【宮城県】なぜ東日本最大「雷神山古墳」が名取市に?誰のお墓・被葬者はだれ?4月の桜マルシェに合わせて行ってみた
宮城県名取市にある雷神山古墳は、東北地方最大規模を誇る前方後円墳である。墳丘長168メートル、後円部径96メートル、高さ12メートルという圧倒的なスケールは、初めて目にしたときに息をのむほどの迫力を感じさせる。古墳時代前期、4世紀末から5世紀初頭に築造されたと推定され、東日本でも最大級の古墳として国の史跡に指定されている。
なぜ東日本最大の古墳が名取市にあるのだろうか。名取市は古代より実方中将の墓や笠島道祖神に代表されるように大和朝廷の文化が入る雅な町だ。その部分も実際に探訪して推察してみた。
訪れてみると、ただの遺跡ではなく、地域の人々に親しまれる史跡公園として整備されていることがわかる。春には桜が咲き誇り、花見スポットとしても人気を集める。後円部の頂上には雷神を祀る祠があり、古墳の名称の由来となっている。古代の首長の墓でありながら、現代では人々が集い、季節を楽しむ場として生き続けているのだ。
さらに、雷神山古墳では地域イベントも開催される。桜マルシェではハンドメイド作品やキッチンカーが並び、子ども向けの「まが玉づくり」や「はに輪投げ」、古墳クイズラリーなど、歴史を遊びながら学べる工夫が凝らされている。史跡が単なる過去の遺物ではなく、現在の暮らしに溶け込み、未来へとつながる文化の場になっていることを実感できる。
雷神山古墳を訪ねることは、古代の権力者の眠る場所に立ち、仙台平野を見渡す視点を共有する体験でもある。眼下に広がる平野と遠くの太平洋を眺めながら、古代の首長がこの地を支配した歴史を思い起こすと、土地の記憶が立体的に浮かび上がる。宮城の文化と歴史を体感できるこの場所は、まさに「東北の古代を語る鍵」といえるだろう。
参考
文化遺産オンライン「雷神山古墳 - 文化遺産オンライン」
名取市公式NOTE「隠れた名所!?雷神山古墳を紹介!」
所在地:〒981-1226 宮城県名取市植松山1
電話番号:0223842111
雷神山古墳とは
雷神山古墳は、名取市中央の愛島丘陵東端に築造された前方後円墳である。墳丘長168メートル、後円部径96メートル、高さ12メートル、前方部長さ72メートルという規模は、東北地方で最大、古墳時代前期に限れば東日本でも最大級を誇る。墳丘は三段築成で葺石を伴い、周囲には周濠も確認されている。
築造年代は4世紀末から5世紀初頭と推定され、壺形埴輪や底部穿孔壺形土器が出土している。これらの特徴から、古墳時代前期の地方豪族の首長墓と考えられている。隣接する小塚古墳は直径54メートルの円墳で、雷神山古墳の陪塚と推定され、両者は国の史跡として一括指定されている。
名称の由来は、後円部の頂上に雷神を祀る祠があることにちなむ。古墳の頂上に立つと仙台平野や太平洋を一望でき、古代の首長がこの地を支配した視点を追体験できる。現在は史跡公園として整備され、散策路や案内板、駐車場やトイレも整い、市民や観光客に親しまれている。春には桜が咲き誇り、花見の名所としても知られる。
参考
名取市歴史民俗資料館「雷神山古墳パンフレット」
宮城県「指定文化財〈史跡〉雷神山古墳 - 宮城県公式ウェブサイト」
雷神山古墳は誰のお墓?被葬者は?
