地名「宮城」の読み方や由来・語源をたずねる|多賀城や鹽竈神社説、屯倉説とは?昔の国名も解説
地域文化ライターとして歩いていると、地名の由来に心を惹かれることが多い。地名は単なる呼び名ではなく、その土地に生きてきた人々の歴史や想いを映す鏡である。古代から続く文化や信仰、時代の変遷による政治的な背景までもが、地名の中に凝縮されている。だからこそ、地名を知ることは地域文化を理解する上で欠かせない要素であり、旅の魅力を深める鍵となる。
宮城という地名もその一つだ。東北を代表する県名として広く知られているが、その由来には諸説があり、定説はない。大和朝廷の直轄地「屯倉」に由来する説、神聖な地を意味する説、多賀城の存在に由来する説などがある。いずれも古代からこの地が重要な拠点であったことを示している。
私は宮城という地名の由来を探るため、鹽竈神社と多賀城を訪ねることにした。神々の鎮座する聖地と、大和朝廷の東北支配の拠点。二つの場所を歩くことで、宮城という名に込められた意味を体感できるのではないかと思った。地名を追う旅は、文化を追う旅でもある。宮城という名に込められた歴史と文化の厚みを感じながら、私は歩みを進めた。
参考
仙台市図書館「「宮城県」の県名の由来」
宮城県「私たちのまち宮城県」
宮城県観光連盟「概要 | 仙台宮城の観光・旅行情報サイト」
宮城の地名の由来・語源とは
宮城という地名の由来にはいくつもの説がある。最も一般的なのは、仙台城のあった宮城郡の名を採ったという説だ。明治五年、仙台県が宮城県と改称された際、政府は雄藩の名を避け、郡名を採用した。岩手県も同様に盛岡県ではなく岩手郡の名を採っている。
しかし、宮城郡の名は古代から存在していた。「続日本紀」には天平神護二年(七六六年)に「陸奥磐城宮城二郡」と記され、「類聚国史」には舒明天皇三年(六三一年)に「宮城郡松島八幡」とある。さらに「和名類聚抄」にも宮城郡宮城郷の名が見える。つまり、宮城という地名は奈良時代以前から記録に残る由緒ある名称なのだ。
語源については、新井白石が「松島記」で「神聖の墟の故」とし、鹽竈神社の鎮座する聖地に由来するとした説がある。一方で、小林清治氏は屯倉に由来するとし、大和朝廷の直轄地で租稲の収納倉庫があった場所を「ミヤケ」と呼び、それが「ミヤギ」となったとする。さらに高橋富雄氏は「宮なる城」、すなわち多賀城に由来すると説いた。多賀城は大和朝廷の対蝦夷政策の拠点であり、国府と鎮守府を兼ねていた。
定説はないが、いずれの説もこの地が古代から重要な拠点であったことを示している。宮城という名は、神聖な地、屯倉、城郭など、いずれにせよ歴史と伝統の厚みを象徴する地名である。
参考
国立公文書館デジタルアーカイブ「類聚国史」
宮城県の昔の地名
宮城県の歴史を辿ると、地名の変遷が時代の流れを映していることが分かる。古代には陸奥国と呼ばれ、広大な東北地方を指す名称だった。後に陸前国として分割され、現在の宮城県域が形成されていく。
江戸時代には仙台藩が成立し、伊達政宗をはじめとする伊達家が支配した。仙台藩は東北最大の雄藩として知られ、藩主の権威は強大だったことは想像にたやすい。戊辰戦争後、仙台藩は収公され、名取・宮城・黒川・加美・玉造・志田の一部が伊達宗基に下賜された。明治二年には版籍奉還が行われ、仙台藩は新政府に組み込まれた。
明治四年の廃藩置県で仙台藩は仙台県となったが、翌年には宮城県へ改称された。政府は「仙台」という名が雄藩を連想させるとして避け、仙台城のあった宮城郡の名を採ったのである。これは中央政府の意向によるもので、資料を見る限りでは地元住民の抵抗はなかったとされている。(もちろん実際はどうかは分からない。)
こうして宮城県の名は定着し、現在に至る。地名の変遷は政治的な背景を映し出すが、同時に古代から続く宮城郡の名が選ばれたことは、この地が由緒ある地域であることを示している。宮城という名は、歴史と伝統の厚みを象徴する地名として受け継がれてきた。
参考
レファレンス協同データベース「宮城県の旧国名をお教え願います。また上野三碑のような古代 」
鹽竈神社を訪ねる
宮城という地名の由来を探る旅で、私はまず鹽竈神社を訪ねた。境内に足を踏み入れると、参拝者が途切れることなく訪れ、社殿や境内からは厳かな雰囲気が漂っていた。ここは東北鎮護の要として古代から信仰を集め、陸奥国一之宮と称される神社である。「一之宮」とは、その地域で最も社格の高い神社を指し、地域の精神的な中心を意味する。宮城という地名の由来を考える上で、この神社の存在は欠かせない。
鹽竈神社の特色は、全国的にも珍しく「塩の神様」を祀っている点にある。御祭神の一柱である鹽土老翁神(しおつちのおじ)は、日本神話に登場する海の神で、海路を開き、人々に塩の製法を教えたとされる。人間にとって塩は必須のものであり、古代から生活の基盤を支える重要な資源だった。鹽竈の町でとれた塩は「塩の道」を通じて内陸へ運ばれ、東北各地の生活を支えた。その象徴が鹽竈神社であり、塩の神を祀ることで地域の繁栄と人々の暮らしを守ってきたのだ。
