【宮城県石巻市】地名「網地島」の読み方・由来・語源をたどる旅in牡鹿郡(おしかぐん)
目次
地名に惹かれて、網の字の奥を辿る旅へ
地名は、土地の記憶を編み込んだ器である。私は地域文化を記録する仕事をしている。各地の地名の由来や伝承、神社の祭神、産業の背景を掘り下げ、現地の空気を感じながら文章にする──それが私の旅のかたちだ。
今回訪れたのは、宮城県石巻市牡鹿町に属する「網地島(あじしま)」という島。牡鹿半島の南東沖に浮かぶこの島は、石巻港から船で約40分。かつては仙台藩の遠島十八成組に属し、漁業と流刑地の記憶を併せ持つ場所である。地名に「網」の字が含まれること、そして「あじしま」という柔らかな響きに、私は強く惹かれた。
私は実際に網地島を訪れ、長渡浜から網地浜へと島を縦断した。根滝山の峠道を越えると、白砂の海岸と透明度の高い海が広がっていた。今では「宮城のハワイ」とも称されるほどの美しさを誇り、夏には多くの人々が訪れる癒しの島となっている。だがその名には、漁と祈り、そして隔離の記憶が静かに息づいていた。
参考
網地島の読み方
網地島は「あじしま」と読みます。
網地島の語源由来──網の地・漁の島としての記憶
網地島の地名は、漁業に由来するとされる。島の周囲は潮流が複雑で魚種が豊富であり、古くから定置網漁が盛んに行われてきた。地名の「網地」は、「網を張る地」「網を仕掛ける場所」を意味し、漁業の実践と地形が重なって成立した呼称と考えられる。
石巻市の公式資料によれば、網地島の語源は「網を仕掛ける地」から来ており、漁業の拠点としての性格が地名に刻まれている。また、島名の読み「あじしま」は、魚の「鯵(あじ)」との関連を指摘する民間語源説もあるが、これは後世の解釈であり、実際には「網地=網の地」が本来の由来とされる。
島内には網地浜・長渡浜・根滝山などの地名があり、それぞれが漁・交通・信仰の機能を担っていた。地名は、漁の技術と地形の記憶を編み込んだ言葉である。
所在地:宮城県石巻市
藩政期の記録──隔離と生産の島
網地島は、仙台藩の遠島十八成組に属し、藩政期には流刑地としても機能していた。正保郷帳や元禄郷帳には、島内の田畑・茶畑・海上高が詳細に記録されており、蔵入地としての統治が行われていた。
長渡浜には「田四貫三〇一文・畑二貫二二四文」、元禄年間には「茶畑八文・海上高二貫九四三文」などの記録が残る。網地浜も同様に、在家の規模や人口が記されており、島全体が生産と隔離の場として位置づけられていた。
地名「網地島」は、漁業の拠点であると同時に、藩政の統治と隔離の記憶を刻む言葉でもある。
現代の網地島──癒しと再生の海の記憶
現在の網地島は、「宮城のハワイ」とも称されるほどの美しい海を持ち、観光地として再生されている。特に網地白浜海水浴場は、白砂とエメラルドグリーンの海が広がり、夏季には多くの人々が訪れる人気スポットとなっている。
かつて流刑地として隔離された島が、今では癒しと憩いの場として再生されていることは、地名が語る風景の変遷を象徴している。私は網地浜の静かな海辺に立ち、かつての記憶と現在の光景が重なり合う瞬間に、深い感慨を覚えた。
まとめ──網地島という地名に宿る漁と祈りの記憶
網地島という地名は、「網を張る地」に由来し、漁業と地形の記憶を宿している。私は島を縦断しながら、その名に込められた意味を探った。根滝山の峠道、静かな浜辺、そして藩政期の記録──それらは、地名が語る風景だった。
「網地」は、漁の技術と地形の記憶を編み込んだ言葉であり、島名はそのまま生活と祈りの記録でもある。そして今、網地島は「宮城のハワイ」と呼ばれるほどの美しい海を持ち、癒しの場として多くの人々を迎えている。
地名は、風景と暮らし、統治と祈り、そして再生の記憶を編み込んだ器──網地島という名が語る物語を、私は静かに辿った。
投稿者プロ フィール

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地域伝統文化ディレクター
宮城県出身。京都にて老舗和菓子屋に勤める傍ら、茶道・華道の家元や伝統工芸の職人に師事。
地域観光や伝統文化のPR業務に従事。