雷神山古墳の被葬者は、仙台平野から名取平野一帯を支配した広域首長と考えられている。埋葬施設は未発掘のため詳細は不明だが、墳丘の規模や出土品から、かなり強力な地方豪族の墓であることは間違いない。
古墳時代前期、東北地方では前方後方墳が主流だったが、雷神山古墳は前方後円墳で築造されている。これはヤマト政権との強い関係を示唆するものであり、中央との交流や従属関係を背景に築かれた可能性が高い。壺形埴輪や土器の出土も、近畿地方の古墳文化との共通性を示している。
墳丘長168メートルという規模は、東北地方の他の古墳を大きく凌駕しており、被葬者が広域的な支配権を持っていたことを物語る。仙台市の遠見塚古墳(墳丘長110メートル)と並び、当時の東北における政治的中心地を形成していたと考えられる。
雷神山古墳の頂上に祀られた雷神の祠は、古代の首長の霊を神格化したものとも解釈できる。古墳が単なる墓ではなく、権力と信仰の象徴であったことを示している。訪れる者は、古代の首長が見渡したであろう平野の風景を共有し、土地の歴史を体感することができる。
なぜ名取市に東日本最大の古墳があるのか
雷神山古墳が東日本最大級の前方後円墳である理由は、仙台平野という広大で肥沃な土地を支配した首長の存在にあるだろう。名取市公式資料によれば、墳丘長168mという規模は古墳時代前期に限れば東日本最大級であり、被葬者は「かなり広い地域を治めた地方豪族の首長」と推定されている。
学術的には、名取平野は古墳時代において東北地方の政治的中心の一つであり、名取川など水も豊富にあり、稲作に適した平野と海へのアクセスを兼ね備えていたことが大規模古墳築造の背景とされているようだ。また、前方後円墳という形態はヤマト政権との関係を示唆し、中央との交流や従属関係を背景に築かれた可能性が高い。同時期に仙台市の遠見塚古墳(墳丘長110m)が築造されており、両古墳は仙台平野から大崎平野に及ぶ広域支配を物語るものとして注目されている。
つまり、名取市に東日本最大の古墳が築かれたのは、仙台平野の地理的優位性と、ヤマト政権との結びつきを持つ強力な首長の存在によるものである。雷神山古墳はその象徴として、古代東北の政治・文化の中心地であった名取の歴史を今に伝えている。
出土品
雷神山古墳からは壺形埴輪(つぼがたはにわ)や底部穿孔壺形土器(ていぶせんこうつぼがたどき)が出土している。これらは古墳時代前期(4世紀末〜5世紀初頭)の特徴を示すもので、墳丘の規模と合わせて被葬者が広域的な支配権を持つ首長であったことを裏付ける。埴輪は円筒形ではなく壺形である点が特徴的で、東北地方の古墳文化の独自性を示すと同時に、ヤマト政権との文化的交流を物語る。出土品は名取市歴史民俗資料館に収蔵され、地域の古代史を学ぶ貴重な資料となっている。
参考
名取市「雷神山古墳 - 文化財について」
雷神山古墳をたずねる
春の雷神山古墳を訪れた日は、ちょうど「桜マルシェ」と古墳イベントが開催されていた。駐車場にはテントが並び、子ども連れの家族や歴史好きの人々で賑わい、古墳の巨大な墳丘を背景にした光景は、まるで古代と現代が交差する祝祭のようだった。
まず体験したのは「まが玉づくり」。石を削りながら形を整える作業は、古代人が祈りを込めて作った護符を追体験するようで、完成したまが玉を手にすると、古代の人々の暮らしが少し近く感じられた。イベントでこの体験が用意されているのは、単なる工作ではなく「古代人の心に触れる入口」としての意味があるのだろう。まが玉の制作は玉造部という職能集団が行っており、宮城県では大崎市鳴子温泉あたりが古代から玉造郡として知られている。
次に挑戦した「埴輪投げ」は、円筒埴輪のレプリカを使った輪投げゲーム。子どもたちが歓声を上げながら挑戦していたが、これは遊びを通じて埴輪の存在を身近に感じてもらう工夫だと気づいた。古墳に並べられた埴輪は、権力や祈りの象徴だった。その文化を「投げて遊ぶ」ことで体験的に理解する――イベントの趣旨は、歴史を堅苦しく教えるのではなく、楽しみながら自然に学べる場をつくることにある。