宮城県は現在でも漁業が盛んで、全国で唯一、特定第三種漁港を三つ有する県である。これは豊富な魚介を獲れる港町としての宮城の特色を示していて、塩釜漁港もその一つに入る。塩と共に魚介も輸出されたのだろうか。塩の神様を祀る鹽竈神社は、まさに港町の文化と結びついた存在であり、海と人々の暮らしをつなぐ役割を果たしてきた。境内に立つと、古代から続く信仰と港町の歴史が重なり合い、宮城という地名に込められた意味が体感できる。
参拝を終え、境内を歩きながら、私は宮城という地名が神聖な地に由来するという説を思い出した。鹽竈神社の存在はその説を裏付けるように感じられる。神々の宮がある場所、それが宮城。地名に込められた意味を実感する瞬間だった。
参考
所在地:〒985-8510 宮城県塩竈市一森山1−1
多賀城を訪ねる
次に私は多賀城を訪ねた。奈良時代に築かれた多賀城は、大和朝廷の対蝦夷政策の拠点であり、国府と鎮守府を兼ねた東北の政治・軍事の中心地だった。城跡に立つと、往時の威容を想像し、歴史の厚みを感じた。
特に印象的だったのは、国宝に指定されている「多賀城碑(壷碑)」を目にしたことだ。碑には多賀城の創建や修復の記録が刻まれており、奈良時代の歴史を今に伝えている。石に刻まれた文字は千年以上の時を経てもなお鮮明で、古代の人々の営みを直接感じさせる。碑の前に立つと、宮城という地名が古代から重要な拠点であったことを改めて実感した。
さらに復元された南門は朱塗りで美しく、小高い丘の上に建てられていた。鮮やかな朱色が青空に映え、往時の威厳を思わせる。私はその姿を見て、奈良市の平城京跡公園に復元された朱雀門を思い出した。両者はよく似ており、大和朝廷の拠点としての多賀城の姿が重なった。奈良と仙台、遠く離れた二つの地が歴史の中でつながっていることを実感した瞬間だった。
多賀城は奥州街道沿いに位置し、現在では東北自動車道からもその巨大な建築物が見える。目立つ場所にあり、古代からこの地域の象徴であったことが分かる。奥州街道を通る人々に威厳を示す役割も果たしていたのだろう。宮城県に来た者が必ず通る道から見える位置にあることは、地域の中心としての多賀城の存在を象徴している。
城跡を歩きながら、私は宮城という地名が「宮なる城」に由来するという説を思った。多賀城はまさにその象徴であり、大和朝廷の歴史と蝦夷の文化の接点となった場所だ。蝦夷の文化は誇りあるものとして残り、大和朝廷の歴史と共存しながら成長してきた。宮城という名は、その共存の歴史を映す鏡なのだ。
参考
所在地:〒985-0864 宮城県多賀城市市川田屋場
まとめ
宮城という地名を追いかけて歩いた今回の旅は、単なる歴史探訪ではなく、地域文化の厚みを体感する時間となった。鹽竈神社では全国的にも珍しい「塩の神様」である鹽土老翁神を祀り、古代から人々の生活に不可欠な塩と海の恵みを守ってきた信仰に触れた。港町として豊富な魚介を育む宮城の土地柄と結びついたこの神社は、まさに地域性を映す存在であり、神聖な地に由来するという説を実感させてくれる。境内に立つと、古代から続く祈りが今も息づいていることを肌で感じ、宮城という名が人々の暮らしと誇りを象徴していることを理解できた。
一方、多賀城では奈良時代の大和朝廷の拠点としての歴史に触れた。国宝の多賀城碑(壷碑)に刻まれた文字は千年以上の時を超えてなお鮮明で、古代の人々の営みを直接伝えてくれる。復元された朱塗りの南門は小高い丘の上に建ち、奥州街道を行き交う人々に威厳を示す役割を果たしていたのだろう。奈良市の平城京跡公園に復元された朱雀門を思い出し、遠く離れた奈良と仙台が歴史の中でつながっていることを実感した。宮城という名が「宮なる城」に由来するという説も、この地に立つと説得力を持って迫ってくる。
こうして鹽竈神社と多賀城を訪ねることで、宮城という地名が持つ多層的な意味を体感できた。大和朝廷の歴史が刻まれる一方で、蝦夷の文化も誇りあるものとして残り、共存しながら成長してきた。宮城という名は、その共存の歴史を象徴する地名であり、古代から続く由緒ある地域の誇りを示すものだ。
今では宮城県は東北を代表する県となり、文化と歴史の厚みを誇る。地名を追う旅は、地域文化を知る旅でもある。宮城という名に込められた意味を探ることで、地域の人々が大切にしてきた歴史や文化を理解し、未来へと受け継ぐべき価値を感じることができた。宮城という地名は、過去と現在をつなぎ、未来へと続く文化の象徴なのである。
投稿者プロ フィール

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地域伝統文化ディレクター
宮城県出身。京都にて老舗和菓子屋に勤める傍ら、茶道・華道の家元や伝統工芸の職人に師事。
地域観光や伝統文化のPR業務に従事。
