【宮城県】日本唯一の正月飾り「玉紙」とは?読み方や由来、価格、授与いただける場所|鹽竈神社を訪ねる

旅をしていると、土地ごとに異なる風習や暮らしの痕跡に出会うことがある。地名や祭礼、食べ物、家々のしつらえ──そのどれもが、土地の人々が長い時間をかけて育ててきた文化の結晶であり、そこに触れることは、旅の醍醐味であると同時に、地域の精神に触れる行為でもある。
今回取り上げる宮城県の正月飾り「玉紙(たまがみ/たまし)」も、まさにその一つだ。全国的に見れば、正月飾りはしめ縄や門松、鏡餅など、ある程度共通化された形式が広がっている。しかし、仙台藩領だけの風習と言われる玉紙は、その画一化の流れに抗うように、地域独自の美意識と祈りを今に伝えている。
私はこうした風習に惹かれる。なぜなら、地域文化とは「余裕」や「豊かさ」の証だと思うからだ。生活の細部に意味を持たせ、季節の節目に祈りを込め、紙一枚にさえ美意識を宿す──その行為には、土地の歴史と精神が凝縮されている。形式だけをなぞる儀礼ではなく、「なぜ飾るのか」「何を願うのか」を考えながら続けてきたからこそ、玉紙は現代まで受け継がれてきたのだろう。
全国一律の正月飾りを飾るのは簡単だ。しかし、地域独自の風習を守り続けることは、文化の格を示す行為でもある。玉紙を飾る宮城の家々には、先祖から受け継いだ祈りの形を大切にし、次の世代へと手渡そうとする静かな意志がある。年を越すという行為を、ただの行事ではなく「新しい一年を迎えるための心の準備」として捉えているのだ。
私は鹽竈神社で玉紙を手にしたとき、その紙片の軽さとは裏腹に、地域文化の重みを感じた。玉紙は単なる飾りではない。宮城の人々が長い時間をかけて育ててきた「年迎えの美意識」であり、土地の記憶を包む紙片である。こうした風習に触れるたび、地域文化を追う旅を続ける意味を改めて感じるのだ。
参考
khb東日本放送「気仙沼市で縁起物の正月飾り「ほしの玉」作り最盛期 「平和への願い込め描く」」
気仙沼さ来てけらいん「めでたい!気仙沼の正月飾り・縁起物特集」
玉紙とは何か
玉紙(たまがみ/たまし)は、宮城県や三陸沿いを中心とした旧仙台藩領に伝わる独自の正月飾りである。読み方は地域によって揺れがあり、「たまがみ」と呼ぶ家もあれば、「たまし」と呼ぶ家もあるようだ。いずれにせよ、全国的にはほとんど見られない珍しい風習で、日本唯一の正月飾りとも言われている。
形は実に多様だ。宝珠や海老、鯛、昆布、松竹梅などの縁起物が描かれた華やかなものがある一方、白い紙に赤い点を三つ打っただけの簡素なものもある。さらに、白紙のみを飾る家もあり、その素朴さはむしろ神聖さを感じさせる。地域によっては「星の玉」と呼ばれ、赤い点を星に見立てる解釈もある。
玉紙は、神棚や床の間、玄関などに飾られる。紙一枚でありながら、そこには「年神様を迎えるための清浄な空間を整える」という意味が込められている。紙は古来、神事において穢れを祓う力を持つとされ、白は清浄、赤は生命力や魔除けを象徴する。玉紙はその象徴性を凝縮した存在と言える。
興味深いのは、玉紙が「家ごとにデザインや飾り方が違う」点だ。地域の中でも、家系によって描く図柄や時期が異なり、貼付なのか鏡餅に敷くのかなど、代々家ごとに受け継がれている。つまり玉紙は、地域文化であると同時に「家の文化」でもある。正月飾りという日常の延長に、家族の歴史や祈りが静かに息づいているのだ。
参考
ミヤギテレビ「OH!バンデス - 宮城の正月飾り 「玉紙」ってなに?」
多賀城陸奥総社宮「お正月授与品」
玉紙の由来や意味
