【宮城県松島町】瑞巌寺って何で有名?読み方や見どころ、伊達政宗との関係や歴史、国宝の本堂や庫裡、駐車場やアクセス情報を解説

宮城を旅するとき、誰もが一度は耳にする地名がある。それが「松島」だ。260余りの島々が海に浮かぶ景観は、古来より“日本三景”として称えられ、宮城県を代表する観光地として全国に知られている。仙台石巻、気仙沼など魅力的な土地は数多くあるが、「宮城といえば?」と問われれば、多くの人が真っ先に松島を思い浮かべるのではないだろうか。私自身も、宮城を歩くたびに松島の存在感の大きさを感じてきた。

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そして松島といえば、中心に静かに佇む瑞巌寺の存在を抜きに語ることはできない。観光地としての松島の賑わいのすぐそばにありながら、瑞巌寺の境内に足を踏み入れると、空気が一段階静かになる。松島の文化的な核がここにある──そんな感覚を覚える場所だ。ずっと気になっていたが、これまで「観光地のひとつ」としてしか見てこなかった自分に気づき、今回は瑞巌寺を“目的地”として訪れてみたいと思った。

瑞巌寺は、宮城県にわずか三つしかない国宝建造物のひとつであり、そのうち二つ──本堂と庫裡──がこの寺にある。国宝という言葉はよく耳にするが、実際にその建築を前にすると、言葉以上の重みがある。なぜこの寺が国宝なのか。伊達政宗がなぜここを大規模に再興したのか。桃山文化の粋をどのように取り入れたのか。本堂と庫裡のどこに“国宝たる理由”が宿っているのか──そのすべてを自分の目で確かめたいと思った。

松島が宮城を代表する理由を知るには、瑞巌寺を深く知ることが欠かせない。 そんな思いを胸に、私は松島へ向かった。

参考

松島観光協会「瑞巌寺 | 観る・遊ぶ | 日本三景松島

旅東北「瑞巌寺|東北の観光スポットを探す

瑞巌寺「国宝 瑞巌寺

瑞巌寺の読み方

瑞巌寺は「ずいがんじ」と読む。松島を訪れたことがある人なら、名前だけは聞いたことがあるかもしれない。しかし、読み方を正しく知り、寺の歴史や位置づけを理解すると、この寺が松島の文化を支える“中心軸”であることが見えてくる。

正式名称は「松島青龍山 瑞巌円福禅寺」。臨済宗妙心寺派に属する禅寺で、松島湾に面した松島町の中心部に位置している。松島海岸駅から徒歩圏内にあり、観光ルートの中でも最もアクセスしやすい寺院のひとつだ。松島の観光地図を見ると、瑞巌寺がまるで“松島の心臓部”のように配置されていることに気づく。

瑞巌寺が特別なのは、単に歴史が古いからではない。 この寺は、松島という土地の文化・信仰・景観のすべてを結びつける役割を担ってきた。 松島の島々を詠んだ古歌や俳句が数多く残るのも、瑞巌寺が精神的な拠点として存在してきたからだろう。

さらに、瑞巌寺は宮城県内に三つしかない国宝建造物(大崎八幡宮の権現造、瑞巌寺の本堂と庫裡)のうちの2つを有している。国宝が複数存在する寺院は全国でも限られており、瑞巌寺が“日本の建築史における重要地点”であることを物語っている。桃山文化の華やかさと禅寺の静けさが同居する建築は、他ではなかなか見られない。

読み方を知り、基本情報を押さえるだけで、瑞巌寺が松島の観光地の中でどれほど特別な存在なのかが見えてくる。

瑞巌寺は何で有名?

瑞巌寺が有名な理由は、大きく分けて三つある。 ひとつは、松島の中心に位置する“日本三景の象徴的寺院”であること。 もうひとつは、伊達政宗が大規模な再興を行い、桃山文化の粋を取り入れた建築美を今に伝えていること。 そして三つ目が、国宝に指定された本堂と庫裡を有する、宮城県屈指の文化財であることだ。

まず、瑞巌寺は松島観光の中心にあり、松島湾の景観とともに語られてきた寺院だ。松島の島々を眺める旅人が必ず立ち寄る場所であり、松島の歴史・信仰・文化を象徴する存在でもある。観光地としての松島の“顔”であり、精神的な拠点でもある。

次に、伊達政宗との深い関わりがある。政宗は瑞巌寺を“奥州随一の禅寺”として再興し、桃山文化の華やかさを建築に取り入れた。本堂の内部装飾や襖絵、庫裡の構造には、政宗の美意識と政治的意図が色濃く反映されている。瑞巌寺を歩くことは、政宗の世界観に触れることでもある。

