【宮城県石巻市】難読道の駅名「上品の郷」の読み方・語源由来・伝説を追うin川の上・上品山高徳寺

道の駅「上品の郷」の読み方

「じょうぼんのさと」と読むらしい──石巻市北部にある道の駅「上品の郷」。地図を眺めていてふと目に留まったその名に、私は強く惹かれた。「上品」と書いて「じょうぼん」。初見では読めず、意味も掴みにくい。だがその響きには、静けさと霊性、そして何かを祈るような気配があった。

私はその地名の由来を確かめるため、石巻市川の上(かわのかみ)地区へ向かった。北上川と旧北上川の間をつなぐ追波川(おっぱがわ)に面し、平野と山・川に囲まれたこの地域は、良質な米「ササニシキ」「ひとめぼれ」の産地としても知られている。2011年の東日本大震災では大川・雄勝地区が甚大な被害を受け、約300世帯がこの地に集団移転したという。

道の駅「上品の郷」は、そんな川の上地域の玄関口に位置していた。温泉施設や直売所が併設され、地元の人々の暮らしと祈りが交差する場所となっている。

所在地:〒986-0132 宮城県石巻市小船越二子北下1−1−1

電話番号:0225624126

参考:石巻川の上プロジェクト「石巻・川の上地域とはproject」、東北地方整備局「東北道の駅」、国土交通省「上品の郷


上品山というシンボル

「上品の郷」という地名は、東にそびえる「上品山(じょうぼんさん)」に由来する。標高はそれほど高くないが、山頂からは北に北上川、南西に奥松島、南東に万石浦、北東に船形連峰を望むことができる。まさに360度のパノラマが広がる、地域の心のよりどころだ。

上品山の名の由来は、平安時代初期の坂上田村麻呂による蝦夷遠征の際に、高徳寺を開基したことにあると伝えられている。「上品」とは「品が良い」という意味ではなく、浄土を願う修行者の最上位「上品(じょうぼん)」を表す仏教用語である。つまりこの地は、祈りの階梯の最上位に位置づけられた霊地だったのだ。

山頂には「万海壇」と呼ばれる土壇があり、隻眼の行者・万海上人の行屋跡とされている。伊達政宗はその生まれ変わりとも言われ、後に熊野社が祀られ、傍らには「万海杉」という巨木が立っていた。かつては航行の目印にもなったという。

私は道の駅から上品山を仰ぎながら、地名に込められた祈りの深さを感じていた。

上品山高徳寺を訪ねて

道の駅「上品の郷」から北へ少し車を走らせると、上品山の麓に静かに佇む寺がある──高徳寺。地元では「こうとくじ」と呼ばれ、平安時代初期、坂上田村麻呂が蝦夷征討の折に開基したと伝えられる古刹だ。上品山の名の由来にも関わる寺であり、この地に「上品」という霊的な響きが根付いた起点とも言える。

私はその寺を訪ねてみた。山裾に沿って進むと、杉木立に囲まれた境内が現れた。石段を登ると、苔むした山門が迎えてくれる。境内は静かで、風の音と鳥の声だけが響いていた。堂宇は質素ながらも凛とした佇まいで、祈りの場としての気配が濃い。

本堂の前に立つと、ふと「上品」という言葉の意味が胸に響いた。仏教における「上品上生」──浄土に往生する修行者の最上位を表す言葉。ここは、ただの寺ではない。かつてこの地に集った修行者たちが、浄土を願い、祈りを重ねた場所なのだ。

上品山高徳寺

〒986-0124 宮城県石巻市三輪田持領60

電話番号:022562141

地名が語るもの

「上品(じょうぼん)」という地名は、難読でありながら、意味深な響きを持つ。仏教における「上品・中品・下品」の三品九類のうち、最上位にあたる「上品上生」は、最も徳の高い修行者が往生する浄土の位階である。この地名が残されていることは、かつてこの地が霊的な修行の場であり、浄土を願う祈りの場であったことを示している。

その象徴が、東にそびえる上品山(じょうぼんさん)である。標高はさほど高くないが、山頂からは北上川、奥松島、万石浦、船形連峰までを望むことができ、古来より地域の信仰と航行の目印として仰がれてきた。山頂には「万海壇」と呼ばれる土壇があり、隻眼の行者・万海上人の行屋跡とされている。万海杉という巨木が傍らに立ち、熊野社が祀られたこの場所は、霊性の中心でもあった。

坂上田村麻呂がこの山に寺を勧請した理由は、蝦夷征討の軍事的・宗教的拠点としての意味合いが強い。平安初期、田村麻呂は東北各地に寺院を建立し、仏教による鎮護と支配の象徴とした。上品山は北上川水系を見渡す要地であり、蝦夷との境界に位置する霊的な「結界」として選ばれたのだろう。高徳寺の開基はその象徴であり、地名「上品」は仏教的階梯の最上位を冠することで、この地の霊性と政治的意味を重ねている。

一方、伊達政宗がこの山に関係するという説は、万海上人が政宗の生まれ変わりとされる伝承に由来する。政宗は隻眼の武将として知られ、万海上人も隻眼の修行者だった。政宗がこの地を重視した背景には、北上川水系の支配と、霊的な象徴としての上品山の存在があったと考えられる。政宗の治水・開拓政策は、川の上地域にも及び、上品山はその精神的な支柱となったのかもしれない。

地名「上品の郷」は、単なる観光施設の呼称ではなく、坂上田村麻呂の祈りと伊達政宗の志、そして地域の人々が守り続けてきた霊性の記憶を湛えた名である。私は道の駅の広場に立ち、上品山を仰ぎながら、地名が語る物語に耳を澄ませた。

参考

世界遺産 高野山 金剛三昧院「「上品」と「下品」 | 説法・法話


まとめ

石巻市北部、川の上地域に位置する「上品の郷(じょうぼんのさと)」は、北上川と旧北上川、追波川に囲まれた豊穣の地にある。道の駅として知られるこの場所は、温泉施設や直売所を備え、震災後の集団移転地としても地域の暮らしを支えてきた。

地名の由来は、東にそびえる「上品山(じょうぼんさん)」にある。平安時代初期、坂上田村麻呂の蝦夷遠征の際に高徳寺が開かれ、仏教の「上品上生」に由来する霊地として名付けられたと伝えられている。「上品」とは「品が良い」の意味ではなく、浄土を願う修行者の最上位を表す言葉である。

山頂には万海壇と呼ばれる土壇があり、隻眼の行者・万海上人の行屋跡とされる。伊達政宗はその生まれ変わりとも言われ、後に熊野社が祀られ、万海杉という巨木が航行の目印となった。上品山は、地域の信仰と風景の象徴として今も人々に仰がれている。

地名「上品の郷」は、霊性と祈り、そして自然と暮らしが交差する場所の名である。私は道の駅の広場に立ち、上品山を仰ぎながら、地名が語る物語に耳を澄ませた。難読の地名に込められた祈り──それは、土地の人々が静かに守り続けてきた記憶の織り目だった

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