結びついて生まれた稀有な例だ。

また、民間伝承では、旅の僧が「門構えに水と書けば火事は起きない」と説いたという話も残る。海辺の町にふさわしい、祈りと防災の願いが込められた地名でもある。

私はこの閖上の語源を探るべく、仙台市若林区の大年寺を訪ね、実際に山門から浜を望み、そして名取市閖上の町を歩いた。地名に宿る風景と祈りの記憶を辿る旅は、単なる歴史探訪ではなく、土地と人の関係を見つめ直す時間となった。

参考

名取市観光物産協会「Explore Yuriage

〒981-1213 宮城県名取市


閖上の読み方と語源・由来

「閖上」は「ゆりあげ」と読む。地元では当然のように受け入れられているが、県外の人にとっては難読地名のひとつだ。だがこの地名には、仙台藩主・伊達綱村による命名という由来がある。

元禄10年(1697年)、黄檗宗の大年寺が落慶を迎えた際、綱村は法要に参列し、山門から東方を望んだ。そこには名取川の河口に広がる浜があり、波が打ち寄せる様子が見えた。案内役の僧が「ゆりあげ浜」と呼ばれていると伝えると、綱村は「その名にふさわしい文字はあるか」と尋ねた。だが「ゆりあげ」を表す漢字は存在しないと聞き、綱村は自ら「門の中に水」として「閖」の字を創作したという。

この「閖」は、門構えに水を加えた造形であり、仙台藩専用の文字として用いられた。意味としては「波立つ」に通じるともされ、浜辺の風景にふさわしい表現だ。地名が風景から生まれ、藩主の感性によって形を得たという点で、閖上は非常に稀有な命名例である。

また、別の伝承では、旅の僧が「門構えに水と書けば火事は起きない」と説いたという話も残る。これは、海辺の町にふさわしい防災の願いが込められた民間信仰であり、地名に祈りの意味を重ねるものだ。一方で自然災害の地震が過去に起こったことから「揺れる」という意味もある、そういった説もあるようだ。

江戸期の文献には「淘上浜」「淘揚浜」などの表記も見られ、地名の変遷が記録されている。これらは「ゆりあげ」の音に近い表記であり、閖上という漢字が定着するまでの過程を物語っている。

地名とは、単なる記号ではない。閖上という言葉には、風景と人の感性、そして祈りが込められている。私はその由来を確かめるために、実際に大年寺の山門に立つことにした。

参考

早稲田大学「自然災害と地名のつながり – 早稲田ウィークリー


閖上の由来となった大年寺を訪ねる

仙台市若林区にある黄檗宗・大年寺は、伊達家の菩提寺として元禄10年(1697年)に創建された。境内は静かで、杉木立に囲まれた空間には、時代の重みが漂っている。私は閖上の地名の由来を確かめるため、この寺の山門——惣門を訪ねた。

【宮城県仙台市】なぜ日本三大黄檗の1つ「大年寺」が仙台に?由来や読み方、伊達家との関係を訪ねるin太白区門前町・茂ヶ崎

仙台市太白区の大年寺は、黄檗宗三大叢林の一つとして江戸時代に栄えた名刹。伊達綱村が創建し、黄檗宗の高僧・普応鉄牛を開山に迎えた。大年寺惣門や255段の石段が往時の…

惣門は、仙台市指定有形文化財にもなっている重厚な木造建築で、当時の姿を今に伝えている。門の内側に立ち、東方を望むと、現在は住宅地や道路が広がっているが、かつては名取川の河口と浜辺が見えたという。伊達綱村がこの門から波打つ浜を見て「ゆりあげ浜」と呼ばれていることを知り、「門の中に水」として「閖」の字を創作したという逸話は、この場所に立つことで実感を伴って迫ってくる。

門の柱には風雨にさらされた木の質感が残り、綱村が見たであろう風景を想像すると、地名が風景と結びついて生まれるということの意味が深く感じられる。寺の境内には伊達家の墓所もあり、藩主の感性と歴史が交差する場所としての空気が漂っていた。

また、黄檗宗の寺院らしく、境内には中国風の建築様式が随所に見られ、仙台藩が文化的にも多様な影響を受けていたことがうかがえる。地名の由来が、こうした文化的背景と結びついていることも興味深い。宮城・仙台には他にも黄檗が由来となった「広瀬川の灯ろう流し」や石巻市の「石巻川開き祭り」、大崎市美里町の郷土料理「すっぽこ汁」がある。文化と結びつきは面白い。

【宮城県美里町】宮城唯一の黄檗禅宗料理?「すっぽこ汁」という郷土料理を訪ねるinはなやか亭・涌谷

私は、地域文化ライターとして、日本各地に息づく伝承や風習、地名に込められた記憶を掘り起こし、現代の言葉で伝える仕事をしている。 なぜそれを続けているのか──それは…

【宮城県石巻市】伝統行事「石巻川開き祭り」を訪ねるin日和山・黄檗海門寺・重吉神社・普誓寺

石巻川開き祭りは、北上川の治水と港開削に尽力した川村孫兵衛を讃える供養祭として始まり、現在は灯ろう流しや花火を通じて命を慈しむ祈りの行事として継承されている。…

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宮城県仙台市の広瀬川灯ろう流しは、江戸時代の飢饉供養に始まり、黄檗宗の川施餓鬼法会を源流とする祈りの行事。木魚読経が響く川辺で、灯ろうに込めた願いが水面を流れ…

