【宮城県】地名「名取市」の読み方や由来語源をたずねるin名取川・あんどん松・貞山運河・閖上市場
名取川の河口に立ったとき、風が頬を撫で、松の葉がささやいた。堤防沿いに並ぶクロマツ──あんどん松と呼ばれるその並木は、かつて海の男たちを導いた灯台代わりだったという。その姿は、ただの風景ではなく、土地の記憶そのものだった。
私は名取市という地名の由来を探る旅の途中だった。アイヌ語に由来するという説、湿田地帯の地形にちなんだという説──いずれもこの土地が水と深く結びついていることを物語っている。名取川の流れは、古代から現代まで、町の暮らしと文化を支えてきた。
貞山堀にも足を運んだ。伊達政宗が築いたこの運河は、阿武隈川から名取川を結び、仙台城下の建設資材を運ぶために開削されたもの。静かな水面に空が映り、時折カモが滑る。その穏やかな風景の奥に、政宗の都市計画と先人たちの知恵が息づいている。
名取という町は、ただ通り過ぎるには惜しい場所だった。地名の響きに耳を澄ませ、川の流れに目を凝らし、松の並木に手を添える──そのすべてが、名取という土地の物語を語っていた。私はこの町に、もっと深く触れてみたくなった。
参考
国土交通省「名取川の歴史」
名取市観光物産協会「プロフィール |」
名取市商工会「名取市紹介」
名取市の読み方と地名の由来
名取市(なとりし)は、宮城県の中央南部に位置する市で、仙台市に隣接し、仙台空港を擁する交通の要所でもある。地名「名取」の読み方は「なとり」。その響きの由来には諸説あるが、いずれもこの土地が水と密接に関わってきたことを示している。
一説には、アイヌ語の「ナイトリベツ(渓谷)」や「ニットリトン(静かな海)」に由来するとされ、古代の地形や水辺の環境が語源に影響を与えた可能性がある。また、湿田地帯に由来するという説もあり、名取川の下流域がかつて入江であったことを踏まえると、地形的な特徴が地名に反映されたとも考えられる。
文献上で「名取郡」の名が初めて登場するのは7世紀末から8世紀にかけて。このことからも、名取という地名は古代から続く由緒ある呼称であり、地域の歴史と文化の根幹をなす存在であることがわかる。
参考
名取市「ごあいさつ」
名取川と伊達政宗
名取川は、仙台平野を潤す重要な河川であり、伊達政宗の都市計画においても中心的な役割を果たした。政宗は仙台城下町の建設にあたり、積極的に新田開発を推進し、名取川流域の水田整備を進めた。
その一環として、政宗は家臣・川村孫兵衛に命じ、慶長元年(1596年)に名取川と広瀬川を結ぶ「木流し堀」を開削。山から伐り出した薪を川に流して運び、城下の家中に供給するという実用的な舟運システムを築いた。
さらに、慶長2年から6年にかけては、阿武隈川から名取川を結ぶ全長約15kmの「木曳堀(貞山堀)」を開削。この運河は仙台城下の建設資材や物資の輸送に活用され、江戸時代から明治時代にかけては日本最長の運河系として発展した。
名取川と貞山堀は、政宗の治水・利水政策の象徴であり、現在でもその痕跡をたどることができる。水を活かした都市づくり──それが名取という町の原点だった。
あんどん松を訪ねる
名取川の河口に立つと、風が海から吹き抜け、松の葉がささやくように揺れていた。堤防沿いに並ぶクロマツ──それが「あんどん松」と呼ばれる並木だった。樹高25mを超えるものもあり、幹周は3m以上。その堂々たる姿は、ただの植栽ではなく、海と人をつなぐ記憶の柱のようだった。
この松並木は、仙台藩初代藩主・伊達政宗が遠州(現在の静岡県浜松市周辺)から取り寄せて植えたものと伝えられている。漁業が盛んだった昭和初期には、漁師たちがこの松の先端に行灯を灯し、灯台代わりに使っていたという。夜の海を行く船が、この松を目印に港へ戻ってきた──そんな話を聞くと、松の一本一本が海の男たちの命綱だったように思えてくる。
東日本大震災を耐え抜いた46本の松は、台風などの影響で令和3年には35本に減ったが、今もなお、河口の風景に凛とした存在感を放っている。私は一本の松の根元に立ち、幹に手を添えた。ざらりとした感触の奥に、250年の風と塩と祈りが宿っているようだった。
