【宮城県石巻市】仙台藩の書の文化を知るため雄勝硯の町へin雄勝町


墨の重み、石の記憶──石巻・雄勝硯を訪ねて

「雄勝硯、知ってますか?」と聞かれれば、多くの人が「教科書で見たことがある」と答えるだろう。実際、全国の小中学校の書写教材にその名が登場するほど、雄勝硯は“有名”な硯だ。だが、実際に手にしたことがある人はどれほどいるだろうか。私もその一人だった。名前は知っていたが、触れたことはなかった。だからこそ、石巻市雄勝町に足を運び、自分の書に使う硯を選びたいと思った。

目的地は「雄勝硯伝統産業会館」と「道の駅おがつ」。どちらも、雄勝硯の技術と文化を伝える拠点だ。海沿いの道を走りながら、私はこの町が背負ってきた歴史と、硯という道具が持つ静かな力に思いを馳せていた。

雄勝町とは──石と海と祈りの町

石巻市雄勝町は、宮城県東部、三陸海岸の入り組んだリアス式海岸に位置する港町である。古くから雄勝石の産地として知られ、硯や建材、屋根材などに用いられてきた。町の背後には山が迫り、前には海が広がる──その地形が、石を育み、漁業と鉱業を共存させてきた。

江戸時代には仙台藩の御用石として雄勝石が管理され、硯の製作は藩の保護を受けて発展した。明治以降は全国に雄勝硯が流通し、昭和期には硯の生産量日本一を誇った。だが、2011年の東日本大震災で町は壊滅的な被害を受け、人口も産業も激減した。それでも、雄勝硯の技術と記憶を絶やすまいと、職人たちは再び炉に火を入れた。雄勝町は、石に祈りを刻む町なのだ。

雄勝硯の歴史──平安から続く石の文化

雄勝硯の起源は平安時代にまでさかのぼるとされる。『延喜式』(延喜5年・905年編纂)には「陸奥国、良石有之、可製硯」との記述があり、陸奥の地に硯に適した石があることが記されている。また、『日本紀略』(平安中期)にも「陸奥国産硯石、質良、貢之」とあり、朝廷への献上品として雄勝石が扱われていたことがうかがえる。地元の伝承では、雄勝の地で硯が作られていたのは平安中期からとされ、古文書にも「雄勝石硯、貢上之記録」などの記述が残る。

仙台藩では、武士教育の一環として書道が重視され、藩校「養賢堂」などで儒学・漢詩とともに筆墨の文化が育まれた。雄勝硯は藩主への献上品として扱われ、将軍家や朝廷にも贈られた記録が残る。雄勝石の採石場は「お留山」とされ、藩の管理下に置かれていた。

雄勝硯伝統産業会館──技術と祈りが宿る空間

会館に入ると、まず目に飛び込んでくるのは、静かに並ぶ硯の数々。大きさも形もさまざまだが、どれも黒く、深く、光を吸い込むような質感を持っている。硯という道具が、単なる文房具ではなく、祈りや精神性を宿す器であることを思い出させてくれる。

案内してくれた職員の方は、硯の製作工程を丁寧に説明してくれた。雄勝硯は、石を切り出し、彫り、磨き、仕上げるまでに数十工程を要する。特に「墨堂(ぼくどう)」と呼ばれる墨をする部分は、職人の感覚と経験がものを言う。硬すぎれば墨が乗らず、柔らかすぎればすり減る。雄勝石の絶妙な硬度は、まさに硯のために生まれた石だと感じた。

雄勝硯伝統産業会館 - 雄勝硯生産販売協同組合

住所:〒986-1335 宮城県石巻市雄勝町下雄勝2丁目17

電話番号:0225573211

道の駅おがつ──震災と再生の記憶をつなぐ場所

次に訪れたのは「道の駅おがつ」。震災後に整備されたこの施設は、観光拠点であると同時に、地域の記憶と産業をつなぐ場所でもある。館内には雄勝硯の展示販売コーナーがあり、若手職人による新しいデザインの硯や、雄勝石を使ったアクセサリーなども並んでいた。

ここで出会った職人の方は、「硯を使う人が減っているのは事実。でも、書を書く人が硯を選びに来てくれるのは本当に嬉しい」と語ってくれた。雄勝硯は、教科書に載るほど有名だが、実際に使われる機会は減っている。墨汁と筆ペンが主流になった現代において、硯は“過去の道具”と見なされがちだ。

道の駅 硯上の里 おがつ

所在地:〒986-1335 宮城県石巻市雄勝町下雄勝2丁目5

電話番号:0225256844

実際に雄勝硯を使ってみて──墨と向き合う時間

雄勝硯を手に入れてから、私は書を書く時間が変わった。まず、墨をするという行為が、ただの準備ではなく、心を整える儀式のようになった。硯に水を落とし、墨をゆっくりとすり始める。雄勝石の墨堂は滑らかで、指先に伝わる感触が心地よい。墨がすれる音は静かで、まるで遠くの波音のように耳に残る。

墨の色は深く、艶があり、筆に乗せたときの滑りが自然だ。書いた文字は線に芯があり、濃淡の表情が豊かになる。筆の運びに合わせて墨が応えてくれる感覚がある。これは、量産の人工硯では味わえないものだった。

何より、硯を使うことで「書く」という行為が丁寧になる。急いで書くことがなくなり、一文字一文字に向き合うようになった。墨をする時間が、書く時間の一部になり、書いた文字に自分の呼吸が宿るような気がする。

雄勝硯は、ただの道具ではない。墨と向き合う時間を与えてくれる、静かな師のような存在だ。これからも、この硯とともに、言葉と心を整えていきたいと思っている。


参考資料

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