古墳解説の時間には、資料館の職員が雷神山古墳の歴史や出土品について丁寧に説明してくれた。墳丘長168メートルという東北最大級の規模、壺形埴輪や土器の出土、仙台平野を治めた豪族の墓である可能性など、現地で聞くと一層リアルに感じられる。後円部の頂上にある祠にも登り、古墳名の由来となった雷神様を祀る風景を目にしたとき、古代から続く信仰の重みを実感した。
そして、桜の並木道を歩くと、古墳が市民の憩いの場として親しまれていることがよくわかる。桜は市民が古墳に親しみ、歴史に触れる場をつくるために植えられたものだろう。実際に花見を楽しむ人々の姿があり、古墳が地域の暮らしに溶け込んでいる風景に、どこか哀愁を覚えた。古代の首長の墓が、千年を超えて人々の集いの場になっている――その日本文化の連続性に心を打たれた。
雷神山古墳イベントは、古代文化を「遊びながら学ぶ」場であり、桜並木は人々が歴史と自然を共に楽しむ場である。訪れてみて初めて、史跡が過去の遺物ではなく、地域の記憶と未来をつなぐ生きた空間であることを実感した。名取市の人々が歴史と伝統を大切に守り続けている姿に触れ、私は深い感慨に浸った。
参考
広報なとり令和7年3月1日号「イベント まざらin」
名取市歴史民俗資料館「場所 雷神山古墳」
雷神山古墳は隠れた桜の名所
雷神山古墳は史跡公園として整備され、春には桜の名所として多くの人々が訪れる。古墳の周囲をぐるりと囲むように桜並木が植えられ、散策路を歩きながら花見を楽しむことができる。後円部の頂上に登れば、桜吹雪とともに仙台平野や太平洋を一望でき、古代の首長が眺めたであろう景色と現代の風景が重なる瞬間を体感できる。桜の見頃は例年4月上旬から中旬で、ブルーシートを広げて花見を楽しむ人々の姿も見られる。歴史と自然が融合した「隠れた桜スポット」として、名取市民に親しまれている。
雷神山古墳へのアクセスやイベント情報
雷神山古墳へはJR館腰駅から徒歩約15分、名取駅から約3kmとアクセスも良好。無料駐車場(約30台)やトイレも整備されており、家族連れでも安心して訪れることができる。
春には「桜マルシェ」が開催され、ハンドメイド作品やキッチンカーが並び、地域の交流の場となる。さらに「まが玉づくり」「はに輪投げ」「古墳クイズラリー」など子ども向けの体験イベントも行われ、歴史を遊びながら学べる工夫が凝らされている(名取市歴史民俗資料館主催)。史跡が単なる過去の遺跡ではなく、現代の暮らしに溶け込み、未来へつながる文化の場となっていることを実感できる。
雷神山古墳駐車場
所在地:〒981-1226 宮城県名取市植松2丁目6
まとめ
雷神山古墳を訪ねる旅は、宮城の古代史と現代の暮らしが交差する場に立ち会う体験であった。墳丘長168メートルという東北最大級の規模は、古代の首長が仙台平野を広く支配していた証であり、壺形埴輪や土器の出土はヤマト政権との交流を示唆する。古墳そのものが「権力の象徴」であると同時に、後円部の頂上に祀られた雷神の祠は、信仰と結びついた精神的な拠り所でもあった。
しかし現代の雷神山古墳は、単なる遺跡ではない。史跡公園として整備され、桜並木が植えられ、市民の憩いの場として親しまれている。春には桜マルシェが開かれ、ハンドメイド作品やキッチンカーが並び、子どもたちは「まが玉づくり」や「埴輪投げ」に夢中になる。これらのイベントは、古代文化を遊びながら学ぶことを目的としており、歴史を堅苦しく教えるのではなく、楽しみの中で自然に理解を深める工夫が凝らされている。
桜の下で花見を楽しむ人々の姿を見ていると、古代の首長の墓が千年を超えて市民の集いの場になっていることに、どこか哀愁を覚える。土地の記憶が途切れることなく受け継がれ、歴史と暮らしが重なり合う風景は、名取市が地域の文化と伝統を大切に守り続けている証である。古墳の頂上から眺める仙台平野と太平洋の景色は、古代の首長が見渡したであろう視点を共有する体験であり、訪れる者に土地の歴史を体感させる。
雷神山古墳は、東北最大の古墳としての歴史的価値に加え、現代の人々が憩い、学び、楽しむ場として生き続けている。過去と現在が交差するこの場所は、宮城の文化的奥行きを体感できる特別な空間であり、訪れる者に深い感慨を与える。名取市に東日本最大級の古墳が築かれた背景には、仙台平野の地理的優位性と強力な首長の存在があった。その記憶は今も桜の花とともに息づき、未来へと受け継がれていく。
名取市の関連記事も合わせてご覧ください。