所在地:〒981-1213 宮城県名取市閖上新大塚133
貞山堀を歩く
名取市を訪れたなら、貞山堀を歩かずには帰れない。この運河は、江戸時代から明治時代にかけて開削された日本最長の運河系で、仙台湾の海岸線に沿って約60kmにわたり続いている。名取では「木曳堀」と呼ばれ、伊達政宗が阿武隈川から名取川を結ぶために開削した舟運の要だった。
私は堀沿いの遊歩道を歩いた。水面は静かで、空と松が鏡のように映っていた。時折、水鳥が滑るように通り過ぎ、遠くで子どもたちの声が聞こえる。都市の喧騒から離れたこの場所には、かつての物資輸送の活気と、今の穏やかな暮らしが同居している。
貞山堀は、治水・利水だけでなく、景観と歴史を併せ持つ空間だ。震災後の復旧が進む中でも、堀の流れは変わらず、名取の町を静かに支えている。私は水面を見つめながら、政宗の都市計画と先人たちの知恵に思いを馳せた。水は、記憶を運ぶ媒体なのだと、改めて感じた。
所在地:〒983-0003 宮城県仙台市宮城野区岡田砂原
名取川河口の閖上市場を訪ねる
名取市を歩いたのは、春の光がやわらかく差し込む午後だった。名取川の河口から町を巡るうちに、私はこの土地が水とともに生きてきたことを肌で感じた。川の流れ、堤防沿いの松並木、そして空の広さ──すべてが名取という地名の響きに重なっていた。
もっと名取を感じたくなった。車を走らせて向かったのは、名取市南部に位置する閖上(ゆりあげ)市場。閖上漁港に併設しており、市場には地元の名産・赤貝が並び、艶やかな赤色と厚みのある身が目を引いた。「名取の赤貝」といえば日本一と称されるブランド貝だ。名取川や阿武隈川から海へ流れ出る栄養素からつくられた海の恵みである。食べないわけにはいかない。食堂で赤貝の刺身を注文すると、口に入れた瞬間、潮の香りと甘みがふわりと広がった。名取の海が育てた味──それは、土地の力を舌で感じる体験だった。
漁港の周辺を歩くと、漁師町らしい活気と静けさが同居していた。干された網、船のエンジン音、潮風に揺れるのぼり旗。名取という町が、川と海の両方に根を張っていることがよくわかる。水辺の風景は、どこか懐かしく、どこか誇らしげだった。
名取を歩くことは、ただの観光ではなかった。風景に触れ、食を味わい、土地の空気を吸い込む──そのすべてが、名取という町の深さを教えてくれた。地名の由来を探る旅は、いつしか町そのものに惹かれていく時間へと変わっていた。
所在地:〒981-1204 宮城県名取市閖上東3丁目16−16
まとめ
名取市は、宮城県南部に位置する水と記憶の町である。仙台市に隣接し、仙台空港を擁する交通の要所でありながら、名取には都市の喧騒とは異なる、静かな風景と深い歴史が広がっている。
地名「名取」の由来には諸説ある。アイヌ語の「ナイトリベツ(渓谷)」や「ニットリトン(静かな海)」に由来するという説、湿田地帯にちなんだという説──いずれもこの土地が水と密接に関わってきたことを物語っている。文献に「名取郡」の名が登場するのは7世紀末から8世紀。名取という響きは、古代から続く土地の記憶そのものだ。
名取川は、伊達政宗の都市計画においても重要な役割を果たした。政宗は川村孫兵衛に命じて「木流し堀」や「貞山堀」を開削し、仙台城下の建設資材を運ぶ舟運を築いた。その流れは今も町を潤し、静かに歴史を語っている。
名取川河口のあんどん松は、海の男たちを導いた灯台代わりの松並木として知られ、250年の風雪を耐えて今も立ち続けている。閖上漁港では、名取の赤貝が海の恵みとして食卓を彩り、町の暮らしと自然の豊かさを感じさせてくれる。
名取は、歩くほどに語りかけてくる町だった。風景、食、歴史──そのすべてが水に繋がっている。名取川の流れに耳を澄ませ、赤貝の甘みに舌を包み、松の根元に手を添えるとき、私はこの町の深さに触れていた。
名取は、水と記憶の交差点である。過去と現在が静かに重なり合い、未来へと続いていく。その流れの中に、私たちの旅もまた、そっと溶け込んでいくのだ。