そして何より、瑞巌寺の本堂と庫裡は国宝に指定されている。 本堂は桃山建築の代表例として知られ、庫裡は禅寺の台所としての機能美と格式を兼ね備えている。 国宝建築が二つも揃う寺院は全国的にも珍しく、瑞巌寺が“建築の宝庫”と呼ばれる理由がここにある。

瑞巌寺は、松島の景観・政宗の歴史・日本建築史の三つが交差する場所だ。

瑞巌寺の歴史

瑞巌寺の歴史は、松島の歴史そのものだ。 その前身は、平安時代に慈覚大師円仁が開いたと伝わる天台宗延福寺。 ただし、円仁開山説は東北の古寺に多く見られる“名義上の開山”(山形の立石寺など)と考えられ、 実際の創建事情は不明な点が多い。 延福寺は奥州藤原氏の保護を受けたとも伝わるが、 その規模や正確な位置は今も定かではない。

鎌倉時代に入ると、寺は大きな転換点を迎える。 北条時頼が天台宗徒を退け、 宋から帰国した禅僧・法身性西を開山として迎え、 寺は臨済宗建長寺派の円福寺へと改宗した。 以後、円福寺は関東御祈祷所に指定され、 関東十刹に列せられるほどの格式を持つ寺院へと発展する。 しかし、戦国時代の火災や混乱によって衰退し、 政宗が仙台に入る頃には廃墟同然となっていた。

そして桃山時代、伊達政宗による大改修が始まる。 慶長9年(1604)から14年(1609)にかけて、 政宗は円福寺を全面的に再興し、 寺名を「松島青龍山瑞巌円福禅寺」と改めた。 このとき建てられた本堂・庫裡・御成玄関などが、 現在国宝に指定されている建築群である。

江戸時代を通じて瑞巌寺は伊達家の菩提寺として栄え、 松島の精神的中心として機能した。 しかし明治維新後の廃仏毀釈で多くの建物を失い、 財政難に陥る時期もあった。 それでも明治天皇の行幸や皇族の訪問を経て再び整備が進み、 昭和28年には本堂が国宝に指定される。

平成20年から10年に及ぶ「平成の大修理」を経て、 2018年、瑞巌寺は創建当初の姿を現代に取り戻した。 平安・鎌倉・桃山・江戸・近代という千年以上の時間が折り重なった寺院を歩くと、 松島という土地が育んできた文化の深さを、 静かに、しかし確かに感じることができる。

伊達政宗と瑞巌寺

徳川家康による天下統一以降、仙台に居城を構えた政宗は、 領国経営の基盤として“精神の拠り所となる寺院”を領内に整備していたという。 その中心に選ばれたのが、松島にあった円福寺だった。 かつては天台宗延福寺として栄え、のちに臨済宗建長寺派の円福寺へと変遷したが、 戦乱の中で荒廃し、往時の姿を失っていた。

政宗はこの寺の復興に、尋常ではない熱量を注いだ。 慶長9年(1604)から工事を開始し、 自ら縄張り(伽藍配置)を行い、紀州熊野から用材を運ばせ、 畿内から名工130名を招くという徹底ぶりだったという。古来より松島が「浄土の地」とみなされてきた歴史を踏まえ、 政宗はこの地に“奥州随一の禅寺”を築こうとしたのだろう。

慶長13年(1608)に鋳造された大鐘には、 「山を号して松島と曰い、寺を名づけて瑞岩(巌)と曰う」 と刻まれている。 これが「瑞巌寺」という名の初出であり、 翌年、慶長14年(1609)に5年の歳月をかけた大改修が完成した。

政宗が瑞巌寺に託したのは、単なる寺院の再建ではない。 仙台藩の文化的象徴としての寺院、 そして“伊達文化”の美意識を体現する空間だった。 桃山文化の華やかさと禅寺の静けさが同居する本堂、 豪壮な梁組を見せる庫裡── そのすべてが政宗の美意識と政治思想の結晶である。

国宝の本堂と庫裡を歩く

瑞巌寺を訪れると、誰もがまず圧倒されるのが国宝の本堂だ。 慶長14年(1609)、伊達政宗が5年の歳月をかけて完成させたこの建物は、桃山文化の華やかさと禅寺の静けさが見事に同居している。正面38m、奥行24.2m、棟高17.3mという堂々たる規模。入母屋造・本瓦葺の屋根が重厚に構え、外観は質実でありながら、内部に足を踏み入れると一気に世界が変わる。