仙台市民俗資料館によると、玉紙の由来は、実ははっきりしていないという。文献に明確な記録が残っておらず、民俗学的にも「謎の正月飾り」とされている。しかし、いくつかの有力な説が語り継がれている。
まず、「玉(たま)」は宝珠を意味し、仏教的な吉祥の象徴とされる。宝珠は願いを叶える霊力を持つとされ、正月に飾ることで一年の福を招くという解釈がある。また、赤い点を三つ打つ形は「三つ星」を表し、北斗七星や天体信仰と結びつける説もある。星は航海や農耕の指標であり、古代から人々の生活と密接に関わってきた。
もう一つの説は、仙台藩の武家文化に由来するというものだ。伊達家は独自の礼法や美意識を重んじ、紙の扱いにも厳格な作法があった。玉紙の簡素で洗練された意匠は、武家文化の美意識と響き合う。特に白と赤の対比は、伊達家の紋章や装束にも通じる色彩感覚だと思った。
では、なぜ仙台藩領だけに残ったのか。理由の一つは「地域の結束力の強さ」だろう。仙台藩は広大な領地を持ちながらも、文化的には一体性が強く、年中行事や祭礼が藩全体で共有されていた。玉紙もその一つとして、藩内で広まり、明治以降も地域の人々によって守られてきた。
さらに、玉紙は「簡素であるがゆえに残った」風習でもあるという。紙一枚で作れるため、戦後の混乱期や生活が苦しい時代でも続けやすかった。華美な飾りではなく、祈りの本質だけを残した形だからこそ、現代まで受け継がれたのだろうか。たとえば滋賀県には仏像や生け花を家に置く余裕がないため、それを画にして床の間に飾るという風習がある。それが「大津絵」という文化になり、民俗画として浮世絵と並ぶ高い評価を受けているという。
玉紙は、仙台藩の歴史、民俗信仰、家々の祈りが重なり合って生まれた、宮城独自の文化遺産であり、東北でも珍しい民俗画の文化だろう。
玉紙授与のため鹽竈神社を訪ねる
年末の鹽竈神社を訪れた。空気は澄み、参道には静かな緊張感が漂っていた。しめ縄や破魔矢が並ぶ授与所の棚に、目当ての玉紙があった。海老と昆布──二種類の図柄が描かれた玉紙が並び、私は海老の方を分けていただいた。50円ほどで授けていただけけた。A4サイズほどの白い紙に、赤と黒の筆で海老が描かれている。手に取った瞬間、紙の軽さとは裏腹に、そこに込められた祈りの重みを感じた。
授与所の方に話を伺うと、玉紙は専門の方が手描きしているものだという。神社ごとに図柄が異なる。地域によっては1枚1枚手書きのものを授与しているという。昔からその形式で受け継がれてきたそうで、図柄の筆致をよく見ると揺らぎがあり、どこか人の気配が宿っていた。海老は長寿の象徴、昆布は「喜ぶ」に通じる縁起物。どちらも年神様を迎えるための清めと願いが込められている。
棚には玉紙のほかに、宮城独自のお正月様(年徳神像)の絵も置かれていた。5枚それぞれに神様(大年神、宇迦御魂神、大國主神、事代主神、奥津彦神・奥津姫神)の絵が描かれていて、穏やかな顔立ちをしている。しめ縄や破魔矢と並んで、玉紙もまた「年迎えの道具」として、神社の空間に自然に溶け込んでいた。
飾り方は地域や家によって異なる。神棚に貼る家、床の間に立てかける家、玄関に吊るす家──それぞれの家が、それぞれのやり方で年神様を迎える準備をしている。玉紙はその中心にある。紙一枚でありながら、家族の祈りと地域の記憶を包み込む存在だ。
私はその玉紙を、帰宅後に神棚の上に飾った。海老の図柄が、白い壁に静かに浮かび上がる。年を越すという行為が、ただの通過点ではなく、祈りと継承の時間であることを、玉紙はそっと教えてくれた。
玉紙はどこで買える?価格は?