私は惣門の前にしばらく立ち、風の音と木々のざわめきに耳を澄ませた。地名とは、風景の記憶であり、人の感性の結晶でもある。閖上という言葉が、この門から生まれたという事実は、土地と言葉の関係を考える上で、非常に示唆に富んでいる。

参考

仙台市図書館「24. 閖上の地名の由来

大年寺惣門

所在地:〒982-0845 宮城県仙台市太白区門前町4−3

【宮城県】地名「仙台」の由来・語源を訪ねるin大満寺千躰堂・愛宕神社

地名とは、土地の記憶を編み込んだ言葉だ。私は地域文化を記録する仕事をしている。地名の由来や語源、伝承、神社仏閣の祭神、地形や産業の背景を掘り下げ、現地の空気を…

名取市閖上の町を歩く

大年寺の山門から浜を望んだ伊達綱村の視線を追うように、私は名取市閖上の町へと向かった。名取川の河口に広がるこの港町は、太平洋に面し、古くから漁業とともに生きてきた土地だ。町の入り口には「閖上朝市」の看板が掲げられ、週末には地元の魚介や野菜を求めて多くの人が訪れる。名取は日本一の赤貝セリといった特産品や笹かまぼこ発祥地として有名だ。

【宮城県名取市】仙台名物「笹かまぼこ」発祥地を訪ねるinゆりあげ港朝市・閖上港・かわまちてらす閖上

私は地域文化の記事を書き続けている。きっかけは、誰にも知られていないような祭りや風習に触れたときの驚きだった。そこには、土地の記憶と人々の祈りが静かに息づいて…

【宮城県名取市】日本一の赤貝を食べるin神事で使われる神への供物・かわまちてらす閖上

宮城県名取市閖上は、築地市場でも「日本一」と称される赤貝の名産地。名取川と仙台湾が育む理想的な環境と漁師の技が生む極上の赤貝を、かわまちてらす閖上の「漁亭浜や…

【宮城県名取市】日本一の「せり」の由来や歴史を訪ねるin水神蕎麦のせり鍋

宮城県名取市は、全国トップクラスの生産量を誇る「仙台せり」の名産地。根まで食べる独自の食文化が息づき、冬の定番「せり鍋」は地元の誇り。高舘食堂 水神蕎麦で味わう…

だがこの町は、2011年の東日本大震災で甚大な被害を受けた場所でもある。津波によって町の大部分が流され、数多くの命が失われた。現在では防潮堤や復興住宅が整備され、町は少しずつ息を吹き返している。かわまちてらす閖上という商業施設には、カフェや土産物店が並び、地元の人々と観光客が交差する風景が広がっていた。

私はまず、閖上湊神社を訪れた。津波で社殿が流されたが、現在は再建され、海の神を祀る場として静かに佇んでいる。境内には慰霊碑があり、震災で亡くなった方々の名前が刻まれていた。手を合わせると、地名に込められた「門の中に水」という文字が、単なる造形ではなく、海と人の暮らしを象徴する祈りのかたちであることを実感する。

町を歩くと、地元の方々が「閖上」の読み方や由来について誇らしげに語ってくれる。「昔からここは“ゆりあげ”って呼ばれてた。漢字は仙台藩の殿様がつけたんだってね」と、漁師の方が笑顔で話してくれた。地名が人々の記憶に根付き、誇りとなっていることが伝わってくる。

名取川の河口に立つと、風が強く、潮の香りが鼻をくすぐった。波の音に耳を澄ませながら、私はふと大年寺の山門を思い出した。綱村が見た浜は、今もここにある。地名は、風景の記憶であり、人の祈りでもある。閖上の町は、海とともに生き、祈りとともに歩む場所だった。

閖上湊神社

〒981-1203 宮城県名取市閖上中央1丁目11−11

まとめ

「閖上(ゆりあげ)」という地名は、ただの地理的な呼称ではない。仙台藩主・伊達綱村が大年寺の山門から波打つ浜を望み、「門の中に水」として創作した漢字「閖」は、風景と感性が結びついて生まれた言葉だ。その由来には、藩主の美意識と土地への敬意が込められている。

また、民間伝承では「門構えに水と書けば火事は起きない」と説いた旅の僧の話も残り、地名には防災と祈りの意味も重ねられている。海辺の町にふさわしい、暮らしと信仰が交差する言葉だ。

私は実際に大年寺の山門に立ち、閖上の町を歩いた。山門からの視線の先にあった浜は、今も名取川の河口に広がっている。震災を経て復興を遂げつつある閖上の町には、漁港の活気と慰霊の静けさが共存していた。湊神社や慰霊碑に手を合わせる人々の姿に、地名が祈りの場であることを改めて感じた。

地名とは、土地の記憶であり、人の感性の結晶でもある。閖上という言葉には、風景と歴史、そして祈りが宿っている。震災を乗り越えたこの町は、今も「門の中に水」の意味を静かに湛えながら、未来へと歩み続けている。

閖上は、地名が語る力を教えてくれる町だった。

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