本堂は「孔雀の間」「仏間」「文王の間」「上段の間」「上々段の間」「鷹の間」「松の間」「菊の間」「墨絵の間」「羅漢の間」の10室から構成され、それぞれの部屋にテーマがあり、障壁画や彫刻、天井の造りまで異なる。特に「上段の間」「上々段の間」は格式の象徴で、政宗が天皇を迎えるために設けたという説も残るほどだ。

障壁画は昭和60年から復元模写が進められ、現在は創建当時の華やかさをほぼそのまま体験できる。金箔の輝き、精緻な筆致、空間の贅沢な使い方──政宗が目指した「武家文化の美」がそのまま形になっている。

一方、庫裡(くり)は寺院の台所にあたる建物だが、瑞巌寺の庫裡は“裏方”とは思えないほどの存在感を放つ。正面13.8m、奥行23.6mの切妻造本瓦葺。大屋根の上には入母屋造の煙出しが載り、内部の梁組は圧巻の一言。実用本位の建物でありながら、正面上部の複雑な梁と束、漆喰に施された唐草彫刻が美しく、昭和34年に国宝指定を受けた理由がよく分かる。

本堂と庫裡をつなぐ廊下も国宝で、歩くたびに光の入り方が変わり、庭の緑が視界に差し込む。 瑞巌寺の国宝建築は、単なる古建築ではなく、政宗の美意識と桃山文化の粋が凝縮された“空間芸術”だと実感する。

洞窟群と参道の静けさ

瑞巌寺の魅力は国宝建築だけではない。 境内に足を踏み入れると、まず心を奪われるのが参道の空気だ。かつては杉並木が瑞巌寺の象徴だったが、2011年の東日本大震災の津波と塩害で多くが枯死し、約300本が伐採された。それでも参道には静けさが残り、松島の海風がゆっくりと流れてくる。

参道の右側に広がるのが、瑞巌寺のもう一つの“顔”ともいえる洞窟遺跡群だ。 岩肌に穿たれた無数の洞窟には、五輪塔や供養塔、戒名が刻まれ、江戸時代に亡き人を供養する場として使われていたことが分かる。松島は古来より「奥州の高野」と呼ばれ、死者の供養と祈りの地として信仰を集めてきた。洞窟の壁面に刻まれた文字や塔は、当時の人々の祈りの痕跡そのものだ。

最も古い供養塔は、寛永13年(1636)、政宗に殉死した佐藤吉信のものとされる。 それ以降の供養塔が多く残ることから、洞窟群が現在の姿になったのは江戸後期と推測されている。 洞窟の前に立つと、ひんやりとした空気が肌を撫で、松島の華やかな観光地の顔とはまったく違う“祈りの層”が立ち上がってくる。

瑞巌寺は、国宝建築の華やかさと、この洞窟遺跡群の静けさが共存している。 政宗が築いた桃山文化の美と、松島が古来より持つ宗教的な深み── その二つが重なり合うことで、瑞巌寺は単なる観光地ではなく、 “時間と祈りが積み重なった場所”としての存在感を放っている。

駐車場・アクセス情報

瑞巌寺は松島観光の中心に位置しており、アクセスは非常に良い。 最寄り駅は JR仙石線「松島海岸駅」。駅から瑞巌寺までは徒歩約10分で、観光案内所や飲食店が並ぶ松島海岸エリアを歩きながら向かうことができる。松島湾を横目に歩く参道は、旅の導入としてちょうどいい距離だ。

車で訪れる場合は、三陸自動車道「松島海岸IC」から約10分。 瑞巌寺専用の駐車場はないが、周辺には町営・民営の駐車場が多数あり、観光地としての受け皿は十分に整っている。特に瑞巌寺に近い「タイムズ法雲庵(瑞巌寺)」や「松島パーキング」は利用しやすく、徒歩数分で瑞巌寺の総門に到着する。

タイムズ法雲庵(瑞巌寺)

所在地:〒981-0213 宮城県宮城郡松島町松島町内63

料金(訪問時):平日は普通車500円/24時間、休日は500円/1時間

松島パーキング

所在地:〒981-0213 宮城県宮城郡松島町松島町内

料金(訪問時):300円/1時間

拝観料

2026年3月までは拝観料は大人700円、小・中学生400円、2026年4月に改訂予定のため大人 1,000 円(大学・各種校・高校含む)
子供 500 円(中学校・小学校)※小学生未満無料となる予定。