玉紙は宮城県内のすべての地域で見られるわけではない。主に旧仙台藩領──仙台市、塩竈市、多賀城市、名取市、岩沼市、松島町、大崎市などで受け継がれていると聞いた。購入できる場所として代表的なのは、鹽竈神社・志波彦神社をはじめとした神社だが、地域の文具店やスーパーで年末限定で販売されることもある。ただし小売店で販売されている印刷物としての玉紙は、神社で授与されている玉紙と比較してお祓いを受けておらず、宮城県神社庁によると最寄りの神社で授けていただくことを推奨していた。
特に塩竈・松島周辺では、年末になると玉紙が束で売られ、家庭ごとに複数枚を購入して神棚や床の間に飾る習慣がある。仙台市内では、歴史民俗資料館の展示で玉紙の実物を見ることができ、地域文化としての価値が再評価されている。
授与の時期は12月初旬〜大晦日までが一般的。年神様を迎える準備として、しめ縄や鏡餅と同じタイミングで飾る家が多い。飾る場所は神棚、仏壇、玄関、台所など家庭によって異なるが、「家の中心となる場所に飾る」という点は共通している。
興味深いのは、玉紙の“地域差”だ。松島では宝珠の図柄が多く、仙台市内では赤い三つ点の簡素なものが多いという。塩竈では白紙のみを飾る家もある。これは、玉紙が「地域文化でありながら、家の文化でもある」という特性をよく表している。
玉紙は、どこでも出会えるものではない。だからこそ、宮城の正月文化を象徴する特別な存在として、地域の人々に大切にされているのだ。
まとめ
玉紙(たまがみ/たまし)は、宮城県にだけ残る特別な正月飾りである。白い紙に描かれた海老や宝珠、赤い三つ点──その意匠は家ごとに異なり、地域の歴史や祈りが静かに息づいている。由来が明確に分からないからこそ、玉紙は“民俗の余白”として、土地の記憶をそのまま残しているとも言える。
鹽竈神社で実際に玉紙を手にしたとき、紙の軽さとは裏腹に、地域文化の重みを感じた。玉紙は、仙台藩の歴史、家々の祈り、そして宮城の人々が大切にしてきた年迎えの美意識を象徴する存在だ。全国的に画一化された正月飾りとは異なり、玉紙は「地域が自ら選び、守り続けてきた文化」である。形式的な儀礼ではなく、意味を考えながら続けてきたからこそ、現代まで受け継がれた。そこには、宮城の人々の文化度の高さ、生活の細部に意味を宿す美意識、そして先祖からの祈りを大切にする心がある。
そして、玉紙だけではない。宮城県には他にも、地域独自の正月飾りが数多く残っている。たとえば「仙台門松」は、竹を斜めに切らず、真っすぐに立てるのが特徴で、武家文化の名残とも言われる。さらに「年神様(年徳神像)」を絵札として飾る風習もあり、神棚や床の間に五柱の神々を迎えることで、一年の安寧を祈るという独自の信仰が息づいている。
こうした風習は、ただの飾りではない。それぞれが、土地の歴史、家族の記憶、そして祈りのかたちを宿している。私は、玉紙に触れたことで、宮城の正月文化の奥行きを改めて知ることができた。そしてその先には、仙台門松や年神様など、まだまだ掘り下げるべき文化がある。
もし、玉紙に興味を持たれた方がいれば、ぜひこちらの記事もご覧いただきたい。
地域文化は、暮らしの中に静かに息づいている。玉紙はその入口であり、宮城の正月は、祈りと継承の時間そのものなのだ。
投稿者プロ フィール

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地域伝統文化ディレクター
宮城県出身。京都にて老舗和菓子屋に勤める傍ら、茶道・華道の家元や伝統工芸の職人に師事。
地域観光や伝統文化のPR業務に従事。
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