写経体験やガイドツアー(有料)もあり、時間に余裕があれば参加してみると、瑞巌寺の歴史や文化をより深く理解できる。

松島海岸駅から徒歩圏内という立地は、瑞巌寺が“松島観光の中心”であることを象徴している。 海と寺、歴史と景観が自然につながるこの動線こそ、松島の旅の魅力のひとつだ。

参考

瑞巌寺「拝観案内

瑞巌寺周辺で立ち寄りたい観光スポット

瑞巌寺を歩き終えたあと、まだ松島の空気をもう少し味わいたい。そんな気持ちになったとき、すぐ近くに“次の一歩”としてふさわしい場所がある。 それが 五大堂 と 西行戻しの松公園 だ。

五大堂

瑞巌寺から歩いて数分。 朱塗りの透橋を渡った先に、小さな島に建つ五大堂がある。 瑞巌寺の管理下に置かれたのは江戸時代で、 “松島のシンボル”として絵葉書や写真に必ず登場する建物だ。

五大堂は、東北最古の桃山建築ともいわれ、 小さな堂宇ながら、瑞巌寺の本堂と同じく政宗の美意識が息づいている。 海に囲まれた立地ゆえ、潮風が柱を磨き、木肌が時を重ねて深い色を帯びている。 堂の周囲を歩くと、松島湾の島々がぐるりと見渡せ、 “海と寺が共存する松島”という土地の本質がよく分かる。

瑞巌寺の荘厳な空気から一歩外に出て、 海風を浴びながら五大堂を巡ると、旅のリズムが心地よく整っていく。

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西行戻しの松公園

瑞巌寺の参拝後、少し足を伸ばすなら西行戻しの松公園が最適だ。 松島海岸駅から車で5分ほど、高台に位置するこの公園は、 松島湾を俯瞰できる“松島随一の展望地”として知られている。

春には260本以上の桜が咲き誇り、 桜越しに松島湾の島々が浮かぶ光景は、まさに日本三景の名にふさわしい。 園内には「西行戻しの松」と呼ばれる大木があり、 西行法師が童子との禅問答に敗れ、松島行きを諦めたという伝承が残る。 瑞巌寺の静けさとはまた違う、“物語の余韻”が漂う場所だ。

さらに、公園内のカフェ「le Roman(ろまん)」では、 ガラス越しに松島湾を眺めながらコーヒーやスイーツを楽しめる。 瑞巌寺の参拝後にひと息つくには、これ以上ないロケーションだ。

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まとめ

松島を歩くたびに思うのは、この土地がただの観光地ではなく、長い時間の層が折り重なった“文化の地形”だということだ。海に浮かぶ島々の美しさはもちろんだが、その景観を支えてきた精神的な中心に瑞巌寺がある。今回、瑞巌寺を目的地として歩いたことで、松島という土地の見え方が大きく変わった。観光地の賑わいのすぐそばにありながら、境内に入ると空気が静かに沈み、時間の流れがゆっくりとほどけていく。松島の文化的な核がここにある──その感覚は、実際に歩いてこそ分かるものだった。

瑞巌寺は、平安・鎌倉・桃山・江戸・近代という千年以上の歴史を背負いながら、今も松島の中心に立ち続けている。伊達政宗が再興した国宝の本堂と庫裡は、桃山文化の華やかさと禅寺の静けさが見事に共存し、建築そのものが“政宗の美意識の結晶”として息づいている。障壁画の輝き、梁組の力強さ、光の入り方──そのすべてが、政宗が見たかった松島の姿を今に伝えているようだった。

一方で、参道に残る洞窟遺跡群は、松島が古来より「奥州の高野」と呼ばれ、祈りの地として人々に寄り添ってきた歴史を静かに語る。国宝建築の華やかさと、洞窟群のひんやりとした祈りの空気。その対比が、瑞巌寺という場所の奥行きをより深く感じさせてくれる。

瑞巌寺を歩き終えたあと、五大堂や西行戻しの松公園へ足を伸ばすと、松島の景観と文化が立体的につながっていく。海に浮かぶ五大堂の姿は、瑞巌寺の“離れ”のように松島の海と寺の関係を象徴し、高台の西行戻しの松公園から眺める松島湾は、瑞巌寺がこの土地の中心にある理由を視覚的に理解させてくれる。

松島を知ることは、瑞巌寺を知ること。 瑞巌寺を歩くことは、松島という土地の文化の深層に触れること。

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投稿者プロ フィール

東夷庵
東夷庵
地域伝統文化ディレクター
宮城県出身。京都にて老舗和菓子屋に勤める傍ら、茶道・華道の家元や伝統工芸の職人に師事。
地域観光や伝統文化のPR業務に従事。

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